釜井俊孝『埋もれた都の防災学:都市と地盤災害の2000年』

埋もれた都の防災学: 都市と地盤災害の2000年 (学術選書)

埋もれた都の防災学: 都市と地盤災害の2000年 (学術選書)

 遺跡から、過去の地盤災害の痕跡を検出して、現在へとつながる教訓を明らかにする。人間活動と地盤災害が、密接な相互関係を持っていることが明らかにされる。人間社会の変化にともなって、災害の姿も変わるというのが、ストレートに出ているな。特に、近代に入ってから。まあ、「埋もれた都」と言う割りに、あまり「都市」を対象としている感じはないけど。
 C14年代測定法が、大きな武器になっている。有機物の年代測定から、いつの時代に、その地層が堆積したかを明らかにし、比較的最近の地形の変化を追う。つーか、数百年くらいで、かなり地形って変わるのだな。一方で、「有機物が豊富な土壌」というのが、年代測定の材料として、どこまで信用できるものなのだろうか。
 第1章のみ、海外のローマを取り上げ、他は、関西地方がメイン。古墳の地すべりから過去の地震の履歴を明らかにしたり、水辺の地すべり、関西地方で起きた中世後半から近世にかけての植生の破壊とそれに伴う川床の上昇問題。最後は、近世から近代の都市の土地改変が、現在の災害に与える影響。土地制度が災害を防いでいたというのが興味深い。


 第1章は、ローマと災害のお話。ここしばらく頻発して記憶に新しいが、ローマ2000年の歴史で、何度も地震が起きて、ローマ時代の建造物も被害を受けている。あるいは、そもそもローマの地盤が、過去の破局噴火の火砕流による溶結凝灰岩とか、危険度は日本と変わらんなという印象。
 あと、溶結凝灰岩と沖積層にまたがって建てられたコロッセオや旧サンピエトロ大聖堂などが、地質の境目で被害を大きくしている話。ローマ時代から土が盛られ続け、かなり地面が上昇していること。その上昇した場所も、地下水が流れている話。あるいは、捨てたアンフォラを積みあげた丘の話とか。


 第2章は、古墳の地すべりから、過去の地震を復元する話。古墳は、幅20センチ、厚さ5-10センチくらいの単位で突き固めるため、土砂の動きがわかりやすい。そのため、地すべりの土がどう動いたのかを、後から検証しやすい。盛り土の地震による崩壊のメカニズム、海浜で砂浜が液状化した場合の地すべり、斜面の「肩」部分での崩落の危険性など、現在でも役に立つ教訓が得られると。


 第3章は、ウォーターフロントの地すべり。琵琶湖岸近くの湖底遺跡を題材に、水辺は本来不安定な場所であり、現代でも条件が整えば地すべりは起きうると。1325年や1586年、1819年の地震によって、琵琶湖湖岸に多数の地すべりが発生し、集落も飲み込まれていると。アレキサンドリアも地すべりなのか。新しいところでは、1999年のトルコ・コジャエリ地震でも似たような事例が存在する。
 冬の波浪によって、1974年には新潟の粟島で海底地すべりで役場や幼稚園が水没しているとか、2010年にはブラジルのマナウス港湾施設の工事で地すべりが発生しているとか。事例は多いと。


 第4章、第5章は、関西地方の中世における植生変化と、それが地形に与えた影響。発掘による地層の形成とその中で炭化物が豊富な層の年代測定から、どの時代になにが起きたかを復元。ここが一番おもしろい章。
 京都東山は、白川上流域での発掘調査から、火入れをした黒い土壌と土砂崩れによる谷埋め堆積物が交互に検出された。特に、12世紀後半の谷埋め堆積物は厚く、大規模な崩落があったことが指摘される。200年程度の周期で、斜面を不安定化させる地震が発生した可能性。そして、中世以降、東山地域での人の利用と大規模な崩落が頻発するようになったことが指摘される。
 京都の日記や文学作品から、キノコの記述を拾い出し、比較すると、13世紀までは広葉樹林で育つヒラタケがメインで、その後、二次林のアカマツ林で生育するマツタケの記述にとってかわられる。中世以降、京都近辺の山地に強い利用圧がかかったことが指摘される。
 また、2009年に特別養護老人ホーム、ライフケア高砂を襲った土石流の谷を調査。過去の土石流の痕跡から、16世紀後半から17世紀初め、18世紀から19世紀と、比較的新しい時代に土石流が発生していたこと。これらの災害の歴史は忘れ去られていたこと。16世紀までは山の上に大規模な寺院が展開し、それが山地の植生破壊を押しとどめていたが、大内氏の滅亡にともなって衰退。その後、山地開発が進み、土石流の危険度が上がったという歴史の流れが明らかにされる。
 一方、山地の植生が破壊され、土砂が下流に供給されるようになると、水害が頻発するようになる。さらに、それを固定するため、堤防を作ると、洪水堆積物で埋められ、天井川化が進む。
 京都府八幡市の木津川川床遺跡からは、平安末期から鎌倉には川辺に都市的集落ができていたこと。これが、13世紀以降堆積物に埋積。近年の川床の低下で、再び地上に現れた。また、防賀川の流路変更に伴う調査では、基底部の有機質土壌から13-15世紀という数字が出て、東山の状況と同期する。つまり、室町以降、山地の開発が進み、それによって供給された土砂が、天井川を形成したと。
 通説より早い段階で形成された。それが、近世から近代まで続くと。しかし、木津川市周辺の木津川支流は、本当に天井川がおおいな。こういうの、ちゃんと見ておけばよかった。関西地方は花崗岩が基盤だからという、地域性はありそうだけど。


