産業道路から一つ入った道を走ってみたら、いくつか記念碑と遭遇。もともとはこっちの道が中心的な通りだったみたいだ。古げな商店や工場が点在している。
正面
向栄尋常小学校跡
左面
沿革
明治九年九月、「迎衛学校」として創立。
明治十六年四月に「向栄尋常小学校」と改称
大正十三年本山小学校と合併、向山尋常高等小学校と称し現在地に開校される。
裏面
平成十三年五月吉日建立
向山校区まちづくり委員会
これもその続き、本荘中通沿いの公園に建てられていたもの。ここに、現在の開新高校の前身があったらしい。学校関係の記念碑ってのは、金が集まりやすいのか、よく見かけるな。
正面
熊本鉄道高等学校跡
左面
明治三十七年六月 土山栞氏により東亜鉄道学院創設(熊本市坪井)
明治三十八年四月 土山氏に請われて初代院長に堀勝太氏就任
明治四十年四月 飽託郡本荘村のこの地に移転
昭和三十一年一月 熊本市大江元騎兵隊跡に移転
裏面
平成十七年十月建立 学校法人開新学園
右面
本荘校の由来 江戸中期 細川八代藩主重賢公は、宝暦二年
(一七五二年)藩政改革に際し大奉行に堀平太左衛門を抜擢推進
その功によりこの地の屋敷を拝領された 初代院長堀勝太氏は
堀平太左衛門の後裔であり私財を投じ本校発展の礎を築かれた
zaikabou.hatenablog.com
→http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/zaikabou/20070902/1188692800
メモ。こういうPR誌があるのか。熊本では見たことないな。
→http://lets-city.jp/seen/kumonoue/kumonoueprofile/000222.html
12号より前は在庫切れの模様。
http://biz.bcnranking.jp/article/column/bookreview/1204/120426_129604.html 熊本にしろ、京都にしろ、あまり交通機関が高架にされていない土地にしか住んだことがないから、よくわからないなあ。どっちも地下水脈とかの関係で、立体化が難しいとちなんだよな。
gold-fish-press.com
京都埋蔵文化研究所が刊行した『つちの中の京都−桃山文化の陶磁』を読んで。茶道具である織部焼の焼き物が、一つの商家のものとは思えないほど出土した話から、古田織部の自刃との関連を想像している。
「ものを通じた歴史」というのは、歴史時代の考古学の発展とともに、いろいろと試みられるようになっている。
blog.goo.ne.jp
歴史人口学の成果って、興味深いんだよな。過去帳や人別帳なんかから、読み取れる、人の増減の構造。学問としては、方法論が成熟しきって、天井に突き当たっているみたいな話を聞いたことがあるけど。
ヨーロッパだと、教会の洗礼や葬式の記録から、人口学的な研究をしている。
goldhead.hatenablog.com
まあ、ソメイヨシノは味気がないのは確か。いろいろと品種があるんだから、もうちょっとバラエティがあってもいいと思う。良く晴れた日に、川岸とかで並木になっているのを見ると、ソメイヨシノもそれなりに良いと思うけど。
あと、桜って、五月ごろの毛虫つきまくりという印象も。小学校の桜がすごかったんだよな。
山桜か。夜行性動物にはちょっと楽しめそうにないなあ。
関連:桜守、京都の桜を語る|Diners Club Cyber Station
京都で大学生をやっていた頃は、広沢池の近くのこの方の家の桜を毎年見ていたな。お茶と桜餅で一服するの。んで、自転車で広沢池から大沢池の嵯峨野近辺をふらふらする。しだれ桜が見事だった。当時は知らなかったのだが。
http://www.weekly-net.co.jp/logistics/post-6601.php
道東の事業者は「費用もさることながら、タコグラフを入れてしまうと、拘束時間や運転時間のごまかしがきかなくなる。監査が来てしまうと一発で違反がばれてしまう」と危惧する
いくらなんでもぶっちゃけすぎだろうwww 違反しまくりって事じゃん。
逆にデータが集まれば最低限の価格は算出しやすくなるし、それをたたき台に交渉できるようになるかも。そうなると、価格交渉が効かなくなるから、なんらかの機会均等の取り決めが必要になるかもしれないが。