山賀進『科学の目で見る日本列島の地震・津波・噴火の歴史』

科学の目で見る 日本列島の地震・津波・噴火の歴史 (BERET SCIENCE)

科学の目で見る 日本列島の地震・津波・噴火の歴史 (BERET SCIENCE)

 日本列島の地震・火山災害の履歴を年表形式で整理した本。こうして、整理されると改めて発見があるな。図書館で見かけて、熊本地震も取り上げられているので、思わず借りてきた。しかしまあ、「真剣に考え出したらとてもやっていられないということでもあります(p.3)」は、本当にとしか言いようがないわな。南九州での破局噴火とか、現実に起きるかどうか、考える気にもならないというのが正直なところ。
 とりあえず、山体崩壊の恐ろしさ。1640年北海道の駒ケ岳崩落では700人、1792年島原眉山の崩落では1万5千人、1888年会津磐梯山では500人近く。一気に、土砂が押し寄せるから、死人の数が。あとは、地震に伴う土砂災害に関しては、熊本地震阿蘇山中越地震土砂ダムが印象に残るが、歴史的にも、かなりの被害を出しているのだな。
 あと、関東とか、新潟に地震が多い印象。関東は、1615年M6.5程度、1628年M6、1630年M6.2、1633年M7、1635M6、1648年M.7、1649年M7、1677年延宝房総沖地震M8、1703年元禄地震M8前後、1853年小田原近辺の地震M6.7、1855年安政江戸地震M7、1923年関東大震災M7.9。主だったものだけでも、拾い上げるとこれだけ。100-200年間隔でプレート境界型地震があって、さらに直下型の地震がぞろぞろと。1630年からの20年間は別格としても。なんか、すごいな。
 善光寺地震も怖い。ちょうどご開帳で観光客がたくさん集まっていたところで、火災発生。多数の参詣客が犠牲になった。間の悪さでは、御嶽山噴火を彷彿とさせる。規模が全然違うけど。さらに、土砂ダム犀川を塞ぎ、巨大な水害を引き起こしたとか。現代で起こったら、どう対処するんだろうな。
 あとは、三陸津波の多さ。チリで大地震が起きると、確実に巻き添えを食らうというのがなんとも。逆に、それが東北の人々の津波馴れを引き起こしてしまった側面もあるのかな。1896年の明治三陸津波が海溝型の地震で、その37年後の昭和三陸津波がアウターライズ地震という関係があるらしい。だとすると、東日本大震災でも、かなり長期間にわたって、アウターライズ地震による大規模な津波を警戒し続けなければならないということになるな。八重山諸島津波も怖い。1771年と同規模の津波がくり返し襲っているんだよな。どのくらいの頻度かは、ちゃんと明らかにして欲しいところ。
 2000年有珠山噴火予知という火山科学の金字塔と、その後の、三宅島や桜島御嶽山における対応の失敗というコントラストが印象的。有珠山ってのは、非常に素直な火山なんだな。そこでの成功が、次の成功を保証しないと。
 前半、見開きごとに南海トラフ地震が出てくるのがおもしろかった。近代に入ってからの、実際の地震災害と地震研究の進展の関係を重視した記述も興味深い。


 以下、メモ:

 三陸リアス式海岸のように、奥に行くほど狭くなるV字形をした湾は、湾の奥で津波のエネルギーが集中して大津波になりやすいのです。さらにふつうは、その湾の奥には港があり、つまり集落があるので災害にもなりやすいということになります。三陸地方では、大津波だけでも869年(貞観地震、38ページ)、1611年(『理科年表』では1933年の津波と似ているとしている、また地震調査研究推進本部ではこの明治三陸津波より大きかった可能性もあるとしている)、1677年(海溝型?)、1793年(海溝型?)、1856年(海溝型?)とたびたび襲われている。
 また、1730年にチリで起きた地震、1837年も同じくチリで起きた地震、1868年もチリで起きた地震、1877年もチリで発生した津波が太平洋を渡って三陸地方に襲来しています。またこのあとも、1952年ロシアのカムチャッカ地震による津波、1960年にはチリ地震による津波(180ページ)が日本を、とりわけ三陸を襲っています。p.128-9

 三陸は、本当に津波が多いんだな。最低でも100年ごとくらいの頻度で大津波がやってくる感じか。さらに、同じくらいの頻度でチリの大地震津波を食らう。

 揺れが激しく、それまで震度6が最大の揺れだったのが、この地震によって震度7が新たに定められました。日本は1944年東南海地震、1945年三河地震、1946年南海地震、1948年のこの福井地震と、犠牲者1000人を超える地震に立て続けに4回も見舞われたことになります。終戦前後の混乱期だったので、観測や救援活動、そして報道までもが不十分な時代でした。p.177

 これに水害も加わるんだから、まさに踏んだり蹴ったりだな…

 この松代群発地震は、1970年6月5日に終息宣言が出されるまでの間に、有感地震は6万回を超え、無感地震に至っては74万回を超えています。なかでも、1966年4月17日には、1日で有感地震が582回(2.5分に1回)、無感地震(人体には感じず、地震計だけが感じる地震)を含めると6780回(約13秒に1回)の地震が起こるというすさまじいものでした。終息宣言が出された今日でも、さすがに大幅に頻度は減っていますが、地震そのものはまだ続いています。p.196

 ひえー
 これだけ揺さぶられると、平衡感覚がおかしくなりそうだな。なにやら、マグマで温められた水が上がってきた「水噴火モデル」が紹介されているが、いろいろとあるんだなと。

 この日本海中部地震の場合は、東傾斜の逆断層、東側が隆起するようなものでした。このため、震源域(津波の波源域)が陸地に近くなってしまったのです。津波は震央の位置ではなく、震源域がどれだけ陸に近いかで、地震後どのくらいの時間で津波が到達するかが決まります。太平洋側の巨大地震では、震源域から陸地までの距離があるために、津波がやってくるのは地震が起きてから数十分後になることが多いのに対し、日本海側の地震による津波では、震源域が陸地に近いため地震の後きわめて短時間でやってくる可能性が高いのです。実際、1993年の北海道南西沖地震(222ページ)では、奥尻島地震の5分後に津波に見舞われています。p.210-1

 うーん、日本海側では強い地震の揺れを感じたら、一目散に高台に走らないといけないのか。今のところ、それほど高い津波が来るという知見は見かけないけど、この速さは脅威だな。

 道路・鉄道でも、1980年以前に作られたコンクリート橋脚で大きな被害が出ました。とくに1960年代、1970年に作られたものの被害が大きいという特徴もあります。逆に大正から昭和初期に作られた橋脚では、破損・損傷は受けても倒壊に至ったものはありませんでした。p.230-1

 高度成長期に建設された巨大インフラの品質がいかに低かったのかって話だな。戦前までの施設は、逆に過剰な安全係数がとってあったんだろうな。