 第6章、第7章は、都市における地形の改変と、それが地盤災害に与える影響。土地制度が、都市部の土砂災害を抑止していたというのが興味深い。
 大阪では、豊臣大坂城を盛り土で埋め、京都では聚楽第が埋められているが、これらの堀跡は、土壌が脆弱で、実際変形が起きていると。あるいは、瓦土を取った後が窪地になっているとか。
 御土居の堀が、右京では、紙屋川の洪水を抑制する役割を果たしていたこと。この堀が明治末から大正初めに、私有化にともなって埋められ、その後、昭和10、26と大洪水に見舞われているのが示唆的だな。
 近世には、都市の土地は原則、公有で、利用権を得ても、強い公的規制がかかっていた。崖下などで災害が起きると、所有者が処罰される可能性があるので、危険な場所では開発が抑制されていたと。これが、明治以降、土地の所有権が私有化され、細切れで売却されることになった。その中で、いったん購入した土地に危険性があるからと利用しないと言うことは難しく、危険な土地が開発されていった。このあたり、まさに御土居掘と紙屋川の水害が示唆的だな。
 さらに、郊外の里山が大規模な住宅開発にさらされ、谷埋め盛土の住宅地で大きな被害が起きるようになっている。熊本地震益城の被害が大きかったが、『検証熊本大地震:なぜ倒壊したのか?プロの視点で被害を分析』を読むと、盛土による宅地開発の影響がありそう。


 以下、メモ:

 土砂災害に見舞われた地域を調査すると、しばしば「未曾有の出来事」、「言い伝えに無い」、「村で初めての出来事」等の言葉を耳にすることがある。しかしその後、土石流が出た谷筋に調査に入ると、そうした証言とは異なり歴史時代の土石流の痕跡を目にすることが多い。方丈記のような優れたルポルタージュは望むべくもないが、紙や石に書かれなかった、いわゆる口碑の保存期間は意外に短く、それのみに頼ることは危険である。p.109

 100年、200年たつと、災害の伝承は途絶えると。2012年の九州北部豪雨と今年の熊本地震でも、阿蘇を中心に土砂災害が多数見られるが、これも、調査すると、歴史時代に土石流が発生しているのだろうか。個々の谷ごとに、データが蓄積されないだろうか。

 氷河期に海面が低下すると、河川のレベルもそれに向かって低下するので、海岸近くでは川による浸食で谷が掘られ、深い谷が発達する。上町台地でもそうした氷河期にできた谷が存在するはずである。しかし、上町台地は、その先端が淀川に突き出ているため、古くから交通の要衝であり、要害の地として難波宮本願寺大阪城が建設されてきた。現在は、さらにその上に大阪の都心が展開しているので、本来の地形はほとんど隠されてしまって、一見しただけでは谷があったかどうかよくわからない。しかし、大阪文化財協会の寺井誠らは、最近の高精度な標高データと多くの発掘結果を総合し、氷河期の谷の分布を推定している。それによると、四天王寺より北の地域では、谷は主に北端部と台地東縁部で発達しており、特に、難波宮大阪城周辺では、何本もの深い谷が台地中央部まで入り込んでいた。p.165-6

→寺井誠「難波宮成立期における土地開発」『難波宮址の研究』12、2004
 しかも、軟弱な土砂で埋められているので危険が高いと。大阪市は、都心直下に上町断層が眠っているから、恐ろしいよなあ。歴史時代に活動履歴がないというのは、危険度が高いと、布田川日奈久断層帯地震で学んだ。

 以上のように、現在そして将来、わが国で頻発する(であろう)宅地谷埋め盛土地すべりの背景には、「冷戦」、「甘いリスク(防衛)認識」、「土地の錬金術」という戦後レジームの三段論法が存在する。それから脱却し、この難しい問題の解決への一歩は、「人に個性があるように、それぞれの土地の地盤条件は異なるので、どの場所にどのように住むのかを決めるのは自分自身の責任である」という、当たり前のことを確認し合うことであると思う。p.198

 冷戦の武器になった持ち家政策、里山を宅地にして売り抜けた錬金術、さらに地盤災害への意識の低さが重なったと。しかし、この問題、「自己責任」ではどうしようもないと思うが。そもそも、土地に対する公的規制の希薄さが問題なんだよな。


 文献メモ:『京都の歴史災害』思文閣出版、2012