出水神社「神庫記」碑

 うーん、やはり明治の漢文の石碑は読みにくい。つーか、どうしても変換できない字がちらほら。漢和辞典引っ張り出しても、載ってない文字が。
 大体の文意は、細川家に被った恩沢が忘れがたい。細川忠利三百年忌を機会に、熊本出身海軍関係者を中心に募金して、神庫を建設したという話のようだ。出てくる人名をググると、確かに海軍関係者であるようだな。で、熊本藩の家臣ではあったようだ。
 そういえば、裏面のチェックを忘れたような…




石碑表面

出水神社之剏健也豈偶然矣哉益細川公之歟徳澤於我肥亡始於○
向○成○妙解公而基之者泰勝公也尓来三百年于令 王政維新雖
版図○帰 朝廷累世之徳澤浹洽於士民久而不○也於是士民相謀
建祠于成趣園歳時奉祀焉園蓋細川公之別墅而所以寓追遠之意也
本県人奉職於海軍者相議醵金建石燈于祠前大尉野田禎蔵氏謀之
前祠掌淵上勝彦氏氏請建神庫一棟衆議翕然以明治十九年三月起
工同年七月竣工棟二間半梁二間費金二百三円余献資者二百二十
三人○茲会泰勝公三百年忌将建碑告諸後昆少佐牧兼甫大尉村本
傳次二君来徴文於余余亦浴其澤者追遠之情有不可辞焉者於是乎

     明治四十三年四月    武藤厳男謹撰
                 和田兼蔵謹書