岩田重則『「お墓」の誕生:死者祭祀の民俗誌』

「お墓」の誕生―死者祭祀の民俗誌 (岩波新書)

「お墓」の誕生―死者祭祀の民俗誌 (岩波新書)

 自転車でフラフラしているうちに過去の景観に興味がわき、熊本市周辺の昔の農村集落を求めてうろつき回るようになった。そうなると、今は住宅地に飲み込まれた昔の集落の指標として、神社と墓地が重要になる。そのような興味で墓地を眺めていると、そのうち江戸時代後期から大正、大正から昭和前半、高度成長期、ここ10年ほどといった墓石の時代様式みたいなものが見えてくるようになってきた。で、それを踏まえて、近いところを扱っていそうな本書を手にとって見た。


 第一章は本書の前提となる部分。お盆の「送り火・迎え火」のフィールド調査から、実際の習俗の場では「送り火・迎え火」の機能とは矛盾するような儀礼が行なわれていること。ここから一般的に流布している考え方と実践に違いがある可能性が指摘される。
 第二章と第三章が本書の核となる部分。第二章では、実際の葬儀の習俗の検証。主に関東北部から静岡や新潟などの事例が紹介される。これらの地域は土葬が主の地域であり、そこで営まれる墓地・葬儀の観察から「遺体の埋葬」と「石塔の建立」が空間的・時間的に離れていること。遺体埋葬地にも墓上施設が設営され、この祭祀には仏僧が関与していないこと。これに対し、石塔には戒名を初めとする仏教の影響が濃厚であるという二重性が指摘される。そして、石塔建立の一般化には、近世の宗門改め・寺檀制度が重要であったとする。
 第三章は墓制の歴史。柳田をはじめとする旧来の民俗学の墓制研究を批判し、遺骨/遺体・埋葬/非埋葬・石塔建立/非建立の3つの基準で整理しなおす。その上で、土葬や民俗的火葬から「カロウト式石塔」への転換と画一化を指摘し、考古学や図像を参照しながら、単純な土葬から石塔の出現と変化と墓の商品化を指摘する。本書では、旧来の埋葬方式からカロウト式石塔への転換の契機については触れていないが、これについては高度成長期の人口の大都市への移動という社会的転換の影響と、もうひとつに行政の影響があるのだろう。祖父の遺品の写真や親の話からすると、わが家の先祖の墓は白川の河川敷にあり、昭和28年の白川大水害(6.26白川大水害対策の河川改修を機に移動し、カロウト式に変っている。また、熊本市周辺では、都市のスプロール的拡大に伴って、大規模に墓域の移動があったようだ。このような近年の地誌的・社会的変化や火葬場の整備など衛生についての政策、行政がイメージする家族像の影響などが急激な変動をもたらしたのではないだろうか。
 第四章は、乳幼児や戦死者の墓について。古い墓地を見ていると、確かに戦死者の墓は大きくて目立つ石塔に個人名が書かれている。また、戦死者の祭祀の多重性の指摘。


(追記)最近流行の散骨って、この本の文脈で考えると遺体から遺骨へは変っているけれど「遺棄」への回帰と捉えられそう。幻想の対象としての墓は解体しつつあるのかも。