五十嵐敬喜・小川明雄『建築紛争:行政・司法の崩壊現場』

建築紛争―行政・司法の崩壊現場 (岩波新書)

建築紛争―行政・司法の崩壊現場 (岩波新書)

 姉歯耐震偽装から、建築基準法を逸脱した「数の偽装」、建築紛争を頻発させた建築法制の規制緩和とそれを進めた勢力、裁判の問題、そして最後に提言という構成。
 脱法行為の横行とそれを止められない司法の退廃には言葉がない。戦後の「開発独裁」体制が、利害を調整するシステムの発展を阻害したという弊害が大きくなってきたのだろうな。開発優先の動きに対するカウンターが存在しない。諸外国では、このあたりどうなっているのだろう。
 そもそも、不動産開発は「財産権」によって周辺住民の介入を排しているけど、開発行為全体が周囲への影響を及ぼすものだけに、大規模になるほど財産権の制限が行なわれてしかるべきだと思うのだが。あと、マンション建築は、都市が急膨張していた高度成長期ならともかく、現在はほとんど公共性が存在しない状況にある。もっと規制されてしかるべきなのではないか。
 本書は、著者が法律家であり、法を手段として建築紛争が戦われているだけに、建築法制をめぐる話が中心になる。しかし、法律というのは変えてしまえるものだし、テクニカルな解釈が可能なもので、その点でどうも物足りない感がある。住民側の理屈だけでなく、建設側の論理、裁判官の考え、相手があるものだけに…
 最後の提言、建築士法の「職能法」化、建築許可制度の導入などは、もっともな対案だと思う。
 以下、メモ:

 ところで、偽装問題が発覚した直後から、構造計算のプロのなかには、偽装物件とされた建築物の多くは「限界耐力計算」で再計算すれば、耐震基準を満たす可能性があるといった声があった。
 これは怖い話ではないか。十分な耐震強度のない建築物が「限界耐力計算」で設計されてどんどん建ってしまう。あるいはすでに建っているのではないかという可能性である。
 それを証明するようなエピソードが、洪水のように出版された偽装関連本のなかでは専門性で群を抜いていた『耐震偽装――なぜ、誰も見抜けなかったのか』(日本経済新聞社)の冒頭に紹介されている。著者の細野透氏は建築専門誌としては最大の発行部数を誇る『日経アーキテクチュア』の元編集長で、ご本人も構造の専門家だ。
 そのエピソードとは、地震などのリスクマネージメント会社、リスク・ソリューションズ・インターナショナルの川合廣樹アジア代表が細野氏にみせたという「限界耐力計算」でつくられたマンションのリスク分析資料だった。
 このマンションをリスク評価すると、予想最大損失率(PML)が四〇%で、大地震がくれば大破するおそれがあるというのだ。いまはやりの建築物などの不動産を証券化する際には、PMLが二〇%を超えると地震保険に加入させられるという。また、一九八一年に施行された新耐震基準に従って計算された建築物のPMLは一〇%から二〇%だというから、四〇%という倒壊一歩手前の高いPMLはショッキングな話だ。
 性能設計を検証する「限界耐力計算」をある意図をもって使えば、大破のおそれがある建築物を「合法的に」建築できるというのだ。同書に引用されている「これほどひどい建物はさすがに少数です。しかし、姉歯氏が限界耐力計算でやっていれば合法になったんです」という川合氏の言葉は衝撃的だ。p.126-8

限界耐力計算という方式のあやふやさ。ここまでくると偽装物件だろう。

 筆者たちはこれまで、世界各地の建築物や都市計画の実態をみてきた。そうした経験から、筆者たちが学んだのは、欧米諸国では、都市計画法建築基準法の基本は、「建築物の高さや規模をまわりと同じようにする」ということにつきる。それが隣同士に住み、あるいは働く人々の権利の平等を保障することになる。ほぼ同じような高さと規模の建築物が立ち並ぶことの結果として、街並みの美しさを実現しているのである。また、欧米では、日本と違って、都市計画の策定やその変更には、真の意味での住民参加が保障されていることも強調しなければならない。p.142

都市計画の考え方。

 提言もこの決定に言及しながら、「公共の福祉の観点から私権の制限を強化するとともに、官民の資源を集中的に投入して、これらの地域の改編を促すべきである」と述べている。そして、具体的な方法としては、「UR都市機構などの公的セクター、住民たちからの同意を取り付けるなど実務面で積極的な役割を果たすとともに、行政代執行など適宜強制力を発揮させながら、市街地再開発事業土地区画整理事業等を強力に推進すべきである」と提案している。
(中略)
 提言には、住民を追い出すなどの面倒な仕事はUR都市機構など公的セクターにまかせ、抵抗する住民には強権を発動してでも追い出してもらい、更地になったところに高層大規模マンション群を建てて自分たちの仕事と利益を確保しようとする魂胆が透けてみえる。
 提言にあらわなのは、建設業者や不動産業者が「ここは私有地ですから」「私権ですから」と周辺住民の生活や景観を破壊する巨大な建築物をいたるところに強引に建てながら、密集市街地に住む人々には「公共の福祉」を持ち出して私権を制限せよと叫ぶ身勝手さだ。p.156-7

