- 作者: 西脇千瀬
- 出版社/メーカー: 藤原書店
- 発売日: 2012/12/21
- メディア: 単行本
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地元、特に仙台や野蒜の人々が、築港プロジェクトに対してどのような態度を示してきたか。前半の1-2章は、新聞の社説が主体。宮城県域がどのような政治・経済情勢にあったか。そして、築港プロジェクトにどのような期待を持ったか。
奥羽列藩同盟として明治政権と戦った諸藩は、報復的な処置により、藩の領地の削減、多数の藩士の帰農という苦難に直面する。また、そのような報復処置はその後も続き、士族への金禄公債の価格が非常に低く、またその支給も遅いといった状況が見られた。基本的に、東北の経済の「後進性」って、ここで在地の資本が破壊されたのが一番大きいんじゃないかね。政府中枢へアクセスする人脈の面でも不利は否めなかっただろうし。そして、貧困に苦しむ士族に対する冷たい視線と。
そのような状況に、国際的な港湾を設置しようとする野蒜築港は大きなチャンスと映った。一方で、商業の活性化による外部からの支配に対する警戒。さんざん、「怠惰な東北民」といった言葉が繰り返されるのにはうんざりするな。現在でも、「怠惰だから…」って言説を吐く人間は聞く価値がないと思っているが。一方で、このような言説を通して、「東北」という地域意識が醸成されていく。
また、野蒜築港に対応した交通インフラの整備事業によって、山脈によって隔てられていた奥羽間の連携も意識されていくことになる。
第3-4章は実際の建設から工事の挫折に至るまで。どちらかというと、野蒜の地元に焦点を合わせた話。築港工事に多くの人が集まり、喧騒と混乱の状況。地元に多くの需要を生み出す代わりに、犯罪も起こるようになる。地元の人々は、「近代化」に対応して、工事の請負に参加したり、人足相手の商売などを手がけるようになる。
しかし、工期の遅延、度重なる破損。そのなかでも人々は啓蒙思想を受け入れようとする状況。また、新市街地では地元の人々が積極的に参画使用とした状況が指摘される。しかし、明治17年の暴風雨で突堤が流失、野蒜は港湾機能を完全に失い、そのまま事業は中止されることになる。工事によるバブルの崩壊の中、地元の人々は、新たな状況に適応することを強いられる。
野蒜を中心とした道路の建設事業とか、インフラ投資を行わせて、多くの人を巻き込んであっさり中止というのも、ものすごく不義理だな。まあ、帝国主義的な開発の無情さといっていいだろうな。
最後は、後の地域の記憶の話。野蒜築港は地元でも忘却された状況になっていた。研究史として設計の失敗や政府の財政の問題から、地元の資本力の弱さといった方向に議論が進んでいること。また、中途半端に貨幣経済に巻き込まれた結果没落したなど、地元にはいい記憶がなく、語られなくなっていた状況などが指摘される。ここから「語り」と他者の問題などの指摘。
さらに21世紀にはいるころから、再評価の動き。「チャレンジ」というのが評価されるようになった状況。さらには、東日本大震災による地域の破壊という状況が、野蒜港をめぐる語りにどういう影響を及ぼすかといった展望へ。
全体的に話が硬くて、少々苦労した。