佐々涼子『紙をつなげ!彼らが本の紙を造っている:再生・日本製紙石巻工場』

 石巻日本製紙工場が津波で壊滅的な被害を受けてから、操業を再開するまでの苦闘を描いたノンフィクション。ネットでも、いろいろと紹介されて興味を持った。
 東日本大震災の被害状況。早めの避難誘導で、工場内にいた従業員に死者が出なかった。また、周囲では火災が発生したが、工場施設では火災が発生しなかったことが幸いしたな。火災が起きていれば、閉鎖もやむなしの状況だったろうな。避難誘導していて、取り残された守衛さんたちの話が強烈。工場施設の上にのぼって助かったが、怖いだろうな。あと、多数の人を見殺しにせざるを得なかった状況や「匂い」の話も。なかなか危機感というのは抱きにくいのだな。
 その後は避難した従業員の生存の努力や復興への動き。ライフラインがとぎれた時に、一番に問題になるのはトイレなんだな。穴を掘って、テントはって、簡易トイレを作ったが、市役所の役人が飛び上がった話が。衛生的には、やばい話だよな。
 半年で、機械を動かそうと工場長が方針を立て、それが受け入れられた経緯。どう見ても無理な期限設定だったが、市場の状況から、この数字が受け入れられた。最初は最大の製紙機械E6が起動される予定だったが、文庫用用紙の供給の必要から8号が最初に立ち上げられることに決定する。気難しい「8号姫」が初回で動いたところは感動的。
 途中は野球部の話も。こちらも、津波被害で存廃の岐路に立たされた。工場と一緒で、継続が決定される。しかし、練習場や復興にどう関わるかなどで、当事者は苦悩する。駅前の居酒屋の店主の証言も興味深いな。災害直後には、治安が悪化して、火事場泥棒が横行していた。また、いろいろなうわさが飛び交って、人間関係が悪化するとか。日本製紙石巻工場は援助物資を抱え込んでいるとか、いろいろとうわさが流れるんだな。
 パルプが腐って硫化水素が発生する可能性があって、それが妨げになった。特に化学パルプの蒸解釜の中は、パルプが固まって、除去するのに時間がかかった。しかし、中に人を送り込むのは絶対に許可されなかった。事故死者が出ないように気を配っていたという。そういえば、製紙工場もさまざまな薬品を使っていると思うが、そういう薬品の流出や健康被害は大丈夫だったのだろうか。
 とりあえず、出版人や製紙業界の、書籍用の紙の品質に対するこだわりがうかがえる本。このようなこだわりによって、品質の高い書籍が廉価で供給されるのだな。洋書のペーパーバックなんか、本当に紙質酷いもんな。それと比べると、圧倒的に日本の文庫は出来が良い。

 しかしどの顔を見ても、さほど深刻な様子は見られない。それはこの地震の前に起きた二度の大きな地震のせいだ。
 一度目は二〇〇三年の宮城県沖地震。震度は六と決して小さくはなかったが、津波の被害はなかった。次が二〇一〇年のチリ地震津波は観測されたものの、気象庁の発表によると石巻市鮎川で波の高さは〇・七八メートル。やはり直接の被害はなかった。
 二度「津波が来る」「津波が来る」と脅かされたが、たいした津波は来なかったのだ。
 まるでイソップ物語に出てくる「オオカミが来るぞ」と言い続けた羊飼いのようだ。総務課は、チリ地震の避難の折には足並みがそろわなかった、と危機感を募らせていたが、ほかの従業員たちはずっと楽観的だった。p.27-8

 うーん、経験が避難を遅らせるか。
 宮城県ってのは、地震のリスクが突出して高く、30年おきに大きな地震が起きる場所。だが、それだからこそ、悪い意味で地震慣れしてしまっていたんだな。

 石巻工場の8号は、ちょうど角川文庫向けの用紙を製造しているところだったという。さらに、東京有明にある倉庫会社にも製品が置かれていたが、そこも被災し、自動制御のリフトが崩落、出庫が不可能になっていた。p.87

 自動制御の装置って、作業効率はアップするが、災害時には脆弱なのかもな。大学の図書館なんかで、自動書庫を導入しているところが増えているようだけど、地震で破損したら、復旧に苦労しそうだ。