岡野友彦『戦国貴族の生き残り戦略』

戦国貴族の生き残り戦略 (歴史文化ライブラリー)

戦国貴族の生き残り戦略 (歴史文化ライブラリー)

 戦国時代の公家が、どのように、自己の勢力を維持しようとしたかを、村上源氏の公家で、源氏長者の地位も占めることがあった、久我家の文書を元に復元している。
 応仁の乱以降、各地の荘園からの年貢が未進になっていく中、足利将軍家の近江維持政策に乗ったり、村上源氏でもっとも位階が高いことを利用して源氏を名乗る赤松氏や北畠氏と取引して年貢の献上を維持する。複雑な現地情勢の中、播磨では赤松家や在地勢力に貴種のお墨付きを与えることで年貢の進上を確保し、伊勢では北畠氏と長野氏の対決を利用する。割と遅くまで、遠隔地の荘園からの年貢を確保していたのが印象的。そして、織豊政権による政治構造の変動が、これらの荘園を維持不能にする。
 また、京都近郊の久我荘に関しては、久我家は、直接的な関与を維持し続けた。しかし、その支配権も、蚕食の危険に晒された。さかんに政権が交代する中で、権益の押領が続く。幕府の御料所などもあり、一元的な支配はできず、その中で、在地社会が力を蓄えることとなる。また、領内の祭りである千種祭に積極的に関わることで、在地社会の歓心を買おうとした。


 まあ、領地からの収入が減少する中、京都の経済活動から、収益を得ようとする動きも顕著になる。関所からの関税収入を認められていたが、だんだんと確保が難しくなる。また、「源氏長者」の縁から関係を持った当道座や傾城局への課税も、長い時間の紛争を経て、獲得していく。「座中天文物語」の紹介が興味深い。久我家が当道座を支配しようとし、分裂騒動を起こさせるが、結局失敗したエピソード。久我家は、虚言を弄した松村福一を支援したのかね。筋が悪い相手を支援するのは、こじれる元だと思うが。こういう人間しか、引っかからなかったのかね。


 近世に入る前後の時期、二代にわたって、宮中女官とのスキャンダルを起こし、勅勘を被ることになる。この状況の中、秀吉政権とは良好な関係を結び1200石ほどの収益を確保するが、二度目の勅勘と徳川家との関係構築失敗によって所領を失う。その後は、所領回復運動が近世前半の歴史で、700石の収入を確保した近世後半は、朝廷権威の復興運動に関わる、と。


 単純に時流に流されたのではなく、様々な手段を講じた、と。