経団連の提言にみえる精神の腐敗。「私権」をご都合主義で使い分ける酷さ。こんなことだから、日本国の社会は空洞化するんだよ。
実際に「私権の制限」に踏み込むなら、大規模開発の方も制限をかける必要がある。

 第一に、建築という行為は、一方で私的な経済の要素をもつが、それは居住者の安全だけでなく、近隣の居住環境に影響し、何十年、何百年もその都市を規定していく。その意味で「公共性」を有している、といってよいだろう。p.226

全くもってその通り。ついでに言えば、開発規模が大きくなる程影響範囲が拡大するだけに、それだけ公共性も大きくなる。

 耐震強度偽装事件の発表から二ヵ月ほどたった二〇〇六年一月に、全国に展開している大手ビジネスホテルチェーン、東横インの不正改造事件が発覚しました。国土交通省の発表によると、全国の一二二棟のホテルのうち、完了検査後に不正改造されたのが六三棟もありました。
(中略)
 しかし、身障者無視の発言問題で、同様に重大な問題がかすんでいます。それは四一件にものぼった建築基準法違反で、とくに三〇件もあった容積率違反でした。手口は、駐車場を客室、ロビーなどに改造していたほか、吹き抜けに床を張って客室を増やしていたのです。
 それも中途半端ではなかった。とくに、当時、東京都大田区にあった本社ビルは中二階を増設し、各階や地下で増築したため、法定容積率が三〇〇%のところが増改築で二倍に近い五八六.六%にもなっていて、とても「是正処置」では間に合わず解体に追い込まれました。
 つまり、この事件は、完了検査さえ終われば、違法の増改築が横行し、それに取り締まるべき役所も目をつぶっていたという日本の建築行政の重大な欠陥を浮き彫りにしたのです。p.241-2

 ものすごいインパクトのある話。ここを読んだのが、本書を借りて読む決め手になった。しかし、二倍近い増床って、最初から設計に織り込んでおかないとあぶないのではないだろうか。前もって、見抜けそうなものだが…
これ関連では、東横イン不法改造問題Wikipedia)、東横イン問題について前言撤回します東横イン問題での設計会社・施工業者の責任


設計者からの本書の感想→五十嵐敬喜、小川明雄「建築紛争 行政・司法の崩壊現場」(読書記録.et.al)
法整備の問題と景観を守るためには努力も必要との指摘。ただ、景観を守るための法や協定の整備は、マンションを作るより手間もかかるし、動きも鈍くなるように思うが。あと、住宅街に住んでいる側から言うと、アパートや大学などの浮動性の高い人口の大量流入は、やはり環境の激変につながる。忌避されがちになるのは無理もないと思う。

「非実在青少年」について

 いろいろメモ。
 規制を容認する側について疑問を感じるのは、なんというか世界観の二分法なこと。例えば、「青少年」というカテゴリーでも、男性なら精通以前・以後・精神的肉体的成熟がある程度すすんだ段階(ハイティーン)、女性なら、初潮以前(概ね12歳以下)・ローティーン・ハイティーン程度には、大まかにカテゴライズできるし、その段階それぞれで扱いが変わってくるのではないか? 12歳以下レベルだと性の問題に慎重になる必要があるし、保護の対象になるだろう。逆に、ハイティーンレベルだと性的な自己決定権の問題が視野に入ってくるし、かなり広いレベルで性の対象になっている(性的搾取の対象にならないように気をくばる必要はある)。そのあたりのグラデーションを無視して、18歳以下をパターナリズム的な保護の対象として一括し、自己決定権も認めない姿勢は、善良な意図から発していても最終的な悪に転じかねないように思う。
 あと、現在生産されているフィクションを潰しても、過去の「文学作品」やら「現実」から、いくらでもやばい情報は取ってこれるから。フィクションの残虐さ、特に商業作品の残虐さなんぞは、ぬるま湯のようなもの。

世界中に存在する「あなた」たちへ - G.A.W.

全面的に賛成する。というか、醜いものを見せたくないと、そのようなものを見せなくなった若年層は明らかに品行方正になった。で、そうなると、今度は「今時の若い者はガッツがない」とか言われるようになる。身勝手なものだ。
性的情報については、先にきちんと情報を与えて、先にリテラシーを身につけさせるべきだ。つまりは性教育の推進。
ブコメ情報を取得するタイミングは大切に思う。初めて取得した情報が強姦だった場合、善悪の無い子供は実行してしまう危険性がある。最近の少年・少女漫画等では悲劇に飢えていて、強姦等の演出もあちこちで見るしね
そもそも、最初に摂取した情報がどこまでその人物の嗜好に影響するのだろうか。あやふやな印象論だろう。

日本のごく一部に存在する、「「あなた」の親」からの意見。

「見せたくないもの」を見せないのが本当に子供のためになるのか? レイプもののフィクションを見たら子供は実際にレイプするようになるのか。それで実際にレイプをやる子供は、それ以前の育て方に問題があるのではないだろうか。

