石井光太『遺体:震災、津波の果てに』

遺体―震災、津波の果てに

遺体―震災、津波の果てに

 東日本大震災の時、釜石市でどのように遺体収容が行なわれたのかを、定点観測的に描いたドキュメント。似たようなテーマで全体を見渡した吉田典史『震災死』と併読すると良いのではないだろうか。遺体安置所の運営をになった方を初め、遺体の検死を行なった医師や歯科医、安置所への搬送をになった自治体職員、自衛隊員や消防署員、消防団員、葬祭業者、市長、多くの人々が、極限状態に直面し、どう考え、どう行動したか。


 印象的なのは、被災地では自分の目の前以外の状況がまったく見えないということ。内陸の津波をかぶらなかった土地の人間が、被害を受けた地域の惨状を認識するのに時間がかかっている。時間をとって、見に行かないとわからない。むしろ、被災地の外、九州にいた私の方が、リアルタイムでの津波被害の規模や威力については、早く情報を得ていたのではないだろうか。俯瞰的な情報を得る上でのマスコミの威力、そして、被災地の情報過疎状態を明瞭に表しているように見える。


 あと、遺体の収容、安置所の設置運営、検死、さらに火葬場の運営と様々な局面で混乱が見られたこと。平素から、遺体の収容のための人員をどこから出して、そのための資材をどう手当てするか、準備をしておく必要がある。阪神大震災でも、火葬が追いつかず、かなり危機的な状況になったことは、高橋繁行『葬祭の日本史』金菱清『震災メメントモリ:第二の津波に抗して』で紹介されている。今回、火葬場の破損や燃料調達の問題から、仮埋葬が行なわれたが、教訓として、なんらかの対応が必要だろう。今度は西日本で東海・東南海・南海地震が、100年前後くらいのスパンで、確実に起きるわけだし。
 棺桶が調達できなかったことも印象的だな。多数の死者が出る災害の場合、棺桶が大量に必要になる。先日読んだ『首都水没』で、大正六年の東京湾の高潮災害で、葛西村の村長が、東京の知事に「棺箱! 送って頂きたい!」と開口一番いったと言うエピソードが印象的だったが、東日本大震災でも大量の棺桶が必要になり、かつ、円滑な供給が行なわれなかった。阪神大震災でも、棺の供給が不足して、火葬時に板の上に載せて炉に送った事例もある。葬祭業者と連携するなりなんなりして、棺の平素からの備蓄、迅速な被災地への輸送体制を構築しておく必要があるだろう。また、安置所や葬儀の運営などは、いきなり未経験の公務員を送りこんでも機能しない。ここでも、業者との協力体制を築いておく必要があるだろう。遺体発見現場から仮の遺体置き場、遺体安置場まで、遺体を搬送するための担架も、作業従事者の負担軽減のために必要なようだ。
 検死や身元不明者の情報を残すための歯形の確認も、平時からの人員の養成。特に法医学者の増員が必要だろう。本書でも、検死の場面が描かれるが、やはり少数で大量の遺体に対処するために、一人当たりは手間をかけていられない状況が紹介されている。この問題に関しては、本当に溺死なのか――。死因に納得できず苦しむ遺族戦場の被災地で法医学者が痛感した“検死”の限界 ――岩瀬博太郎・千葉大学大学院法医学教室教授のケース|3.11の「喪失」〜語られなかった悲劇の教訓 吉田典史|ダイヤモンド・オンラインも参照。100人を超えると、飽和して、まともな死因の解明ができなくなるってのは、お粗末な状況だな。


 土葬に対する忌避感の強さも印象的。ちゃんと弔われる限りにおいて。土葬も火葬もたいして変わらないと思うのだが。つーか、半世紀前あたりまでは、それなりに土葬が行なわれていたはずなのに、今や忌避されるという、宗教的感覚の変容は興味深い。まあ、実際に弔う立場になると、もともとの家族の墓と、被災時の土葬墓と、墓が分散するのは、お墓参りで不便だけど。


関連:
舩木 伸江・河田 惠昭・矢守 克也・川方 裕則・三柳 健一「大規模災害時における遺体の処置・埋火葬に関する研究」
 『震災メメントモリ』で紹介されていた論文。後で読む。


効率的かつ遺族心理にも配慮した巨大災害時の遺体処理業務プロセスの提案
東日本大震災発災における行政機能と犠牲者対応について
震災のドキュメント 「改葬」の現実 火葬場の問題 日経新聞の連載記事
災害後の遺体管理 一次対応者のための現場マニュアル