企画展「親子でみる美術展 二の丸トラベル」

 旅をテーマとした企画展。明日まで。
 前半は、寄託されている永青文庫から、参勤交代に関連する品物を展示。後半は、近代に入ってからの旅行関係の絵画作品。熊本県出身の画家の資料や作品を出して、東京や海外に勉強に行く画家たちというのは、少々無理やりな気もしなくはないが。館蔵品だけで、こういう企画展ができるだけのコレクションが育っているのだなとも言える。富士山を描いた作品を並べるというのも、おもしろい。
 あと、今西コレクションの有用性。熊本県出身画家を永青文庫関係以外では、ほとんど今西コレクション。これがなかったら、コレクションのレベルはどうなっていたか。
 あえて言えば、熊本の庶民の旅に関する情報が少なかったかなとは思うが。


 参勤交代関係は、旅行用の道具と絵図類。大名行列の格を示す対鑓や金紋付きの先箱といった道具類。熊本に持っていくお気に入りの茶道具を選らんだ史料。挟箱など。
 絵図類もおもしろい。大名行列を描いた「御入国御行列之図」、絵入り道中記や海陸行程図といった地図類、御船入港図鑑など。船で行き来するにしても、ずいぶん多数の船を仕立てなければいけないのだな。「川尻」と付箋に注記してある船は、川尻から回したらしい。大名の立場からすれば、籠にゆすられていくより楽かもな。
 これだけは、よそから借りてきたらしい、狩野勝波「江戸勤番之図」がおもしろかった。屋敷の長屋で長時間生活する藩士が、さまざまな遊戯や酒盛りで暇を潰している姿。青木直己『幕末単身赴任:下級武士の食日記』を思わせる。突然、在府が一年延長されて、自棄酒くらって、暴れるの図が、なんとも印象的。
 名勝図の類が何点か出品されているが、「植生」に注意してみるのもおもしろい。木が個別に書かれているところを見ると、草山が多くて、やはり木は少ないと考えるべきなのだろうか。「七滝瀑布図」では、滝の周辺には、かなり密に木が生えているように見えるが。木を採取しにくいところは、木が残るということなのだろうか。熊本藩の絵師が、派遣されて富士山頂からとか、松島の図を描いているのが驚き。藩命で、全国渡り歩いているってことか、これ。杉谷雪樵らの日記とか、残っていないのだろうか。


 後半は近代に入ってから。
 小林清親の「東京名所図」や「小林清親風景画」、多数の画家が参加している昭和14年の「新日本百景」といった、版画が良い。特に、小林清親の版画、いいなあ。吉田初三郎の鳥瞰図も、3点ほど出品されていた。
 最後のほうは、熊本出身の画家が旅先で描いたものということで、作品の連射。荻須高徳「モンマルトルの旧役場・青いレストラン」、坂本善三「建物」、吉家研二「塔」あたりが好き。特に、「塔」は気にいったなあ。

ミュージアムセミナー「肥後から江戸へ! 熊本藩の参勤交代」

 展示されている品物の解説がメイン。
 最初は、「親子でみる美術展」の意義とか、参勤交代の基礎知識とか。家光の参勤交代の法制化は、過熱する忠誠競争を抑制するためというは、ある程度常識化しつつ話ではあるが。


 一番目のトピックは、大名行列の図。こういう行列や、細かい持ち物で差別化というのは、「家格」の主張に命をかけまくった江戸時代の大名らしいな。とにかく、いろいろな場面で自分の家格をデモンストレートする。二人横並びの金紋先箱や対鑓は、将軍の許可が必要で、少数の大藩にのみ認められたもの。家格の高さを主張するもの。「御入国御行列之図」では、数えると900人だそうで、これは多くも少なくもない数なのだそうな。初入国の時は、気合を入れて動員をかける。細川光尚が2720人、斉護が3000人というのが多い例。逆に、窮乏期の重賢の時には、546人まで削減されていたという。
 参勤交代の旅は、なかなか過酷で、随行する藩士は体力増強のための訓練が行われた。あるいは、土佐藩などは重いものを持っていかないようにする。逆に前田家などは古式の完全装備での行列と、お国柄が現れるらしい。
 登城時にも対鑓を持つこと望んで、許可を求めたが、断られた。しかし、明治に描かれた「登城図」には、しっかりと対鑓が描かれているという話には、家格に対する執念が表れているようでおもしろい。


