「記者有論:編集委員伊藤智章:災害復興奥尻の「教訓」を生かせ」『朝日新聞』13/7/27

 北海道南西沖地震から20年の奥尻島(北海道奥尻町)を取材し、あまりに寂れた町の様子にショックを受けた。大津波の跡はすっかり無くなり、インフラは整備されたが、街は閑散としている。
 復興期間の5年を中心に投じられた資金は、国、道、町合わせて760億円。当時の町の一般会計の17年分に当たる。防潮堤、住宅団地、道路、学校などを造った。義援金190億円をもとに、町は住宅再建に最大1250万円、商店再建に4500万円を補助した。土地は3.3平方メートルあたり2万3千円で分譲しており、無借金で家を再建した人もいるという。
 その結果、当時、函館市局員だった私が見たがれきの街は、広い公園とまっすぐな道の両側に商店や住宅が並ぶ近代的な街になっていた。防潮堤の高さまでかさ上げした住宅団地もあり、海が見える。
 ところが、人口は激減し、地震前の4700人がいまや2900人台だ。主要産業の漁業。観光業がともに不振で、地震前の水準を大きく下回り、働き口がない。公共事業削減で建設業もピンチだ。町商工会の134会員のうち、60歳以上が7割で、多くは後継者がいない。
 税収減と地方交付税削減で、町財政も厳しい。築50年余の町庁舎の建て替え基金さえ、取り崩している。「20年前、義援金の一部を将来のために残しておくべきだった」。当時、町議だった新村卓実町長は悔いを話す。
 だが、復興計画の立案にかかわった元町職員や元道職員に聞くと、「目の前の人口減を止めるための施策で精一杯だった」という。今日の暮しに困る被災者が大勢いるときに、将来に向けた投資にカネを回すのは。ふだん以上に難しかった。
 同じ轍を東北が踏まないか、気がかりだ。奥尻町には東日本大震災後、被災地などから視察が急増している。多くは防災インフラを見学するだけだが、負の側面も見るべきだ。再建した小学校が10年もたたず廃校になり、別の小学校は、1階を空洞にしたピロティ構造こそ立派だが、裏山に逃げる急坂の補助具はロープ一本だけ。現場に立てば、計画を細部まで練り上げる必要性を痛感するはずだ。
 この町でも水産物のネット販売など新しい動きがある。震災後、「津波語り部」活動も始まった。住民は、勇気をもって復興の「失敗」についても語ってほしい。災害列島にとって貴重な教訓だ。

 まあ、少なくとも身の丈以上のインフラ投資は、自らの首を絞めることになるわな。しかし、北海道南西沖地震の時には、奥尻島の被災者は至れり尽くせりの支援を受けているんだな。住宅の再建に1200万円もらえば、ずいぶん楽そうだ。それでも、人口減少は防げなかったというのが恐ろしい。問題は、従来からの基幹産業が結局、再建できなかったとこにあるよなあ。
 東日本大震災でも、同じような事態になる土地は多いだろうな。長期的に言えば、国内の漁業の衰退は不可避だろうし、東日本大震災はその過程を早めたという側面もある。地域の基幹産業をどう回復・発展させるかが一番重要な問題だと思う。