金菱清『震災メメントモリ:第二の津波に抗して』

震災メメントモリ: 第二の津波に抗して

震災メメントモリ: 第二の津波に抗して

 復興に際し、被災者の意向がないがしろにされ、トップダウンで復興計画の策定が行なわれている。むしろ、復興における地元のコミュニティのポテンシャルを重視し、コミュニティがショックドクトリン的な政治の動きを取り込み自らの問題解決に役立てたり、災害のリスクを社会的に取り込み生業の維持を図る装置を作り上げるなど、独自にレリジエンスを発揮していることを指摘する。また、「死者とのコミュニケーション」、すなわち、被災者の精神的再建、死者への思いの昇華に果たすコミュニティの重要性を指摘する。各所で発表した文章をまとめた本。エロゲにかまけてて、読み終わって時間がたっているので、ちょっとまとめにくいが…


 第一章と第二章は、死者とのコミュニケーション、その際にコミュニティや祭礼の重要性について扱っている。行方不明者や死者に対する「もしあの時…なら」といった思いという「彷徨える魂」が、遺族を死の側に容易にひきつけてしまう。このような、精神的に不安定な状況に対して、名取市閖上の箱塚桜団地の仮設住宅自治会のような私生活に強力に介入する「過剰なコミュニティ」の持つ効用。あるいは、各地の祭礼の復活状況から、コミュニティと神社の関係やコミュニティの統合のツールとしての祭礼についての調査など。「死者」を災害の復興や社会学的研究に組み込む必要性。


 第三章から第五章にかけては、地域のコミュニティが、常襲災害のリスクを飲み込み、地域で生業を営み続ける活動に焦点を合わせている。
 第三章「内なるショック・ドクトリン」では、市場主義的・行政主導のショックドクトリン的な改革案を、地元のコミュニティがキャッチアップし、コミュニティ内部で今までの問題解決や生業の再建に利用している姿を描く。「水産業復興特区」制度を受け入れた桃浦が浜での仕事を存続させ、移転を余儀なくされた漁民から漁業権の剥奪を防ぐために使われている実情。あるいは、志津川戸倉の協業による過密養殖の調整、重茂の弱者の生活保障システムなど。「非日常を飼い慣ら」し、地域の生業を継続させるシステム。
 第四章「千年災禍のコントロール」は、その土地に住み続ける人々の論理を飯館村の花卉農家や十三浜の養殖漁民への聞き書きから析出する。土地にこだわることがソフトレジスタンスになる。あるいは、十三浜のワカメ・コンブ・ホタテ養殖とウニ・アワビ漁という複合的な経営による通年経営の開拓。さらに津波による被害に応じた経営資源の分配といった、生業の維持のための共助。こうしてみると、価格変動リスクにさらされやすく、さらに自然災害の危険もある、一次産業において、企業より、土地に根ざした家族経営の方が粘り強く地域を維持し続ける可能性において優れているのではないだろうか。すぐに、「企業」や「市場」といったキーワードが出てくるが、実際には安定性においては「生業」の方が強いのではなかろうか。
 第四章「「海との交渉権」を断ち切る防潮堤」は、防潮堤を拒否する気仙沼が、海の恩恵、特に外部から出漁してくる漁業者をひきつけることで都市を維持し、生活と海が隣り合ってきた歴史。そこから、一律の防潮堤建設に反対する市民の背景を紹介する。


 第六章「震災メメントモリ」は、被災者・遺族の精神的再建の手段として、「記録筆記法」の有用性を主張する。書き残すことによって、震災体験を客観視し、それによって「あの時ああすれば」といったネガティブな思考を和らげる。一方で、被災者の痛みを忘れたくないという思いも掬い上げることができるという。巻末に、被災者の手記が収録されているが、身近な人の突然の死という精神的負荷の上に、葬儀の手配や法的手続きなどが大きな重荷になるのだなと。葬儀には、遺族の精神的再建の機能もあると思うが、突然の死に、イレギュラーな手続きが重なると、逆に精神的ダメージになると。


 全体として、復興におけるコミュニティの重要性を指摘している。
 さまざまな都市計画や危険区域の指定などが行なわれているが、それは、地域の再建には、むしろ有害であること。再建は、地元の論理を可能なかぎり拾い集める必要がある。トップダウンの「復興計画」は、誰のための「復興」かを、根本的にはき違えているのではないだろうか。


 以下、メモ:

