大場秀章『サラダ野菜の植物史』

サラダ野菜の植物史 新潮選書

サラダ野菜の植物史 新潮選書

 植物分類学の視点から、サラダに使われる野菜を語った本。いろいろと知らない野菜が出てきておもしろい。問題は、図版が少なくて、どんな植物か想像がつかないところ。ググりながら読むのがよろしかろうと思うが、今回は時間がないのでそこまでできず。
 基本的には、科単位でまとめて、植物を紹介している。キク科、セリ科、アブラナ科がサラダ野菜の中心を占めているようだ。にんじんがセリ科とか、形態は似ているけどレタスはキク科でキャベツはアブラナ科と分類群レベルで違うというのが興味深い。アルファルファもサラダにして食べるんだな。
 あと、日本では野菜の生食は最近の習慣であったが、ヨーロッパでは古くから野菜を生食していたわけだよな。ヨーロッパにしても、衛生上の問題はあったと思うが。屎尿の肥料利用は、ヨーロッパでもやっていたわけだし。どうなんだろう。


 以下、メモ:

 以上で述べた学名と命名の規則は、自然界にもともと存在した植物、つまりは野生植物を対象としている。したがって、野菜やあまたの鑑賞を目的として作り出された栽培植物については、この規則を基礎にしながらも、栽培植物に特有の事情に配慮した別の規則が用いられているのである。これを「国際栽培植物命名規約」というが、日本ではこの規則のことはあまり知られていない。栽培品種の名前は一重の引用符で括って示される。属名や種小名をイタリックで表記する場合では、栽培品種の名(栽培品種小名)はイタリック体にはしない。本書では、サラダ用植物について栽培品種のレベルまで言及することはあまりないので、この規約についてこれ以上の説明は必要ないだろう。p.24

 へえ、栽培植物にも命名規約があるのか。知らんかった。

 若い葉、特に葉の柄の部分を食べるためには、セロリを一年草として育てる。セロリはもともと二年草で、地上部が伸びるだけでなく、地中にカブのように球状に肥大する根のように見える茎を作る。このカブのように肥大した茎も、野菜として利用する。これがセルリアック(celeriac)である。日本では「根セロリ」ともいう。p.87-8

 ネットで調べても結構おいしいらしいが。

 タマネギは、おそらく現在のイラン北部とパキスタン北部からアルメニアにかけての山岳地帯が原産地と推定されている。栽培植物について著名な研究業績を残したヴァヴィロフのよると、栽培化の最初の中心地は中央アジアで、そこから中近東に広がり、そこが二次的な栽培の中心となった。中近東に広がる一方で、東にも伝播し、インドでもかなり古くから栽培されていたといわれている。このように古い歴史があるにもかかわらず、タマネギがヨーロッパ全土に広まるのは、ずっと遅く一六世紀になってかららしい。新大陸に伝わったのも一六世紀で、スペインからであるといわれている。アメリカでは、一七世紀になってから栽培されるようになった。日本にタマネギが伝来したのは、江戸時代に長崎にもたらされてのが最初だといわれているが、栽培されるようになったのは明治一七・一八年(一八八四・八五)といわれている。p.162-3

 へえ。ヨーロッパへの普及は割合最近なんだな。伝統的な食材みたいな面をしているが、新顔か。東アジアへの伝播はいつなのだろうか。

 トマトが食品として利用されたことが記録されるのは、ようやく一八世紀中葉になってからのことである。また北アメリカでも、一七七六年の独立宣言以前に、白人がトマトを食べたという記録は見当たらない。産業としての栽培は、一九世紀に入ってからであった。一九世紀になると、北アメリカでのトマトの需要が急増するので、もっと古くから栽培されていたのではないかと思って調べてみたのだが、今のところそういった文献は見当たらない。移入されると同時に、重要な食品原料になったのだろう。p.182-3

 トマトのヨーロッパへの導入。こちらも本当に最近なんだな。で、受け入れられると同時に、がらりと食文化を変えてしまったと。

 イギリスを例にとってみよう。トマトやジャガイモだけでなく、今日ではメジャーな野菜であるレタス。エンダイヴアーティチョーク、ニンジン、パセリ、キュウリなどが導入され、普及するのは、一六世紀になってからのことである。つまりイギリスでは、一六世紀に食生活の一大転換が起こったのだ。
 おおまかに歴史を振り返ってみると、一六世紀のイギリスでは、絶対王政のもとで毛織物工業が発達し、貿易が経済的発展を推し進めた。羊毛をとるため羊を飼う土地を確保する必要が生じ、農業の変革が起こる。地方地主やジェントリー層が形成されたのも、この時代である。産業と経済の発展が都市を発達させ、一世を風靡したルネサンス文化の影響のもと、新たな都市生活が食生活そのものを変えていったのである。都市の拡大は、自給、あるいは小さな地域の間に留まっていた野菜の流通の規模と範囲を、一挙に広げたばかりでなく、質をも変えてしまった。トマトやレタスなどの野菜は、こうした流通市場を通じて広範囲に浸透していったものと考えられる。
 経済の発展が、サラダ用の野菜を自給物から市場購入物に変えてしまったわけだが、いったん形成された流通市場は、次々に新しいサラダの素材を必要とし、これに応じる形で外国から新たな野菜が導入されたり、さらなる品種改良が進められていったのである。それがイギリスでは一六世紀に始まった、ということなのだ。p.218

 うーん、確かにロンドンの拡大など、経済の変化は起きていたわけだが… どうなんだろう。