江戸絵画の非常識―近世絵画の定説をくつがえす (日本文化 私の最新講義)
- 作者: 安村敏信
- 出版社/メーカー: 敬文舎
- 発売日: 2013/03
- メディア: 単行本
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13のテーマに分けて、江戸時代の絵画の「通説」を批判。最後に、京狩野派、土佐派、住吉派、復古大和絵、19世紀の京都画壇など、作品の情報や研究の蓄積が進んでいない分野の人名リストがつく。
- 俵屋宗達の『風神雷神図屏風』は、晩年に描かれた傑作である。
- 光琳は宗達を乗り越えようとして、琳派を大成した。
- 江戸狩野派は粉本主義によって疲弊し、探幽・常信以降は見るべきものがない。
- 応挙が出て京都画壇は一変した。
- 長崎に渡来した沈南蘋は、三都に強い影響を与えた。
- 秋田蘭画は秋田で描かれた。
- 封建社会の江戸では、閨秀画家の活躍の場は少なかった。
- 上方で大成した南画は、谷文晁によって江戸に広められた。
- 浮世絵は江戸庶民の芸術であり、浮世絵師になったのも庶民である。
- 浮世絵はのちに錦絵といわれるように、版画が主流である。
- 奇想派があった。
- 東京芝・増上寺の『五百羅漢図』一〇〇幅は、狩野一信によって描かれた。
- 油絵は明治になってから描かれた。
以上の13テーマで、話が展開される。女性作家が、結構な規模で存在したらしいというのが興味深い。いま、発掘されている最中なのだそうだ。
あるいは、浮世絵の話も興味深い。武家向きの絵画の訓練を受けた画家が、浮世絵師になっていたり、版画だけではなく、肉筆浮世絵もかなりの規模で需要があったと。天童藩が、御用金を用立ててくれた人に返礼として渡した「天童広重」みたいな、引き出物的に使われた肉筆浮世絵もあったと。
あとは、南蘋派が絵画文化の層が薄い江戸では流行ったが、上方ではそれほどではなかった。あるいは、「画壇が一変した」みたいな事態はなかったという話は、そりゃそうだわなと。
個人的には、県立美術館であった「雪舟流と狩野派」展に関連して、狩野派の情報が欲しかったわけだが。まあ、仕方がない。必ずしも、粉本主義ではなかったとか、中期以降の見るべき画家とか。