 しかし、人びとのほんの小さな"つぶやき"が大きな意味をもっていることがある。ある女性が私にこんなことを話してくれた。なんでも仮設住宅で暮らす高齢者が畑を耕しに、自分のふるさとに戻っているという。心を癒され、笑顔を取り戻すことが多くなった。とkろが、津波に流されて誰も住まなくなったふるさとにバスは運行されない。高齢者が自力で行けない、というつぶやきが洩れるゆえんである。
 残念ながらこのようなほんとうに小さな声は「復興」というスピード感をもった言葉によってかき消されているのが現状である。ただし、ここにはたいへん重要な問題が隠されている。それは被災地において高齢者の認知症の防止には、何よりも自ら意思を持って何かに働きかけることが大切であるが、そのための福祉行政がなおざりにされている。実はこのふるさとは現在「災害危険区域」に指定されており、住宅建築が制限されているが、この制度の一番の問題はなによりも人びとが働きかけるべき「ふるさと」を否定するところにある。すなわちこのような空間の再編は場所性を喪失させ、「第二の津波」による心身の剥奪にもつながることを物語っている。「災害危険区域には誰も近づかせない」ことで、逆に高齢者の心身の健康を危険にさらし、移動の自由を奪っていることに行政は気づいていない。この女性のつぶやきは何千億円もの防潮堤、立派な道路を望んだりするものではない。ほんの少しの工夫や改善ですむ話である。ふるさとと仮設住宅を結ぶ福祉バスまでは無理でも、数百メートル手前で止まっている停留所を元に戻す、たったこれだけのことである。p.�矼

 そうなんだよな。「上から」のこういう空間再編の有害性。災害を利用した区画整理がどこまで有害かという話。結果として、住む人を遠ざけ、再建を遠ざけている。そもそも、阪神大震災で、失敗とわかったことを何故繰り返すのかね。

 ただし学問の世界では、こうした事態は大規模災害時に起こりうることとして、ある程度想定されている。とりわけ一九九五年に発生した阪神・淡路大震災の災害研究では、より大規模な災害について警鐘を鳴らしている。そのなかでも特に注目すべき研究は、京都大学防災研究所が中心となって発表した論文「大規模災害時における遺体の処置・埋火葬に関する研究」(舩木ほか 2006)である。
 国や地方公共団体のほとんどは、災害時いかに犠牲者を軽減できるかに力を注ぎ、犠牲となった死者への対応は防災行政にとって“禁断”の領域になっていることを指摘している(舩木ほか 2006:448)。その上でこの論文は、阪神・淡路大震災当時から改善された点といまだ未解決である問題点を洗い出し、最後に、当時の予測で死者が2万4700人にのぼる可能性があるとされた東海・東南海・南海地震、および首都直下地震などの広域災害を想定して、大規模災害が発生した場合の火葬処置の広域的な協力体制の重要性を訴えている。一地方自治体での火葬数には限界があり、たとえば宮城県を例にとれば、火葬場は28施設、最大の火葬能力は一日179体で、それが災害時には125体(最悪63体)まで落ち込む。10万人当りの人口数に換算すると、一日7.6体(全国平均:11.1体、東京都5.5体、大阪府4.4体)の遺体しか火葬処理できない計算になる。これをブロックごとに災害時対応を行えば、11.3体まで上げることができる。その結果、関東ブロックを例にとれば、火葬場が70%稼動した場合、東京都単独で二四日かかるところを、ブロック協定によって14日程度まで縮めることが可能となる。東南海・南海地震の予測では高知県では66日もかかる。これは想定死者数が大幅に見直される前によそくされた日数である。実際に女川町でそうだったように、火葬まで二ヶ月以上かかるというのはもはや架空の話ではない。
 東日本大震災では、石油基地やタンカーの入港できる港湾が激しく損傷し、車の燃料であるガソリンが長期にわたって不足することで、遺体安置所へ/からの搬送、身元確認の作業、火葬場の燃料など遺体処理に関する手続きがすべて滞留することになった。想定規模の災害であっても、予期せぬ事態に対する対処は今後の課題となるだろう。p.10

 遺体の火葬の問題。阪神大震災でも、相当時間がかかったというのはどこかで読んだな。結局、東日本大震災でも、一時的な土葬などの対応が行われたわけだし。火葬は、燃料がいるだけに厳しいな。あと、遺族が遠くに出向かなければならないというのは、ブロック化の欠点だよなあ。機動火葬場でも作るしかないんじゃね。葬祭船か…

