「歴史的大規模土砂災害地点を歩く/いさぼうネット」がおもしろい

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 ここしばらく読みふけっていたけど、日本ヤバいな。大規模な土砂災害の発生地を紹介する連載。地震による大規模崩壊事例を中心に、水害、火山噴火、人為的災害などによる災害も紹介される。土砂災害は、逃げる間もないスピードだけに、恐ろしい。
 つーか、浸食地形は、数百年のオーダーで、ものすごく地形を変えるのだな。歴史的な土砂災害の堆積物が川に削られまくったり。あるいは、崩壊土砂で谷が埋まったり。


 巨大な地滑りや岩屑なだれで山が崩壊。谷を埋めて河道閉塞。からの、巨大鉄砲水で平野を埋め尽くす。歴史時代に至っても、そういう大災害が幾度も起きている。当然、これからも起きうる事態な訳だが、こういうの対処の仕様がないよなあ。
 フォッサマグナ地域の地震に伴う土砂災害はエグい。大規模崩壊が一度起きると、逃げようがない。


 熊本地震でも、阿蘇山を中心に、大量の土砂崩落現象が起きたわけだが、どこでも、地震が起きるとまとまって斜面が崩落するのだな。1751年の高田地震(コラム8、9)、1707年の宝永地震で起きた西日本各地の土砂災害、1847年善光寺地震による長野県の各種土砂災害、1793年の西津軽地震、1891年の濃尾地震、1858年飛越地震、1923年関東大震災の神奈川県から千葉県方面、2004年中越地震魚沼丘陵。山や斜面に面して住んでいる人は、家よりも山崩れの心配をしなくてはいけない、と。


 地理院地図を見ながら読んでたけど、慣れてくると、なんか等高線が不自然に空いているところが気になってくるようになるな。傾斜量図と合わせて、なんか、地すべり地形が見えてくる感じ。
 とりあえず、本にまとまっているけど、6000円かあ…

コラム7: 1792年の島原大変肥後迷惑

 島原の噴火は、近場だけに、気になる話。この種の土砂災害で、最大の犠牲者を出した1792年島原噴火に伴う、眉山の崩壊の話。紹介されている地形分類図が怖い。現在の島原市街にも、眉山崩壊以前の流れ山が存在する。そもそも、島原城の本丸が、流れ山の上に立地している。西の七面山が過去に崩落を起こしようだ。つまり、雲仙が有明海に崩落流れ込む事象は一度のことではない。今後も警戒する必要がある、と。
 「次」があるとしたら、平成新山の溶岩ドームがある山が、ごっそり、水無川沿いに流れるとかかなあ。
 そもそも、岩床山野岳妙見岳、国見岳の稜線は、元の山が崩れた崩落地形だよなあ。島原半島の形成 地質×火山 / ジオパークTOP / 島原市によれば、それが二万年前。その後、島原大変を含めて、二回の崩落が起きているのか。

コラム6: 1707年富士山宝永噴火~長期間に及んだ土砂災害~コラム50 1991年ピナツボ火山の巨大噴火後25年間の地形変化

 火山噴火とそれに伴う火山灰の堆積が引き起こす、河川流路の変動の事例。
 宝永富士山噴火の火山灰堆積とそれによる酒匂川の河道変更。そして、それを落ち着かせる治水工事については本も出ているけど、本当に影響が大きかったんだよなあ。
 ピナツボ山の噴火はもっと派手で、元の谷を埋めて、新しい河川流路が出現。土石流を頻発させた。熱い火山灰に水が触れて、爆発するとか、もう想像を絶する。細かい時系列の地図が見たい。
 グーグルマップを見ると、西麓では、火山灰で天井川状態になっていて、災害が怖い。

コラム49 富士川右支小武川・ドンドコ沢の巨大深層崩壊と岩石なだれ(887)

 過去に大規模崩落を起こした崩壊地形の調査から、いつ、どのように起きたのかを推定する。埋もれた木を回収しての年代測定。C14や年輪年代だけじゃなくて、最近はセルロースに含まれる酸素同位体比から年代を推測する手法が一般化しつつあるらしい。セルロースを抽出して、年輪一年分ごとの同位体比を、既知のデータと比較するらしい。
 あとは、堆積物の観察から、細かく、土砂の動きを読んでいく手法とか。

コラム32 明治24年(1891)の濃尾地震直撃による土砂災害

 なんか見たことある場所だと思ったら、酷道で有名な国道157号線温見峠に続く道じゃないですか。酷道と断層は、仲が良い、と。
 活断層地図で周囲を見ると、細い谷間がことごとく断層で、なかなか怖い。断層が作った谷地形に人間が住み着く。災害は一瞬、恵みは永久って感じもあるなあ。
 山県市の鳥羽川伏越しは、なんか、河川改修で付け替えられてしまっている。残念。
 あと、岐阜県西部では断層が北西-南東に並行して走っているけど、これが岐阜県東部になると北東-南西に走っているんだよな。どういう地殻変動があったから、こういう違いができたんだろう。

コラム10: 日光・大谷川流域の地形特性と土砂移動特性

 日光も、土砂災害が起こりやすい地形らしい。その中で、東照宮は土地が安定したところを選んで、建てられている。技術者の見識がすごいな。
 稲荷川の氾濫で近世の町が流されたり、近代にも大水害にあってたり。観光地だからと言って、災害と無縁ではないわけか。

姫川の土砂崩落

 糸魚川・静岡構造線直上の、姫川流域は、大規模な土砂災害も多い。その事例が、コラム15: 1502年の姫川流域・真那板山の大崩壊と天然ダムコラム16: 1714年の信州小谷地震による姫川・岩戸山の天然ダムコラム35 姫川左支・浦川の稗田山崩れ(1911)と天然ダムの形成・決壊 で紹介されている。一つの河の流域で、これだけってのがすごいな。特に、稗田山崩れが、恐ろしい。あと、もともとの河道は西側にあって、栂池あたりが崩落して谷が埋まって、河道が変わった
 地形の変動のでかさにビビる。

地すべり地形とスキー場

 あと、大規模土砂崩落の跡地が、スキー場として開発されている事例が多いのも面白い。たしかに、土砂の動きが落ち着けば、おあつらえ向きの緩傾斜ができあがるわけで。


コラム16: 1714年の信州小谷地震による姫川・岩戸山の天然ダムの小谷村から白馬村にかけてのスキー場群。コラム25 石打の大規模地すべり(1176)と松之山町湯本地すべりで紹介される、越後湯沢の北のほうのスキー場群。コラム31 天正十三年(1586)の天正地震による土砂災害 に見られる、水沢上の崩落地対岸の平坦地とか。たくましいなあ。

コラム28 明治22年(1889)紀伊半島豪雨による土砂災害

 1889年の災害では、十津川本川沿いで多くの天然ダムが形成され、その後ほとんどの天然ダムが決壊し、本川の河床が30mほど上昇して(図6の読み取りに基づく)、険しいV字谷から少し谷底の広い谷地形に変わりました。川村(1987)や蒲田・小林(2006)によれば、1889年災害以前の十津川は、杉丸太を渡した丸木橋で対岸に渡ることができるほど川幅が狭くて鋭いV字谷でした。しかし、1889年災害後、多数の山崩れや天然ダムの形成・決壊によって、石礫が堆積して広い河原を持つ荒廃河川に変わったと考えられます。

 大型台風で地形が変わってしまう怖さ。