田原光泰『「春の小川」はなぜ消えたか:渋谷川にみる都市河川の歴史』

春の小川はなぜ消えたか 渋谷川にみる都市河川の歴史 (フィールド・スタディ文庫6)

春の小川はなぜ消えたか 渋谷川にみる都市河川の歴史 (フィールド・スタディ文庫6)

 渋谷川を題材に、都市に包摂された河川がどのように消失していくかを追った本。第一部は、各地の変化を題材に、都市化が進むにつれて、渋谷川の支流がどのような変化をたどったのかを追っている。第二部は、現在の渋谷川の痕跡を探訪している。思った以上に複雑な経緯で、現在の暗渠などの痕跡につながっているのだな。あと、こういう川の変遷の情報源として区画整理や下水関係の文書を使うことができるのだなと。
 もともと、渋谷川流域の支流は、谷戸の水田の用水として利用され、谷には複雑な水路がめぐらされていた。それが、明治中期以降、宅地化の進展と共に姿を変える。灌漑用の水路は整理され、排水路として一本ないし少数の水路に整理される。また、道路造成による水路の変更、さらには台地上の側溝と接続され、従来の谷戸の水路からはみ出していく。都市化とともに低地に雨水が一時に集中し、水害が発生するため、河川の付け替えが行われ、流路が変更される。
 また、宅地化が進むと、小河川には住宅の排水が集まり、周囲の人々からも、法的にも、「川」から「下水」とみなされるように変化していく。このような水路は汚水が滞留し、そこから暗渠化の動きが起きる。昭和の入ると、処理場で処理を前提とした公共下水道の整備を視野に入れた下水道整備が行われる。このなかで、区画整理の一環として地下下水道網が整備され、それに飲み込まれ消滅する河川も出てくる。また、下水の流下に都合がいいように改変され、流路が分断される事例も多くなる。最終的に、東京オリンピック前の都市整備によって、処理場へつながる公共下水道が整備され、渋谷川の流路が下水の幹線として利用され、河川として消滅してしまう。
 下水といっても、「在来下水道」では屎尿は汲み取りで流されないから、単純な水路に水を流しても、ある程度は何とかなったんだな。まあ、食べ物の屑とか、いろいろ混ざった水が流れれば、水質は確実に悪化しただろうけど。つーか、昭和頭辺りの渋谷川下流の水質はどんなものだったんだろうな。広い範囲の食べかすが集中する川って…
 処理場に流す公共下水道が整備されるまで、下水にし尿が流せなかったってのはこういうのをみると納得する。逆に言えば、屎尿処理ってのは、本当に都市にとって重い負担なんだな。
 流域に水車がたくさんあるのも興味深い。工業化の原動力として一定の重要性を持っていたようだ。このあたりも、もっと知りたいところだな。
 必ずしも読みやすくはないが、いろいろと興味深い本であった。