国道と小坂橋への取り付け道路の間の緑地に建っている石碑。水害にともなう御船川の河川改修で、街道を付け替えたために、ハゼの古木を移植したのを記念して建てられた石碑のようだ。隣の説明の看板が朽ち果てたら、何の意図で建てられたのか判らなくなりそうだな。
石碑裏面
解説看板
御船街道櫨並木
熊本城下、迎町の御船口から分岐する御船
街道は、上島から御船まで御船川の堤防上を
通っており、ここは紅葉の見事な櫨並木道で
あった。両側の櫨の大木は、四季折々の変化
を見せて道行く人々に安らぎを与えてきた。
櫨の実は日本蝋燭の原料として江戸時代に
は重要な換金作物であった。既に寛永十一年
(一六三四)に櫨の実を米の代わりに上納す
ることが認められ、寛文四年(一六六四)に
はその栽培が奨励されたという記録がある。
しかし巷間では、忠臣蔵で有名な赤穂浪士
の大石内蔵之助が、仇討ののち細川藩邸に預
けられていた元禄十五年(一七〇二)、櫨栽
培の有利なことを進言したことから、細川藩
での栽培がはじまったと伝えられている。
昭和六十三年(一九八八)五月の水害を契
機として御船川の拡幅を行うことになり、街
道と並木の付替えの必要が生じたので、その
古木を移植し、若木を補植して、櫨並木の面
影をとどめることとした。
平成5年3月 建設省熊本工事事務所
熊本県
御船町
嘉島町