今年印象に残った本2022(一般部門)

 今年は時間リソースをなろうの異世界恋愛系小説に取られて、読書ノートもつけられず、読む量も最小限になってるが、それでも10冊はクリアできている。昨年の終わりあたりに読んだ本も混ざっているけど。
 一時より回復したけど、読書の集中力が低下していたり、書く方が億劫で…

10位 水谷千秋『日本の古代豪族100』

 「読む事典」ということで、古代の豪族をそれぞれ紹介する本。
 古代豪族って曖昧な存在だけど、血族集団とか、地縁集団ではなく、宮廷に奉仕する特定の職掌のために、特定の家族の周辺に集った人々と考えると、宮廷での地位低下とともに霧散していくのも納得できるかな。
 熊本関係は肥氏だけ。あとは、著名国司の道君氏くらいか。
 後の時代からみると、半家に6家が残った菅原氏や鎌倉幕府に関わった大江氏を輩出している土師連が、藤原氏に続く律令体制下での成功者なのだな。あと、蘇我氏の後継である宗岡氏を名乗る諸家が地下家にあったり。

9位 山本紀夫『高地文明:「もう一つの四大文明」の発見』

 低緯度地域の高地、メキシコ中央高地、アンデス高地、エチオピア高地、チベット高地に発展した栽培文化を「文明」と定義して、低地で発展した「文明」と対置しようとする試み。高度差や複雑な地形で、環境の多様性が高い高地が栽培化のセンターになりうるのは理解できるが、それを「文明」とまで言えるのか。アメリカ大陸のメキシコ中央高地とアンデス高地に展開したものは「文明」と言っていいと思うが、特にチベット地域がなあ。
 文明と言えば、独自の農耕システムというよりは、都市、広域国家、大規模な祭祀、文字と思想あたりが重要なキーワードになりうると思うが。
 チベットって人口少ないイメージだけど、ヤルツァンポ川流域の河谷をグーグルマップで見ると、なかなか人口稠密な土地なんだな。それを支えるのが大麦の独自品種チンコーとヤク。
 エチオピアは、テフとエンセーテと穀物と根菜の二本立て文化。アフリカの場合、低地はマラリアが猖獗を極めるだけに、高地のほうが住みやすいだろうなあ。

8位 村上リコ『英国社交界ガイド:エチケット・ブックに見る19世紀レディの生活』

 新興階層向けの社交界エチケット指南書から、どんな姿だったかを紹介する本。訪問一つ取っても、煩雑なエチケットが形成されているのが印象深い。こういうの、地位の高い人は適当に破っても良くて、新参者ほど壁が高いんだよな。
 絵画や写真資料がたくさん収録されていて、ビジュアル的にも楽しい本。

7位 倉本一宏『平安京の下級官人』

 同時代の古記録から、摂関期の下級官人の姿を描き出す。とは言え、結局、古記録類に記録される下級官人というのは、藤原道長のような公卿から見たもので、見えないものは見えないままなんだよな。
 給与がまともに払えなくなっていたら、そりゃ、儀式や勤務を懈怠する人間が増えてくるよなあ。おそらく、官職が副業だったんじゃなかろうか。あとは、群盗とか放火とか、なんか政治的な問題を感じるが。
 犯罪に関する記事が多いけど、なんというかいい加減な裁きというか、情実が多くてなんとも。

6位 伊藤俊一『荘園:墾田永年私財法から応仁の乱まで』

 荘園史の通史。当面は、荘園についてはこの本が標準的入門書になりそう。気候史に目配りしていて、それが荘園の動向に密接に影響しているのが興味深い。また、院政期の領域型の荘園が、むしろ院権力主導、院近臣が影響力をフル活用して、種になりそうな免田を確保、それを核に広域を囲い込んだ。上からの契機を重視するのが印象深い。在地と権力の相互作用。
 古代において水田の安定的運営が難しかったのか、頻繁に再開発が行われ、それによって流動的な私権が設定された。古代の「荘園」が想像以上に不安定だった。荘園公領制と言われる、典型的イメージはむしろ中世のもの。私の荘園イメージは、鎌倉時代前半と室町期がごっちゃになってるのがよく分かった。

