横田冬彦編『シリーズ近世の身分的周縁2:芸能・文化の世界』

芸能・文化の世界 (シリーズ近世の身分的周縁)

芸能・文化の世界 (シリーズ近世の身分的周縁)

 このシリーズの読破計画も、遅れがちだな。借り出してきても、読みやすい本を優先して、後回しになりがちというか。
 2巻目は、学術や芸能に関わる人々を取り上げている。冒頭の概論では、中世の職人や商人と区別されない「職人」であった中世の芸能観、学芸や文芸との文化を遂げた近代ともちがう、独特の芸能観。さらに、興行や芸事の師匠として独自の経営基盤を確立した人々、一方で中世には宗教的な勧進として行われてきた人々が宗教性を失い物乞い扱いされるようになった人々との分化が指摘される。
 具体的な集団としては、第一のカテゴリーとして武士身分の末端に連なりつつ、芸能の技能によって自律的な立場も持った楽人、能役者、書物師。第二のカテゴリーが伊勢大神楽の形成や念仏宗系の遊行宗教者が寺壇制度で宗教活動から排除されたあと、さまざまな形で活路を見出そうとした京都空也堂の鉢叩や福岡藩の寺中がとり上げられる。第三章は近代と接続する話。狩野家の粉本主義から個人の創作性が重要性が見出されるようになった絵師、そのなかで渡辺崋山の武士としての職務と画業、思想の問題。さらには在地の国学者、特に本居宣長系の朝幕融和時代の国学者の位置づけについて議論している。
 空也堂の鉢叩が非常に興味深いな。瓢箪をたたいて念仏を唱えて勧進する鉢叩は、その活動にスペクタクル性が欠けるため、近世初期には専業の芸能者としての道を閉ざされる。そのため、この時代には苦かった煎茶用の茶筅製造を生業とした。しかし、近世の半ば以降、茶葉の品種改良が進み煎茶用の茶筅の需要が低下したこと。さらに天明の大火のよる空也堂の焼失という情勢の変化に対応し、芸能に回帰し、歓喜踊躍念仏の本山として生きる道を選ぶ。さらに、中国地方などの元念仏芸能者集団を末派として組織していく。時代に応じた動きが興味深い。
 あとは、福岡藩の寺中集団の項で、空也を祖と伝承する念仏集団が肥前筑前筑後に存在したことが紹介されるが、だとすると熊本にはいなかったのかというのも気になるな。あるいは、門付などの遊行者、伊勢講などの全国規模の宗教活動についても、コンパクトな紹介はあまり見かけないな。肥後琵琶がこの系統につながるのか。

 また、厚木の侠客と呼ばれ才能・人望のあった駿河屋彦八は(図11)、崋山の記すところによると、酒井村(現、神奈川厚木市酒井)の元の領主の「不道」を糾弾し、幕府「公裁」に持ち込み、酒井村が幕府領となったのち名主となったという経歴の持ち主だったが、崋山に向かい、厚木の領主(三万石下野烏山藩大久保氏)について、「今ノ殿様ニテハ、慈仁ノ心、毫分モこれなし、隙ヲ窺、収斂ヲ行フ、殿様ヲ取カヘタランコソヨカルヘシ」と述べ、崋山を「愕然と」させた(以上、渡辺崋山『游相日記』(複製)米山堂 一九一八年)。p.260-1

 江戸時代って、こうやって地域と武家がガッチリ対峙していた時代なんだよな。近代に入ってからのほうが、よっぽど地方自治が機能していないというか。