 二番目のトピックは、旅のルート。豊後街道を通り、鶴崎から海路をとる。豊前街道を経由、関門海峡あたりから海路。同豊前街道から山陽道の三通りのルートがあった。行きは豊前街道からの海路、帰りは鶴崎経由が多かったそうな。あと、江戸時代前半は、国替え時のトラブルから黒田藩と仲が悪くて、鶴崎一択だったとか。
 大坂以後は陸路を通るが、名古屋までは、鈴鹿越えと関ヶ原越えの2ルートがあったと。
 40日ほどで熊本と江戸を往復。
 あとは波奈之丸の話とか。文化庁の人が、地震後、天守閣に突入して、無事を確認したらしい。しかし、あれ、もともとけっこう傷んでいるという噂を聞くが…


 最後は江戸での生活。
 殿様は登城するのが仕事と。しかし、出かける度に行列組まなくてはならないとなると、鬱陶しかろうな。
 狩野勝波「江戸勤番之図」の解説がメイン。類例がない史料なのだとか。一部の役職者以外は、仕事は数日に一度程度で、かなり暇を持て余すらしい。他の藩の武士とのトラブルを避けるため、外出は制限されて、長屋で暇を持て余す。で、いろいろと遊んだり、駄弁ったりという姿が、描かれる。特別手当が出るので、懐はそれほどきつくもないらしいが。特別手当で借金を返済するために、頻繁に参勤交代に参加する武士もいたとか。

特別展「ランス美術館展」

 県縁の画家としてコレクション形成中の熊本と晩年をすごしたランスという、レオナール・フジタを媒介とした企画なのかな。ランス美術館が蓄積してきた17世紀以来の絵画コレクションとレオナール・フジタ関連のコレクションの展示。なかなか充実したコレクション。最近、西洋美術に興味がなくなりつつあるが、こうして見ると、意外と楽しい。
 二点出ていた静物画が印象に残る。17世紀のストンメ「レモンのある静物」とゴーギャンの「バラと彫像」。前者は、ステムにトゲトゲのついた「レーマー杯」とその質感が良い。後者も、なんか印象に残る。
 あと、やっぱりバルビゾン派の風景画が好きだね。個人的に。
 肖像画がたくさんあるのが、一見した特徴。17世紀の王侯から20世紀に到るまで。ヨーゼフ・シマの「ロジェ・ジルベール=ルコント」が印象に残った。


 レオナール・フジタのコレクションが充実しているのも特徴。三つある展示室のうち、一つがフジタの作品。晩年に力を注いだノートルダム・ド・ラ・ペ礼拝堂のフレスコ画下書きの素描がたくさん。あとは、フジタ作品がいろいろと。「ノルマンディーの春」を見て思ったのは、同時代の少女雑誌と挿絵の雰囲気と似ているなと。「授乳の聖母」にも、そういう雰囲気が。色使いかな。なんでだろう。

麺作りから始まった工作機械の歴史 - デイリーポータルZ:@nifty

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 佐賀から名古屋ってのが、一番不思議だったが、義父と出資者の板ばさみで出て行ったのか。で、名古屋で大隈麺機商会を開業。自ら製麺機の製造開発を行うと。
 シュレッダーって、製麺機から出ているのか。すげー
 日露戦争の時、製麺機の売れ行き不振と民間への軍需物資の発注が行われたので、工作機械の生産を開始。まあ、金属加工をやっているわけだから、業態転換は可能だったのだろうな。製麺機の技術を応用して、旋盤やボール盤を製作。麺を切る刃棒の精密加工という基礎技術があったからこそではあるのだろうけど。自社用に旋盤を作っていたりもしたようだし。
 1930年代には、自動車の製作にも手を出してたりするし→亀田忠男『自動車王国前史:綿と木と自動車』。つーか、アツタ号も言及されている。


 で、戦後いち早くCNC加工機の製造に取り組む。紙テープか。
 ここらあたりで、だいぶ畑違いの電機関係の技術者を雇う必要があったと思うけど、どこからリクルートしたんだろうな。あと、その投資の決断の背景とか。
 だんだん、電機系のメカが増えてくるな。制御用コンピュータとか、サーボモーターとか。


 文字通り、工作機械の歴史だな。

山形の防火建築帯がすてき - デイリーポータルZ:@nifty

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 普通の商店街っぽく見えるけど、防火帯。で、これがスタンダードとして広まったと。これが、どこからの火事を、どう防ぐつもりだったのかが、気になるな。昔は、そんなに木造建築物が密集していたのか。今は、わりとスカスカで、大火が起きそうな雰囲気ではないが。
 ずっと、緩傾斜というのも、自転車にはありがたくない地形だな。

うなぎカマボコを、うなぎと言って食べさせた - デイリーポータルZ:@nifty

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 なんか、いろいろと出ているのだな。うな蒲ちゃんに、うな次郎とか。
 でも、一発でばれるのか…
 ここのところ、スーパーに行くたびに探しているのだが。通販しかないのか。