山田康弘『つくられた縄文時代:日本文化の源像を探る』

つくられた縄文時代: 日本文化の原像を探る (新潮選書)

つくられた縄文時代: 日本文化の原像を探る (新潮選書)

  • 作者:山田 康弘
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2015/11/27
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 縄文本三冊目。まとめて借りた本のラスト。めちゃくちゃ読むのに時間がかかった。脳のあんまり使わない部分を使わされている感じで。
 以前、一度挑戦して、あえなく力尽きた本に再挑戦。今回の本命。


 縄文時代研究者による、「縄文時代」論。
 縄文時代がどのように論じられてきたか、列島内での多様性。確かに、言われてみれば、「新石器時代」で良いんだよね。それを、わざわざ「縄文時代」と区分する意義。一方で、縄文文化の地理的分布はちょうど、日本列島内に収まって、一国史の時代区分としてお手頃だったり。そのあたりの、微妙な矛盾感がおもしろい。


 最初の2章は、縄文時代の言説史。戦前においては、そもそも、弥生時代と識別されてなくて「新石器時代」と一括されていた。というか、19世紀においては、新石器時代人=アイヌ説だの、「コロボックル」説だのの議論が交わされていたのか。比較的早い時期に石器時代の研究成果が反映された一方で、1920年代以降は神話に関する記述に追いやられてしまう。「縄文時代」というタームが教科書に出現するのは、戦後、日本が独立を回復した時期で、いわば、「日本」としての自己主張が背後に存在するという。
 また、この時期の縄文時代は、農耕社会の弥生時代と対比されて、貧しい時代と見なされていた。これは、1980年代から90年代の、さまざまな遺跡の発見によって塗り替えられるまで続いた。
 70年代から交わされている「縄文階層化社会論」の議論が興味深い。北米先住民の民族誌や墓地・副葬品の解析を通じて、突出した個人の存在とその継承が議論されている。ここいらあたり、簡単にまとまった本はないのかな。マメにしろ、クリにしろ、十分農耕をやっているといっていい社会だし、階層が作れる程度の蓄積があってもおかしくない感じはある。後で述べられる「系譜的死生観」が、墓地に表現されているという指摘と考え合わせると特に。


 第三章は、「縄文時代」の時空間的広がりについて。
 最初は、縄文時代の始まりの時代区分について。土器の出現、土器使用の一般化、縄文時代的生業・居住形態の確立と、それぞれの根拠で議論があるそうな。どうせ、時代区分なんて乱暴な物なんだから、土器の出現でえいやとぶった切るのが良いんじゃないかねえ。後二者を採用すると、移行期をどう表現するかなんて問題も出てくるし。ここいらあたり、鎌倉時代の始まりをどうするかという議論と一緒だなあ。
 終期に関しても、稲作文化の導入と拡散をどう評価するかで議論があると。土器編年の時代相場とC14測定による年代観の乖離。結構、土器編年の時間経過の相場観と乖離しているという感覚は大事かもしれないなあ。歴博式の年代観を導入すると、水田稲作の拡散の時間経過が相当長くなる。
 縄文文化の空間的広がりも興味深い。北海道では、道東北部に縄文人の生活文化が及んでいない。寒冷地には縄文人は拡散できなかった。また、朝鮮半島とは、物の交換は色濃く見えるが、移住混血といった交流は、言葉の壁もあるのかほとんど見られない。琉球列島方面は交流・影響がかなりあるが、こちらも縄文文化に入れてしまって良いのか留保が必要。また、縄文人は形質の変化が少ない。一国史の枠組みに非常に好適な分布をしているという。


 第四章は、逆に、列島内での社会のあり方の多様性に関して、中国地方の縄文社会の姿をモデルに議論する。山陰を中心とする中国地方では、人口密度が非常に低く、住居二棟、集落あたり10人程度の集団で社会が構成されていた。血縁で結ばれた集団で、住居も簡素で移動性の高い人々であった。さまざまな季節的資源を、移動しながら利用する。
 逆に、東日本では大集団が一カ所に定住する社会が存在した。人口密度が高まると、集団内の軋轢の解決、衛生問題などの処理のために、社会は複雑化する。結果として、宗教的・社会的儀礼が発達し、それに利用される「第二の道具」である祭祀具類が多様且つ大量に製作されることになる。
 縄文時代縄文文化という大きなまとまりの下に、もっと文化を細分化できる可能性がある、と。


 最後は、縄文人の死生観について。
 男性と女性の交合による生命の誕生をモチーフとする円環的死生観が共有され、それほど死者を怖れていなかった。土器を子宮に見立てた土器棺墓などが広く見られる。
 一方で、先祖の個人的・社会的記憶を共有する系譜的死生観もあり、血縁や子孫先祖関係を操作して、社会的・血縁的関係を創出する、擬制的同族関係の創出などが行われた。それらを表現する、さまざまな墓制のあり方が見られる。
 いったん、系譜関係をリセットする、個人を分からなくする合葬という方法論が興味深いな。あと、さまざまな系譜関係を接合する「遺構更新」に関しては、 関雄二編『古代文明アンデス西アジア:神殿と権力の生成』のキーとなる「神殿更新」と比較できる感じがする。
古代文明アンデスと西アジア 神殿と権力の生成 (朝日選書)

古代文明アンデスと西アジア 神殿と権力の生成 (朝日選書)

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 朝日新聞出版
  • 発売日: 2015/08/10
  • メディア: 単行本


 以下、メモ:

 まず、何が一九八四年版から落ちたのかと言えば、「収穫物はみんなで公平にわけあった」という記述である。二〇一三年版には、そうは書いていない。実は縄文時代において、このような収穫物を等しく公平に分配したという物的証拠は存在しない。そればかりか、最近では民族学的な研究により、食料の貯蔵を行う狩猟採集民の間では、分配が不平等であるばかりではなく、特定の人々が収穫を独占する場合さえあることが明らかとなってきている(テスタール一九九五)。一方、縄文人は一年間の生活を計画的に考えて、食糧を貯蔵する、学問的にはコレクターとよばれる人々であったと考えられている。そのため、このような「分配」において、民族学的にみて何らかの不平等が存在したということは、想像に難くない。p.73

 へえ。平等的性格の高い社会であったと思っていたのだが、違うのか。そういえば、猿でも、序列が高い個体が、食料の獲得のチャンスが高かったりするもんなあ。
A.テスタール『新不平等起源論:狩猟=採集民の民族学法政大学出版局、1995

 さらに、関東地方において多数合葬・複葬例が行われたのは、縄文時代後期初頭の時期にほぼ限定されることもわかっている。ちょうどこの頃は、それまでの大型集落が気候変動などにより一度分解し、少人数ごとに散らばって小規模な集落を営んだ後、再度人々が新規に結合し大型の集落が形成されるようになる時期にあたっている。これらの点から、私は多数合葬・複葬例を「集落が新規に開設される際に、伝統的な血縁関係者同士の墓をいったん棄却し、異なる血縁の人々と同じ墓に再埋葬することによって、生前の関係性を撤廃し新規に関係性を再構築するものであり、集団構造を直接的な血縁関係に基づくものから地縁的な関係性に基づくものへと再構成させる行為であった」と理解している(山田二〇〇八b)。集落の新規統合が行われた時に、集団統合の儀礼、その象徴のモニュメントとして多数合葬・複葬が行われたのであろう。p.210

 おもしろいなあ。地域を再編するために、今までの系譜関係を一度リセットする。
山田康弘『生と死の考古学』東洋書店、2008