高埜利彦『シリーズ近世の身分的周縁1:民間に生きる宗教者』

 以前から読もうと思っていた本をやっと最後まで通読。このシリーズ、続いて撃破せねば。
 本寺から位階を授けられた僧侶のような、「典型的」な宗教者ではなく、芸能や葬送など一般人との境界線にあるような立場の宗教者について扱っている。神道者、神子、奈良春日若宮祭礼に流鏑馬を奉納した願主人、関西地方で火葬を担った三昧聖、北陸における浄土真宗の道場主、虚無僧、陰陽師が取り上げられている。市井で祈祷や芸能を行なって生計を立てている宗教者が本当に多かったのだな。特に神道系はお寺のようなインフラがなくて、ポストの確保には苦労したようだ。また、公的な資格には男性が必須だったために、実態が見えにくくなっている巫女、百姓と武士と宗教者の狭間に立つ願主人などそれぞれ興味深い。
 三昧聖に関しては大仏再建を契機に東大寺龍松院に結集し、それぞれの惣墓の火葬という生業をより有利にしようと組織化が進められる状況。葬儀を依頼する村との軋轢、十分な仕事量を得られる大阪の三昧聖がそれに対して無関心であったなど、周囲との社会関係がおもしろい。
 寺未満の在地の同行中の宗教的結集拠点であった「道場」に差配をめぐって、地元の同行中、上位の寺院、広域の信者団体などが主導権をめぐって争った状況を、吉崎道場とその周辺の道場を中心に追っている。道場というものが不安定な存在で、同行中や上位の寺院とのぶつかり合いが頻発する状況であったことはわかる。
 時代劇で出てくる虚無僧を要する普化宗の話もおもしろい。もともとは尺八を吹きながら托鉢修業を行なうことで「明暗の彼岸」にたどり着くことを目的とする宗派だったのが、18世紀半ばに幕府の規制の中で浪人となった武士が復活するまでの生計手段とすると主張する「侍慈宗」説が唱えられ、幕府の中でも認められるようになる。結果、虚無僧は刑事的な取締りを免れる特権的な立場を得ることになった。しかし、19世紀に入ると虚無僧側からの要求が増大し、村々の側で虚無僧の立入り禁止を金で買う留場料の支払い記録の整備、さらに複数の村で連合して上位の寺への直接持参などの対策がとられた結果、教団に亀裂が入り、1837年に中部地方普化宗寺院同士の縄張り争いの闘乱の結果、幕府の介入を受け教団は解体していくことになる。話の筋はおもしろいけど、村方への要求が拡大する1825年あたりから、すでに組織の変質弛緩があったのではないだろうか。その結果、抑制が効かなくなった可能性は存在すると思うのだが。
 最後は京都の陰陽師の話。有力な陰陽師の家であった若杉家の資料を中心に、土御門家の陰陽師支配の進展について扱っている。土御門家には京都の大黒家や奈良で暦道を支配していた幸徳井家などの競争相手が存在したこと。特に大黒家は宮廷の左義長を主催する役人として有力な資格を備えていたことが指摘される。また、土御門家は京都の陰陽師を上下組に編成し、支配していたが、その支配関係は非常に薄いものであったこと。これが天明4(1784)年以降、変化し、若杉などの有力陰陽師を取り込んだ支配機構が整備され、全国的な支配関係が広がっていくことになる。また若杉家は、土御門家の役人という立場を手にしたことで、安定した家計の基盤を得て繁栄することになる。また、陰陽道が排除された明治以降も、若杉家は陰陽道宗教法人化の運動に関わっていたそうだが、この時期に若杉家はどのような生活をしていたのかも気になる。