5位 島尾新『画聖雪舟の素顔:天橋立図に隠された謎』

 ここまでは新書。なんとなく、熊本藩の御用絵師矢野派の師匠筋くらいのイメージしかなかったけど、こういう人生遍歴を経たのねと面白く読めた。なんか、すごく陽キャ感があるなあ。朱熹の号を自分の号にそのまま付けるミーハー感とか、自分の経歴を権威付けするスノビッシュというか、名誉欲とか。一方で、それがあんまり嫌がられない人物でもあったようで。
 京都時代は拙宗等揚の号で画僧としての作品が残されているが、当時の京都画壇が繊細な画風なのに対し、雪舟の持ち味が無骨さとか、力強さでミスマッチで、鳴かず飛ばず。しかし、山口の大内氏のスカウトで、大内氏の外交僧スタッフの一員になり、遣明使のスタッフとして中国に渡ったことが転機となった。中国各地の作品を実見し、さらに鳥瞰図的なスタイルの風景図を描く技術を身につけたことが、独自のビジュアル情報を持ち帰ってくる独自の境地で、応仁の乱後の政界と関わることになる。国元に分散した守護大名たちの情報流通を担った、と。

4位 『水屋・水塚:水防の知恵と住まい』

 Lixil出版終了のお知らせで慌てて買った本の一冊。
 水害と付き合う設備として木曽三川の輪中が著名だが、同地域や利根川流域、淀川流域、吉野川流域などで、土を盛って他より高くして生命や家財道具を保全する水塚や水屋に焦点を合わせた企画。
 現在も維持されているだけに、上に乗ってる建物の風情もいい。

3位 由水常雄『ガラス入門』

 ガラス器の製作技法、装飾技法、歴史を紹介する本。ずいぶん昔に買った本を、本棚眺めていて、急に読みたくなって引っ張り出したもの。
 コアグラス、モザイクグラス、パートドヴェールなどの鋳造系に、吹きガラスといった成形技法。カットグラスや切り子、溶着、エナメル彩などの装飾技法などが紹介される。
 後半はガラスの歴史。近代以降のヨーロッパのガラス生産の歴史に比べると、アジア地域の解像度が低いのが気になるな。「イスラムグラス」といっても、イスラム世界は広大だし。ガラス生産のセンターがシリア地域で、ペルシャあたりも伝統的に強い感じかな。アールヌーヴォーのガラスがいいよなあ。

2位 水本邦彦『土砂留め奉行:河川災害から地域を守る』

 江戸時代、淀川、大和川流域の土砂堆積に対応するために設置された「土砂留め奉行」について描く本。資源の過剰利用による里山のはげ山かに対して、関西近辺の譜代大名から奉行を出させ、里山の植物や石材利用を制限させた。郡ごとに管轄を定め、他の領主権を制限したのが特徴。
 一方で、広域的な行政課題を、ここの村に負わせた結果、成果は不徹底だった。

1位 ウィリアム・リッチー・ニュートンヴェルサイユ宮殿に暮らす:優雅で悲惨な宮廷生活』

 ヴェルサイユ宮殿の生活インフラに注目して、管理者関係の史料を分析した本。居住スペースの不足に、無秩序に設置されるストーブや竈、あちこち這う煙突に物陰に置かれる薪。けっこう雑然とした空間が想像される。あと、18世紀になると、老朽化で補修が追いつかない姿。
 他の国の宮廷がどういう姿だったか気になるな。紫禁城とか、トプカプ宮殿の居住環境はどうだったのか。