親の怠慢と言われればそうかもしれないけど、他の危険物(食品や薬品や武器やなんか諸々)はしっかりと規制され隔離されて子供の手に入りにくいところに置いてあるのに、コンテンツに関してだけは子供が簡単に手に入るところに置いてあるわけで。


極端な話、コンビニにけん銃は置いてないけどエロ本は置いてあるし、毒薬は簡単には手に入らないけど同人ロリスカトロものはネットですぐに見つかる。

うーん、武器も毒物も世の中にあふれていると思うが? 流石に拳銃や日本刀は簡単に手に入らないけど刃物や鈍器の類は手に入れようと思えばいくらでも手に入る(包丁を全廃しますか?)。青酸カリは簡単には手に入らないけど、酸素系漂白剤と塩素系漂白剤を混ぜ合わせれば毒ガスが発生したりする。同様に、エロコンテンツにしても、エロいグラビアはコンビニで買えるけど、ガチなSMとか獣姦なんかのポルノにはそれなりの敷居が設けてある。世の中、危険物は普通にあふれている。何度も言うが、フィクションの人格的影響力というのは、限られているのではないか。偶然にあたったくらいでは、たいした影響力はないだろう。流石に特定ジャンルを浴びるように摂取すれば、影響はあるだろうが、逆にその場合、主体的にそのジャンルにコミットするというプロセスが必要になる。

表現が規制されるのはその表現がすでに暴力で脅威だからだYO!

  • 疑問 殺人を同情的に描いている2時間ドラマがテレビにあふれている現状をどう思います?殺人を扱ったドラマが氾濫している現在、殺人は増えていますか。
  • フィクションを見て嫌な気分になることと、実際にそれが行動に移りそうな場合は分けて考えるべきでは。建前が大事な場面と、「だけどそれでも」というものを意図的に同じ場面に配置するのはどうか。
  • ここでは男性から女性への性暴力しか視野に入っていないが、女性が男性同士の性愛・性交を主にしたフィクションを消費する文化が結構広がっている。基本的にこれはヘテロの男性にとっては結構不愉快なものなのだが。私自身もBLを読むのは無理。しかし、その文化自体は破壊されるべきではない。同様の次元のことだと思うが?
  • 文学作品にだって性交場面が入ったものはいくらでもあると思うが? それこそ石原の慎ちゃんの著作だってそう。ポルノ憎しで目が曇ってませんか。
  • 「お役所だってやりたくないと思うよ。漫画のチェックなんか。」個々の役人はともかくとして、団体としての役所はそうでもない。実際に今回の規制を推進してきた主体が役所なのを忘れるべきではない。


都議会なんて飾りですか?

今回の条例改正への流れの整理。審議期間は協議会で一年、議会で一月。いや、本当に日本の議会って飾りだよなあ。
協議会の議事録はちゃんと読もう。

『非実在青少年』規制問題
表現規制 現時点でポルノは十分に規制されていると思うが。少なくとも商業的に流通するものに関しては。ネットの状況は知らんが。
非実在青少年の雑感 基準が明確だったらここまで反対は広がらなかっただろうな。
「死んだエロ本だけが良いエロ本だ!!」 実際、これ文学なんかも相当網にかかりそうな規制。これが通ってしまった場合、これが指定されないのはおかしいという指摘で役所をパンクさせる戦術なんてできそうだな。で、これを指定していないのはおかしいと訴訟を起こしまくって、規制システムを飽和させると。
『女性向け創作活動をしている人の為の、非実在青少年規制対策まとめサイト』

基本を忘れないようにしよう

表現が規制されるのはその表現がすでに暴力で脅威だからだYO!を読んで思わず熱くなってしまったが、問題はそもそもそこにないんだよな。
番外その22:東京都青少年保護条例改正案全文の転載から。

一 青少年に対し、性的感情を刺激し、残虐性を助長し、又は自殺若しくは犯罪を誘発し、青少年の健全な成長を阻害するおそれがあるもの
二 年齢又は服装、所持品、学年、背景その他の人の年齢を想起させる事項の表示又は音声による描写から十八歳未満として表現されていると認識されるもの(以下「非実在青少年」という。)を相手方とする又は非実在青少年による性交類似行為に係る非実在青少年の姿態を視覚により認識することができる方法でみだりに性的対象として肯定的に描写することにより、青少年の性に関する健全な判断能力の形成を阻害し、青少年の健全な成長を阻害するおそれがあるもの

政策意図から「児童ポルノ」問題に目が向くけど、前半がもっと問題なんだよなと、改めて確認する。「青少年に対し、性的感情を刺激し、残虐性を助長し、又は自殺若しくは犯罪を誘発し、青少年の健全な成長を阻害するおそれがあるもの」って、範囲のとり方によっては、フィクションの8、9割は対象に入ってしまいかねない。ポルノだけにとどまらず、テレビのバラエティや2時間ドラマも普通に規制できそうな条文なのだが。この一文だけで、確かに「表現の自由」を完璧に侵している。本気でなんでもありんすって感じだ。


関連:とある非実在青少年が性行為を行う小説