 災害で突如として生を中断しなければならなかった非業な死を、私たちはどのように昇華できるのか。社会学者の荻野昌弘は、昇華の原理を「追憶の秩序」という概念を用いて説明する。追憶の秩序とは、天変地異などの不幸の精神的処理として、かつて共同体の成員であったり、共同体とのなんらかの関わりがあった死者の霊を喚起することで、共同体秩序が編成、再生産されることを示している(荻野 1998)。
 また、死の無念を昇華する社会・文化的装置を、いかに社会集団として立ち上げるのか。災害後の決意として表明される復興という言葉から、往々にして道路や住宅建設などの物質的側面に目を奪われがちだが、このようなハード面だけでなく、ソフト面への配慮や工夫に注目したのが、山泰幸の「象徴的復興」である。山は物質的資源に加えて、宗教儀礼などの文化的資源が大切だとし、象徴的な意味体系のレベルでの回復を「象徴的復興」(山 2006)と名づけている。p.31

 災害対策としての、死者追悼。阪神大震災では、追悼式典などが機能しているわけだが、東日本大震災では被災範囲が広いだけあって、そのあたりも大変そうだな。
→荻野昌弘『資本主義と他者』関西学院大学出版会、1998
 山泰幸「「象徴的復興」とは何か」『先端社会研究』(関西学院大学)5、2006

 潜在していた津波リスクが顕在化した現在、沿岸地域は危険であるという認識のもと、10メートルを超える防潮堤の建設、居住を禁じる災害危険区域の設定、そして内陸の高台移転を促進する方策として移転促進区域の設定、住宅団地の整備、移転者に対する助成等の防災集団移転促進事業が国土交通省によって進められている。これら一連の政策は、災害対処法として考えると、リスクフリー。すなわち可能な限りリスクをゼロにできるという思想に基づいている。いずれも、津波を外部条件としてどのようにそれを「避けるのか」「海から離れるのか」という政策である。
 個別のケースはさておき、この思想が際立って現実離れしていることは、次の数値をみればあきらかである。東日本大震災において、津波の浸水区域を日本全国に当てはめた場合、海岸線からの距離が10キロ以内で標高30メートル以下の地域となり、実に日本の国土の10%(約3万7000平方キロメートル)、総人口の35%に当たる4438万人が居住する地域に広がることが、国土交通省の分析で明らかになっている。さらに集中豪雨、豪雪、洪水、暴風、土砂崩れ、地すべり、活断層、火山噴火、あるいは近年の大型台風、竜巻などさまざまな災害リスクを掛け合わせていくと、日本の国土全体において安全に住める土地はほとんど皆無とさえいえる。それにもかかわらず、行政や都市計画の専門家は「安全・安心」を志向し、つねにリスクフリーの「ユートピア」を描こうとする。p.86

 実際、高地への集団移転は、今度は土砂災害の危険をもたらすんじゃないかね。立地が悪いと、今度は30年後あたりに起こる宮城県沖地震で、地盤災害激増という事態をもたらしかねないと思うのだが。
 基本的には、現地で再建、問題があるならその後に少しずつ進めるべきことだよな。

 その後、養殖銀鮭は安価な輸入品に押されて価格が暴落し、施設や餌代など、膨大な借金を養殖業者に背負わせることになった。漁民の間では「餌だけでなく山まで喰ったとか、家も人も喰った」という噂話が伝わっている。銀鮭養殖は、民間資本が参入・撤退した負の歴史として、当地に深く刻まれている。水産業復興特区構想に反対する理由のひとつはここにあった。p.125

 すでに民間資本は失敗していると。まあ、企業が自分でリスクを負って、大規模に投資・開発すれば、対抗できる可能性はあるけど。その場合、海岸地域の無人化はさらに進むだろうな。

 父のカバンの中に残っていたのは、何もかも茶色く砂だらけになっていた。父は、いつもカバンの中に小さなセカンドバッグを入れていて、そこにサイフや鍵、ケータイの充電池などを入れていた。でも、帰ってきた父のカバンの中には、そのセカンドバッグだけがなくなっていた。私は現金なんかどうでもいいから、サイフの中に入っていた父の免許証と、父が大事に持ち歩いてくれていた私の成人式の写真を、どうしてもあきらめきれず、もう一度、遺体安置所に連絡して探してもらったが、それは見つからなかった。後日、警察に届けを受理してもらっても、そのセカンドバッグだけは、手元に戻ってこなかった。警察官からは「現金が入っていたものだから、きっとお金を抜かれて、その他のものはどこかに捨てられたんでしょう」と言われた。その時は、そういう死体相手のおいはぎみたいな事件が多発してた。p.207-8

 うーむ、大津波の直後に、被災地に入って、遺体から金目のものを引っ剥ぐって、なんか怖い話だな。日本人は略奪しないなんて、嘘としか。