山本紀夫『トウガラシの世界史:辛くて熱い「食卓革命」』

 100年か200年で、旧大陸の食卓を赤く染めてしまった香辛料の歴史。
 アメリカ原産の作物が、どのような経路で伝播していったのか。アメリカ産作物としては、トウモロコシやタバコ並みに早く広がった感じがあるわな。比較的寒いところでも生育するので、高価な輸入香辛料を代替した側面はあるのだろう。あとは、やはり辛い香辛料を利用していたところで広がった側面が。ヨーロッパや東アジア圏では、普及が遅かったという文化の差も含めて。
 中南米各地で、四種類のトウガラシが、独自に栽培化されたってのも興味深い。穀物とは、そのあたり、性質が違うのだろうな。脱落性が残ったままというのも含めて。
 無名の人々が、トウガラシの種を移動させたようだけど、誰が南米からアフリカ大陸まで持ち込んだんだろう。南米系の系譜を引く人物が、スペインやポルトガルの商人に雇われ、アフリカで活動したってことなのだろうか。そういう人の流れに乗って、広がっていったのだろうか。


 第1章、第2章は南米のトウガラシ。植物学的な検証から、トウガラシの栽培化の経緯を推定する。メキシコ周辺のアンヌーム種、アマゾン流域のチャイネンセ種、南米西海岸で栽培されるバッカートゥム種、アンデス高地のブベッセンス種が、それぞれ、独立に栽培化され、そのうち世界中に広まったのはアンヌーム種のみであると。これらの四種は、交配実験をすると、たいがいに繁殖率が低く、かなり離れた関係にあるとことから、一元的な起源は否定されると。
 祖先種は、撹乱直後の環境に侵入する「雑草」的な植物。それを人間が選抜したこと。中南米では、脱落性が残ったままで栽培されているものも多く、また、野生種に近いものが風味や辛味から評価されることがある。トウガラシの栽培化に関しては、トウガラシが自然では育たないような場所に移植され、そこで選抜が進んだのではないかと指摘する。


 第3章は、ヨーロッパ。コロンブスの航海以降、アメリカ大陸に進出したスペイン人は、現地の人々が使う香辛料に興味を引かれる。また、胡椒の代替品とも考えられた。薬として評価されたりしたが、ヨーロッパ全体では、ほとんど定着しなかったと。
 トウガラシが食文化として定着している地域としては、イタリアのカラブリア地方とハンガリーが紹介される。
 前者ではトウガラシ・アカデミーの話題が印象的。ハンガリーはパプリカの話。かつては、パプリカは辛かったが、20世紀に入り、農学者が交配を行い辛くない品種を生み出したそうな。ビタミンCも、パプリカから発見されたとか。


 第4章はアフリカ。ポルトガル人がブラジルから持ち込んだこと。ヨーロッパを経由せず、直接、ユーラシア各地に拡散したのではないかと指摘される。ナイジェリアで普及しているトウガラシが、チャイネンセ種であるというのは、傍証ではあるな。ただ、奴隷制でアフリカから人がアメリカに流れる一方で、逆方向の動きはどの程度あったのやら。そもそも、アフリカに常駐したヨーロッパ人は極小数のはずだし。
 奴隷用の食糧として、トウモロコシやマニオクが導入され、このような流れの中でトウガラシも入った可能性。
 また、受け入れる側としては、もともと、辛い香辛料の利用が行われていたことが紹介される。西アフリカ地域ではメレゲタ・ペッパーが、エチオピアではサナフィッチ(エチオピア・カラシ)が先に利用されていて、それにとってかわる形でトウガラシが利用されるようになったと。
 しかし、エチオピアの料理、モノクロ写真でも、辛そうな…


 第5章は、南アジア。インドへのトウガラシの導入は、結構難しい問題だな。16世紀のヨーロッパ人の文献だと、トウガラシはまだ見えない。トメ・ピレスの『東方諸国記』だと、大量の胡椒で辛みがつけられている。一方、16世紀末のリンスホーテンの『東方案内記』だと、「酸っぱい汁」で、辛みはあまり強くないようだ。インドでも、辛さに関しては、地方色が大きかったのだろうか。著者はリンスホーテン段階でのトウガラシ普及を考えているようだが、16世紀から17世紀初頭の段階でに、ヨーロッパ人の注意を引くほどの普及は見なかったと考えるべきではなかろうか。
 あとは、ネパールやブータンインドネシアのトウガラシの普及状況。ブータンは世界一の激辛国らしい。ネパールでは、著者のフィールドワークの経験が紹介される。シェルパの人々は、ジャガイモとトウガラシという南米産の食物に完全に染められているのだな。
 インドネシアでは、西の人口中心地では、トウガラシによる激辛食品の普及。西に行くほど、普及していないというのは、交易ネットワークの粗密が影響していそうだな。ジャワやスマトラあたりは、胡椒の産地だから、激辛料理を受け入れる素地があったのかも。


