久留島浩他編『シリーズ近世の身分的周縁6:身分を問い直す』

身分を問い直す (シリーズ近世の身分的周縁)

身分を問い直す (シリーズ近世の身分的周縁)

 シリーズ締めくくりとして行われたシンポジウムの記録。前半は編者らによる報告、後半はそれに伴う討論を収録している。
 しかし、このシリーズを読んで、逆に近世の「身分」というものが分からなくなったような。本シリーズを通して、大まかに浮かび上がるのはこんな感じか。「仲間」を構成する家≠株によって編成される。由緒を独自に主張ないし共有し、それによって社会的なポジションを確保することができる。身分には、由緒を共有する人々、当局による公認、メディアなどを通じて形成される世間での見られ方と三つの層に別けて考える必要があること。個々の成員は、「仲間」の承認によって身分が保たれる。といったところか。それぞれの巻で、着目するポイントがばらけているので、初心者には逆に分かりにくかった。
 あと、本書、最初のほうはさくさく読めたのだが、報告のラスト吉田伸之「所有と身分的周縁」でものすごいブレーキがかかった。21世紀になろうとしている時代に、ここまでコテコテのマルクス主義的な議論が出てくるとは。「封建制所有」とか、「農奴」なんて用語が、留保なしに並ぶと頭痛がしてくる。そもそも、江戸時代の幕藩体制そのものが、とっても「封建制度」とは見難い。ヨーロッパと比較しても、むしろ近世のルネサンス王政とか、アンシャンレジームに近いことを考えると。一方で、所有という点に着目すると、いろいろと興味深くはあるな。とある「身分」の成員の「所有」は、むしろ仲間の承認を不可欠としていた時点で、「所有」というよりは「保有」と表現したほうが正確なのではないだろうか。5巻の庄屋の章で、村人の経営が立ち行かなくなった場合、惣百姓の協議によって善後策が策定されていたこと。あるいは、牧士の新規登用に際し、仲間に挨拶をしてお披露目を行う必要があったこと。これらの事例は、身分を前提とした不動産や役職の所有は、単独では完結せず、「仲間」の承認によって保有が許されている状況であったことを示しているのではないだろうか。むろん、日常的に介入を受けるほどの規制力はなかっただろうけど、非常時には介入を受ける程度には、所有権は強くなかった。個人の「所有」に関しては、動産に限られたのではないだろうか。
 現実の社会集団と身分的な分類が必ずしも一致していないという指摘も興味深い。一方では、同じ人々にいくつものレッテルを貼り、逆に属性が違う人々を同じ身分にまとめてしまう。前者の事例としては、窪八幡宮に奉仕していた宗教者たちがさまざまな身分に分けられている状況や被差別民の職分に関して。逆に、土御門家による陰陽師の編成が、占いを生業とするさまざまな人々を、「陰陽師」として一括して包含してしまった状況など。
 あるいは、由緒の重要性なども。


 報告に関しては、近代に入って身分制が消滅した結果、宗教的な諸身分がどのような影響を蒙ったかを扱った高埜報告、『人倫訓蒙図彙』を使った観念的な身分編成のイデオロギーが興味深い。
 前者では、社会の中で一定の需要が存在した職業に関しては生き残っていったが、幕府の庇護に全面的に依存していた座頭や虚無僧などは、一気に消滅を余儀なくされたという。後者の、身分の評価に関して、中世の国家の儀礼の必要に関してという枠組みから、「生産的労働」の観点から評価するという枠組みへ変化するという指摘がおもしろい。今につながるイデオロギーが、近世には生れていたのだな。


 以下、メモ:

 また、G勧進餬が「人をたふらかし、偽をいひて施をとる……盗みにひとしき」職業であるとして否定されたことは先に述べたが、全体としての職業評価の基準として、庶民=民間=平民にとって必要な、正当な生産的労働かどうかという観念があるように思われる。その立場から、農業は「苦しき業」であるが「国家の大要」であり、「口上商人」つまり品質の良くない物を「弁舌をもってこれおう」るわざは「下品の業」。また、猟師や綿師(絹綿のこと、蚕の繭を煮殺す)は、「罪をなす業」であるが、生きていくための「身をたつるわざ」としてはやむをえないという。他方、蹴鞠・笙などは「公家のもてあそび」であり、武士の芸である剣術は「民間においてはしらぬこそよけれ」ともなる。
 すなわち、公家の芸能だからといって高く評価されるわけでなく、生産性のないものが「下品」であり、「盗みにひとしき」ものだと評価されるわけである。したがって、B〜Fは、中世的な貴賤の序列意識ではなく、むしろ、作業・細工人(職人)・商人・芸人という労働や生産の性格によって分類されている(商工未分離なものも多く、運送業を作業部に、芝居関係を職之部に含めるなどあいまいな点も多いが、おおむね今日いう第一次・二次・三次産業という分類が志向されている)ように思われる。
 それはおそらく、元禄時代に至る百姓・町人の小経営の発展・安定化に伴う労働観であり。そうした労働意識・価値意識が、一方で武士や公家を「遊民」として批判し、他方で勧進乞食を「悪ねだり」(塚田孝―一九八七年)として否定していくのである(横田冬彦―一九八九年)。p36-7

 おもしろいな。近世の小経営の安定化によって、「生産的な労働」を軸とする身分評価が形成される。

 これに関連して、先日(一九九九年七月二十日)の大阪都市諸階層研究会と近世大坂研究会の合同例会で植田浩史が行った西山卯三著『安治川物語』への論評は興味深かった。この本は、著者の父卯之助が明治初期に、大阪鉄工所で五年の見習工を経て、一人前の職人となり、さらに数人規模の西山鉄工所を起こし、これを敷地一万坪の工場にまで育てたものの、昭和十九年に川崎重工に吸収されるまでの一代記である。しかしそれだけではなく、これらの卯之助の生涯を通しながら、西山鉄工所の存在した大阪・西九条周辺の職人と町工場の世界が活写されている。
 そこでは、明治期のこととして、見習工として技術を学び職人として自立指定くけーづ、職人が工場を移動していく様子、工場での仕事の現場では“職長”(にあたる者)たる親方的職人が実質的に支配している様子(“職長”=親方的職人が請負で仕事をしたり、彼がグループを引き連れて工場を移動したり、ということもあった)、このような親方的職人が起こした工場も多い状況(小経営志向)、などが指摘されている。これらのことは、東条が指摘した同職集団型労働力の中核部分のあり方と重なる部分が多い。p.86-7

 メモ。『安治川物語』ね。近代の職工のあり方が、近世の職人と接続するってのは興味深いな。

 井上智勝さんが扱った「神道者」(第一巻『民間に生きる宗教者』)についても、いちおう明治五(一八七二)年で廃止されますが、現在の新宗教につながるような、信者が「あそこの先生のところにいくと相談がわかりやすい」と集まっていくような状況がある。きわめて日本的な宗教のあり方、それは東アジア的なものかもわからないけれども、少なくともキリスト教圏やイスラム教圏にはない。今も、「お手かざし」の宗教がありますが、それもやはり祈祷系のものです。ですから神道者が法制的には解体されたといっても、そういう要素は現代に至るまで日本社会のなかにずっと生き続けている面を持っていると思います。p.131-2

 イスラム圏やキリスト教圏にも似たようなのあるんじゃないかね…


文献メモ:
宮地正人「幕末旗本用人論:江戸都市論に旗本社会をどう組み込むか」福地惇佐々木隆編『明治日本の政治家群像』吉川弘文館、1993→『幕末維新期の社会的政治的研究』岩波書店、1999
松本良太「近世後期の武士身分と都市社会:「下級武士」の問題を中心に」『歴史学研究』716、1998