下田淳『居酒屋の世界史』

居酒屋の世界史 (講談社現代新書)

居酒屋の世界史 (講談社現代新書)

 テーマとしてはおもしろいんだけど、観念的な「貨幣経済」が価値を大幅に減じている。江戸時代の日本の農村や中世前半のヨーロッパが貨幣経済ではないとか、おいおいとしか。著者には、社会経済史の常識が欠けている。そもそも無償接待では対応できないほどの人の移動、あるいは無償接待をするだけの価値のない人の大量移動といったことに対して、有償でサービスを提供する職業が出現するわけで、それにはコインの出現はどこまで必須だったのだろうか。現物貨幣でも可能だったのではないだろうか。そもそも、古代には、残存史料の状況から、平民向けのサービスを議論するのは難しいのではないか。
 ヨーロッパの居酒屋が、中世末以降に、それまで集落の人間関係の拠点であった教会での飲酒と宴会が忌避されるようになったため分離したと指摘する。だとすれば、ヨーロッパ以外の農村地域以外で居酒屋が発展しなかったのは、端的に宗教施設が人間関係の結節点を務めたからであって、農村に貨幣経済が浸透しなかったからというのは間違っているのではなかろうか。ヨーロッパとそれ以外の地域を比較するなら、農村の人間関係の結節点となった場をもっと精査する必要があるのではないだろうか。
 あと、居酒屋と芸人や売春の問題が取り上げられているが、このあたりについては中世後期以降の周縁民や遊動民への迫害の動きや近代都市のポリス(ポリツァイ)について言及すべきだったのではなかろうか。その手の重要なトピックがまったく抜けているのが、著者の専門家らして不思議に感じる。


 p.195-99の芸人としての民間医療者の話も興味深い。日本の大道芸が医薬品の販売のための客寄せだったという光田憲雄『江戸の大道芸人asin:4924836737とつなげて考えることができる。

 農村に居酒屋やカフェが発達しなかったということは、ヨーロッパと異なって、農村への貨幣・商品経済の浸透が弱かったことを意味している。
 これは、農民が貨幣とは無縁だと言っているわけではない。コーヒー豆やたばこを得るには貨幣が必要である。農民は、都市に出かけて行ったときにはには、貨幣を使って居酒屋やカフェに行ったり、買い物をしたであろう。また、彼らが国家に収める税金は貨幣でなされた。たとえば、オスマントルコでは、「アクチェ」という貨幣単位で徴税されていた。徴税人が村にやってきたらしいが、問題は農民がどうやって貨幣を手に入れたかである。現物で納めて、それを徴税人が貨幣に換えるという方法もあったであろうが、おそらく、両替商人のようなものがいて、そこで前もって現物を換金して納税したのではないだろうか。都市でのちょっとした買い物なら、余剰生産物を商人に売ったり、直接、都市に農産物を売りに行って貨幣を手に入れることもできた。しかし、農民同士の取引は貨幣を媒介しない現物交換であった。これでは、農村に貨幣経済が浸透しているとは言えないのである(斎藤「16-17世紀アナトリア南東部のクルド系諸県におけるティマール制」および三沢(スレイマン1世治世期の東アナトリア掌握過程」からの私の推論)。
 ヨーロッパでは居酒屋がコミュニティセンターの役割をはたした。イスラム圏で人びとのコミュニティセンターとなったのは寺院(モスク)であった。p.121-122

 うーん、農村に貨幣が流入していながら、それでも貨幣経済が浸透していないという議論には無理を感じる。人間関係のインフラが違うと考えたほうがすっきりすると思うのだが。