 第6章以降は、東アジア地域。中国・韓国・日本の順番で。中国や日本では、結局、全国的にトウガラシで激辛料理に染まるといった状況にならなかったんだよな。香辛料利用のあり方で、トウガラシ受容に差が出てくるのかな。
 激辛といえば、四川料理だが、この地域の料理が辛くなったのは比較的最近の話だという。1920年代の旅行記だと、辛いというイメージがない。現在でも、激辛料理は上品とは言い難いとか。また、雲南省チベット人の間では、トウガラシの利用が広まっていると。
 トウガラシといえば、韓国のキムチが著名だが、朝鮮半島でトウガラシが普及したのは比較的最近のことなのだそうな。「毒がある」と言う噂で、なかなか普及しなかったと。明確に普及したのは、18世紀後半以降。普及の要因として、「赤くて辛い」というのが、悪鬼の嫌悪する魔除け食という意義があったのではないかと言う。
 一方で、日本では16世紀末という早い段階で、トウガラシが導入されていたことが、『多聞院日記』などから明らかになる。しかし、あまり普及せず、七味といった辛みを押さえる方向になったし。薬味として一定程度普及を見る程度だった。むしろ、江戸時代には、カラフルな実を楽しむ観賞用として普及した側面があると。
 洋食・肉食の普及が、拡大の景気になった。国内での生産は、朝鮮戦争の特需によって拡大。高度成長以前は、輸出されていたという。なんか、知られざる農業史って感じだな。今の日本では、一次産品の輸出って、あんまり想像できないけど。


 以下、メモ:

 にもかかわらず、鳥はトウガラシの辛みをものともせず、実を食べる。実際に、放し飼いにされたニワトリがトウガラシの実をせっせとついばんでいるところをわたしは何度もアンデス山麓やアマゾン低地で見ている。鳥がトウガラシを好むことは、日本でも古くから知られていたことだ。宝永六年(一七〇九)に刊行された『大和本草』は一三六二種におよぶ、薬用植物を多く含んだ博物学的な解説書であるが、そのなかでトウガラシについて「蕃椒(トウガラシ)を諸鳥好んで食べ、鶏などは甚だ好む、諸鳥の薬なりという」と解説している。つまり、トウガラシは鳥の薬になるだけではなく、ニワトリにいたっては好んでトウガラシをついばむというのである。p.26-7

 へえ。ちょっと検索してみると、鳥にはカプサイシン受容体がないから、哺乳類と違って平気と。で、鳥に食べさせて、種子を散布させる。鳥の消化器を通ったほうが発芽率は良くなると。一方で、邪魔者の哺乳類は、辛くて食べられない。うまく利用しているな。

 おそらく、トウガラシ利用で有名な成都でも長く同じ状況にあったのではないだろうか。先に紹介した張競氏が興味深い例を紹介しているからである。それは、一九二〇年代に中国を訪れた言語学者後藤朝太郎が『支那料理通』のなかで述べている次の一説である。


 四川料理の如きに至っては野菜料理の特色を表わして、野菜が主となり、日本人の口に大層合っているのである。


 張競氏によれば、この本は作者が中国での見聞にもとづいて書いたものだから、当時、四川料理には辛いというイメージがまったくなかったことがうかがえるという。p.147

 四川料理は、つい最近まで辛くなかった。

 このころからコショウの輸入が次第に増え、人びとの生活に本格的にかかわってくるようになる。そして、この朝鮮王朝時代を通じて、コショウの主な輸入元は日本であった。じつは、コショウは熱帯アジア原産の作物であり、朝鮮半島でも日本でも栽培できない。そのため、コショウは南蛮渡来の交易品であり、ふつうオランダ船で琉球国を経て日本に持って来られたのである。
 しかし、肉食を禁じられていた日本ではコショウの使い道があまりなかった。そこでコショウは日本国内での消費よりも、朝鮮に対する交易品として扱われるようになったのである。このころ、朝鮮半島ではすでに肉食禁止のタブーから解放されていたので、このコショウの輸入によって肉食文化はいよいよ深く浸透していったに違いない。p.167

 へえ。日本から転売されていたのか。まあ、オランダは、インドネシアという生産地を押さえているから、充分な供給ができるだろうしな。このあたり、日蘭貿易の研究書では、どう書かれているのだろうか。

 このような状況に大きな変化を与えたのが、昭和二十五年から始まった朝鮮戦争であった。先述したように、韓国ではトウガラシは不可欠な食品であったが、戦争のために全土は焦土と化し、トウガラシの生産も思うように行かなくなった。そして、トウガラシがなければ韓国軍兵士の士気が上がらず、アメリカが日本産のトウガラシを買いつけることになったのである。日本における朝鮮戦争の特需はよく知られているが、意外なことにトウガラシにも特需があったのだ。p.201

 朝鮮戦争にともなうトウガラシ特需。へえ。


 文献メモ:
鵜飼保雄『トウモロコシの世界史:神となった作物の9000年』悠書館、2015
榎戸瞳「江戸時代の唐辛子:日本の食文化における外来食材の受容」『国際日本学論叢』第7号、2010、pp.142-119
緒方しらべ「ナイジェリアの激辛ネバネバシチュー オベ・エウェドゥ」『月刊みんぱく』39-7、2015
加藤千洋『辣の道:トウガラシ2500キロの旅』平凡社、2014
ギョイヨ『香辛料の世界史』白水社、1987
ジョンソン『世界を変えた野菜読本』晶文社、1999
日本生活学会『食の100年』ドメス出版、2001
ツァラ『スパイスの歴史』原書房、2014
ドルビー『スパイスの人類史』原書房、2004
ナージ『トウガラシの文化誌』晶文社、1997
山本紀夫編著『トウガラシ賛歌』八坂書房、2010