「「寛政大津波」の追悼碑修復:南区良覚寺」『熊日新聞』15/5/28

 熊本市南区川口町の良覚寺(吉村隆真住職)にある「寛政大津波」の犠牲者追悼碑が修復され、26日、門徒ら約40人が参加して記念法要があった。
 1792(寛政4)年5月21日、雲仙・普賢岳噴火に伴う眉山の崩壊で津波が発生。対岸の熊本側でも5千人以上が犠牲になったとされる。
 20数年前、東京の大学教授らが同寺を訪れた際、境内で石碑が倒れた状態で見つかった。東日本大震災を機にあらためて災害遺産が注目され、全国から調査チームが訪れるようになったため、同寺が「雨ざらしの状態では申し訳ない」と門徒に修復を依頼。5月上旬、磨き直した石碑を鐘楼の脇の土台に設置した。
 石碑は縦約1メートル10センチ、横約30センチ、右側面に「寛政4年、津波の溺死者170余人を境内に葬った」と読める記述があり、津波の翌年に当時の住職が建てたとみられる。
 吉村住職(41)は「当時、この地域でも多数の犠牲者が出て、寺は遺体安置所として使われていたと思う。今後は毎年、法要をして弔いたい」と話した。   (富田ともみ)

 東日本大震災以後の再評価によって、眉山崩壊による島原大変肥後迷惑の遺産の再評価が行なわれたと。倒れていた供養碑を再設置。しかし、死者170人を埋葬したか。どこに埋めたんだろうな。200年前だと、痕跡も残らないか。
 緑川河口のこの地域は大量の死者を出したが、緑川の川港である川尻では、浸水はしたが、死者は出ないレベルだったようだ。坪井川では高橋まで、白川では長六橋まで遡上しているのだから、恐ろしい。被害の中核は、海浜干拓地だったが。
 あの近辺まで行く機会があったら、チェックしよう。バスの終点があるから、運賃さえ気にしなければ、意外と行きやすそうだけど。



 「島原大変肥後迷惑」について:
「寛政四年(1792)島原半島眉山の崩壊に伴う有明海津波の熊本県側における被害,および沿岸遡上高」 ネット上では一番まとまっている情報源。ただし、ページ数も80ページ以上あって、デスクトップで読むのは少々つらい。
島原大変肥後迷惑 - Wikipedia
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