- 作者: 小島剛一
- 出版社/メーカー: 中央公論社
- 発売日: 1991/02/01
- メディア: 新書
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オスマントルコの統治の時代には、民族の概念がなく、多様な人々が存在していたこと。トルコ語は、田舎の言語として蔑視されていた状況。アナトリアは多様な少数民族が存在し、クルド人も一様ではないこと。出自が忘れ去られた「忘れ民族」や少数民族であることを隠している「隠れ民族」の存在。イスラムを自称するが、コーランの戒律を受け入れていないアレウィー教徒の存在と彼らに対する迫害などなど。トルコの抑圧的な側面がいろいろと明らかにされる。分離主義者として目を付けられないようにしながら、トルコの各地を旅して少数民族の言語の情報を集めていくってのは、精神的に疲れそうだ。
最初の気のいいトルコ人とその後の落差が非常に印象的。後半は、トルコの外交官Y氏とのであったことから、トルコ政府の公式の許可を得ての調査旅行。どうしても、少数民族の存在や言語を認めたくない政府関係者や監視の人々の態度、圧力、そして最後は事実上の国外退去勧告と、また心が重くなるような展開。
オスマントルコという国が「国民国家」という思想によって分断され、更に列強による植民地化の危機という状況のなかで、こういう抑圧的な体制ができあがってしまったのだろうな。このあたり、「ブータン――「幸福な国」の不都合な真実」根本 かおる 著 | Kousyoublogで指摘される上からの「伝統」の規程やネパール系の人々の追放といった動きと同じものなのだろうな。そして、国民国家というものが形成されるときに、どこでもこういう少数文化の弾圧がおこなわれたのだろうな。
以下、メモ:
かつての日本の隠れキリシタンのように自分たちの真の姿をひた隠しにして生きている民族を、私は「隠れ民族」と呼ぶことにしている。民族の秘密が漏れたら致命傷である。場合によっては秘密を漏らしそうな人を殺すことも辞さない。更に進んで、私が「忘れ民族」と呼んでいる集団もある。ひた隠しにするあまり自分たちが本当はなんであったのかわからなくなってしまったのだ。表向きは「正真正銘の」トルコ人。しかし母言語はトルコ語ではない、また、「正統派回教徒」だと言う。けれどもイスラームとは無関係のことを信仰している。注意深く観察すると異民族、あるいは異宗教集団であることが判る。p.61
トルコで多数を占めるスンニー派の回教徒がアレウィー教徒について言うことは、仮に事実だとすれば誰がどうやって探り出したのだろうと不思議に思えることばかりである。
曰く、「食人の習慣があり、そのために一人旅の回教徒を殺す」
曰く、「葬儀の際に灯りを消して暗闇の中で乱交をする」
曰く、「貞操観念がなく、父無し子が生まれるとアリと名づけて崇拝する」などなど……。p.81-2
なんというか、人間の想像力って有限なんだなと。中世のヨーロッパ人がユダヤ人に対して言っていたこととたいして変わらないのがなんとも。同じような宗教コードをもっていると、タブーも似た様になるのかね。