森隆『石碑は語る:地震と日本人、闘いの碑記』

石碑は語る ~地震と日本人、闘いの碑記~

石碑は語る ~地震と日本人、闘いの碑記~

 全国各地の震災関係の石碑を取材した本。東北から関東にかけてがメインで、中国九州方面は比較的少ない。新しいところでは東日本大震災中越地震阪神大震災、古くは14世紀にまで遡るものも。大体は19-20世紀のもの。津波被害の碑が多いが、山体崩落や直下型地震の被害、地表に現われた断層なども。地震による被害が様々であることを知らされる。関東近辺では関東大震災関係が、西日本では100年から150年周期で起こる東海・東南海・南海地震関係の石碑が多く紹介されている。大阪、和歌山、徳島、高知。
 熊本で、地震関係の石碑というと、思いつかないな。明治の直下型地震があったんだけど。広い意味では、島原眉山の崩落にともなう「島原大変肥後迷惑」の津波の波先石なんかが、有明海沿いに点在するが、家から遠いのでちょっと調べに行くのが…
 興味を引かれた事例をいくつか。
 一つ目は、千葉県長生村の元禄の大津波供養碑。1703年の元禄地震によって起こった津波九十九里浜を襲った事例。東日本大震災のとき、仙台平野を襲ったような感じだったのだろうか。あのあたり、かなり平坦だし、避難も防災対応も難しそうだな。あと、利根川を遡って、あの近辺の湖に流れ込むと大変なことになりそう。
 続いては、「20 お助け橋の勇断」で紹介される隅田川の新大橋の事例。関東大震災で、両岸から火災が迫ったが、警官が避難民の荷物を捨てさせた結果、延焼によって焼け落ちなかったという。現在問題になるのは、自動車かな。ガソリンという可燃物を持ちあるくだけに、火元としての危険性はかなりのもの。しかも、捨てずにすめば、後々の避難生活に便利という点でも、相似。東日本大震災では、津波で流された自動車が、火災の原因になったが。
 続いては、鎌倉の大仏の話。本書では、大仏殿が1498年の大地震津波で失われたと紹介する。もし、この大仏殿の消失が、津波も関連しているとすれば、鎌倉は最悪の場合、かなりの部分が津波に飲み込まれることになるのではないだろうか。背筋が凍る話だが。
 「24 門前町燃ゆ」では、1847年に起こった善光寺地震に関連して、善光寺地震塚を紹介している。これは、かなり早い時期の都市型地震災害といってもいいのではなかろうかと感じた。
 「27 幻の街道」は、渥美半島の海岸を、白須賀宿から伊良湖まで通っていた「伊勢街道」の話。1707年の津波で破壊され、機能を失ったという話。今も、表浜街道な走っているようだから、この「伊勢街道」は、下の砂浜を通っていた街道ということなのだろうか。


 メモ:

 大荷物を抱えて立ち往生する避難者に火災が迫ってきたその時、ある警察官が決断する。「皆、荷物をすべて川へ捨てろ」。貴重品を手放したくないと泣き拒む者、殴りかかる者すらあった。しかし、この決断が人々を救った。p.88

 多数の死者が出た被服廠跡でも、荷物に火が燃え移って大惨事になったというしな。