壇一雄とユッケとチヂミ・パジョンについての雑談 ついでに参鶏湯と補身湯も少し : 筆不精者の雑彙

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 このことから小生が思ったのは、料理が他の民族に伝播するときには、もとの民族の文化総体が体系的に移植されるわけではなく、もとの民族ではマイナーだったり特例だったり周縁だったりしたものが、他の民族にはむしろその方が導入しやすいということがあり、その結果周縁の筈だったものが、もとの民族の文化の代表のように思われてしまったりすることもあるのだなあ、ということでした。ことに料理というのは、そういう傾向が強いのかも知れません。例えば、イタリア料理ではコースの中で前菜の次、メインの前と位置づけが決まっているパスタ類が、日本ではそばやうどんの要領で一品料理のように扱われる、というような。
 それ自体は悪いことでも何でもなく、むしろ文化の受容とはそのようにしてこそ深く浸透するものと思いますが、ただその際に、もとの体系を知っておくことは意味があるかも知れないと思います。このユッケの場合で思うのは、本来どうも朝鮮の料理文化体系ではマイナーだったように思われるユッケが、生で魚や肉を食うのが好きな日本人にむやみと導入されたため、先年のような食中毒死亡事故を惹起した、というような関係はあるのかも知れない、そんな風にも思うのです。

 そう言えば、日本への稲の伝来も大陸の品種の一部だけで、最初に導入されたのはごく少量だったのではないかって指摘を読んだことがあるような。佐藤洋一郎『稲の日本史』asin:4047033375だったけか。
 まあ、通常、当該社会で十分な地位を築いている人間が、わざわざ移民なんてしないだろうから、周縁的なものが優先的に搬出される可能性はあるかもな。