服部正也『ルワンダ中央銀行総裁日記(増補版)』

ルワンダ中央銀行総裁日記 (中公新書)

ルワンダ中央銀行総裁日記 (中公新書)

 図書館で見つけたので借りてみた。旧版はもっているが、久方ぶりに読み返してみるかということで。本文そのものは、ほぼ原著のままのようだ。それにプラスして、ルワンダの虐殺の当時に書かれた論考と他の著者による業績紹介が付されている。
 相変わらずおもしろい。やはり「開発援助」のためには、その社会を理解することが重要なのだな。地元の社会の論理に従って政策を組み立てなければ、効果的に働かないし、援助にかける金が無駄になる。あと、アフリカに派遣されてくる「技術援助員」の質の低さが指摘されているが、このあたり幕末の日本も同様だったのだろうなとも思った。本国で食い詰めた人間がチャンスを求めて流れてくるのだろうな。


 増補版に追加された「ルワンダ動乱は正しく伝えられているか」も興味深い。旧政権に関係が深い人だけに、割り引いて考える必要はあるが。旧政権を倒した「愛国戦線」がウガンダの支援をうけた組織であること。「愛国戦線」によるフツ族指導者層の虐殺の話や同組織による軍事侵攻と外交によって国内中心部まで入り込んだことなどは、はじめて知った。改めて調べようとすると、意外と日本語の情報がない。現大統領のポール・カガメがウガンダ軍の士官だったのは確かなようだ。あと、もうカガメ政権も10年以上続いているのだよな。そろそろ腐敗が問題になりそうな長さだが。難民問題もどうなったのか。帰還が進んでいるようにもみえるが。

 第三の教訓は、経済は生きものなのであって、自律的な法則によって動いてはいるが、法則の基礎になっている条件が変われば、それに順応してゆくものであることです。経済は生きものという意味は、経済は人間活動なのであるということで、人間の行為で意思というものが最も重要なものなのです。平価の妥当な水準を計算することは必要ですが、かりにその計算に若干の誤差があっても、平価を維持する決心があれば、その決心自体が経済に順応反応を呼び起こすものなのです。p.40-41

 この指摘は結構重要なことだと思う。経済学にしても、政治学にしてもそうだが、数値的なモデルや理論を追求することは重要なことではある。しかし、そうやって得られた理論なりモデルなりを駆使して、最終的に何をするか。何を目指すか。何が善なのか。それが最も重要なことなのではないか。その点で、単なる数値モデルを構築するだけの経済学や政治学、その他社会的な学問は、「学問」ではなく、単なる技術にすぎない。
 現在は、その学問によって目指すべき目標が見えなくなっている。目標についての社会的合意が得られなくなった。だからこそ、マイケル・サンデルの『これから「正義」の話をしよう』のような書物が、いま売れ出しているんだろうなと思う。

 途上国が後進経済から脱却する道が自活経済から市場経済への転換であれば、流通機構の整備が肝要なことはいうまでもない。また市場経済への転換過程が始まった途上国が恒常的な経済発展をするためには、民族資本の継続的形成が不可欠である。じつは私はルワンダにいく前から、アジア諸国との接触をつうじて、戦後の途上国発展の議論において、外貨の役割と工業化の必要性が過当に重視され、民族資本の育成と流通機構の整備という地道で手近な問題が忘れられているのではないかとの疑問をもっていた。そしてルワンダの経済再建計画を計画し、実施していく過程で、この疑問は確信にまでなったのである。p.248

 これは全く持って正しい。90年代のIMFなんかの援助はむしろ、後退している感じだ。ただ、商売敵を育成するというのも、なかなか難しいものがあるなとは思う。このあたり、開発経済学ではどんな議論がされているのだろうか。経済学には疎い、というか経済学の本を読むのがつらいので、よく分らないが。