- 作者: 松涛弘道,「世界の葬送」研究会
- 出版社/メーカー: イカロス出版
- 発売日: 2009/06/15
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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イスラム圏が、戒律によって、土葬以外できないと。しかし、「最後の審判」の時に体が残っていなければならないとすると、乾燥保存あたりの方がいいんじゃなかろうか。インド亜大陸の遺棄に近いような葬送法。ヨーロッパやアメリカでは、キリスト教の影響力が低下して、葬送儀礼の簡略化が続いている。アフリカや中南米先住民の独自の世界観による葬送文化。日本の葬送文化は、仏教と儒教のハイブリッドという点で、やはり東アジア圏の葬送文化って感じだな。わりとあっさり忘れ去る文化から、死者を恐れる文化まで、いろいろとあるんだな。
鳥葬って、単純に鳥に食べさせるんじゃなくて、積極的に人体を解体して、最後は骨も砕いて、徹底的に跡形なくすんだな。ある意味、衛生的だけど、凄まじい話だ。
ガーナの派手棺が紹介されるかと思ったが、全然言及されなかった。つーか、ガーナでは、棺桶だけではなく、葬儀全体に金がかかるのか。葬儀にこだわる文化なのな。
ラストと最初の日本に関する話がなんだかなという感じ。「骨フェチ」と「遺体に無関心」って、どっちなんだよ。複数ライターなんだろうけど、そのあたりはすりあわせしておくべきなんじゃね。あと、監修者のエピローグが頭痛もの。
しかし、明治時代には火葬は一割程度で、戦後急速に火葬率が上がったということは、火葬に関する儀礼や作法って、わりと最近、「創造」されたものなのかね。お骨を箸で受け渡すとか、骨の骨壷への納め方とか、いつからのものなのだろう。
以下、メモ:
チベット自治区では前述のように鳥葬が一般的に行なわれている。遠藤ケイ氏の著書『アジア包』(山と渓谷社)によると、チベットでの鳥葬は次のように行なわれるらしい。
集落から離れた山の中、大小の石が転がる荒涼とした一帯に、カラフルな布が場違いに散らばっている。死者が着ていた服だ。それが鳥葬場の目印である。運ばれてきた遺体はそこで解体される。まず、鳥葬師が遺体をうつぶせにし、背骨に沿って包丁で切り開いていく。それが済むとあおむけにし、お腹を切り開いて内臓をつかみ出す。続いて頭や手足を切り落とし、ろっ骨をバキバキ折っていく。そのころには群れをなしたハゲタカが飛来し、解体された人肉を食べはじめる。肉が大方食べられると、鳥葬師がひとまずハゲタカを追い払う。残っているのはおもに骨なので、鳥葬師はその処理にかかる。ろっ骨をたたき割り、腰骨や大腿骨などを粉々に砕いていく。頭は髪の毛がついたまま皮をはぎ取り、脳みそを取り出したら頭蓋骨をたたき割って細かく砕いていく。再びハゲタカの群が集まってきて、残った脳みそや肉片を平らげていく。すると小さな骨片以外、肉体の痕跡は残らない。人はハゲタカとともに天空へ還るのである。p.58-9
うーん、凄まじい。
効率的に人体を破壊していくのだな。しかし、この「鳥葬師」って、専門的な職能のようだけど、チベット社会の中で、どういう扱いなのかね。高い身分なのか、あるいは蔑まされるのか。