病院

 本日は通院の日と言うことでお出かけ。
 昼過ぎから雨の予報だったけど、ナウキャストを見ているといつもの熊本平野だけ雲が避けていくっぽい感じだったから、天気が持つ方に賭けて、自転車でお出かけ。見事に雨に降られるはめに。ほとんどの行程で、小雨程度の雨だったからなんとかなったけど。最後は、傘を差して、自転車を押して歩くはめに。傘さし運転は違法と強調されるとねえ。
 しかし、途中、コートのフードをかぶって走ったのだけど、後方視界がほとんど消えて怖いこと、怖いこと。後ろから車が来てるかどうか、さっぱり分からないから、少し広いところで止まって後ろを確認することに。
 時々、白いものが混じってたから、雪か、みぞれか、アラレか。そんな感じの雨だったな。


 出かけるのが遅くなって、県立図書館に本を返してきただけだけど、とりあえず、延滞せずに返却できた。本屋に行き損ねた。


 ジェーンズ邸、2階テラスにクリスマスツリー。



 あちこちで、残っていたイチョウの葉が風に飛ばされていた。県庁の東門側では、並木の下にわりと新鮮な落ち葉の絨毯が。





 県庁前広場。すっかり落ちて、冬の様相。



 まだ、頑張ってるカエデの木が。


水本邦彦『土砂留め奉行:河川災害から地域を守る』

 江戸時代に、関西の淀川、大和川流域で行われた治水・砂防対策である土砂留め奉行制度について紹介する本。
 肥料、燃料、農耕牛馬の飼料として、農耕の維持には広大な草山が必要とされた。このため、関西の平野周辺の山には強い利用圧がかかり、草山・はげ山が広がっていた。ここから流出した土砂が、河川を天井川化させ、さらに、木津川などの川床を上昇させ、河川交通の阻害や水害を引き起こしていた。
 17世紀後半になると、問題が深刻化し、里山での伐採の制限や植林などを命じる触れが頻繁に出され、1684年の土砂留め奉行制度創設に至る。土砂留め奉行制度は、大坂町奉行所、京都町奉行所の監督下、関西に所領を持つ比較的大身の譜代大名の家臣を、土砂留め奉行として、郡ごとの管轄を巡回させ、砂防工事や草木や岩石の採取の許認可を請け負わせるものであった。様々な主体の領地を横断して、土砂留め奉行を命じられた諸藩が影響力を行使、領主権を制約するところに特色が存在する。
 担当大名としては、継続的には津藩が一番大きく、他に淀、郡山、岸和田、高槻、膳所の諸藩が担当し続けた。
 冒頭の土砂留め奉行の巡回日記や奉行を迎える村方の日記などからどのような巡回が行われるかを見ると、いろいろな史料があっておもしろい。奉行本人は遊山する余裕があって、下役が必死に書類を作っていた感じなんだろうな。そして、迎える側もスムーズに行くように移動状況の収集やもてなしの料理を準備したり。それなりに負担があった、と。


 土砂留めの堰堤の建設、はげ山への植林、草木採取禁止は一定の成果を上げるが、制度実施後100年の時点でも、植生が回復し、土砂が安定したのは2割弱。現在の京都府南部にあたる木津川流域などでは、依然として土砂流出が続いていた。このような状況に対して、民間側からの提言も行われ、幕府側も制度の改革を試みた。費用の下付、入札による工事、国全体から費用を徴収するなどの試みは単発ないし短期で挫折。町奉行所の権限強化や綱紀粛正などの試みも行われたが、長続きしなかったり、譜代大名による土砂留め奉行と効果が変わらなかったりと限界があった。
 結局の所、淀川・大和川と広域にまたがる課題なのに、工事の主体が村であり続けたのが限界なんだよな。自分たちの再生産に必要な資材を得る場所として必要な山を利用制限しなければいけない。利益相反というか。それでも、土砂流出の被害が看過できないから、受け入れられたのだろうけど。結局、費用がかかる植林工事は避けられ、手っ取り早く、自分たちの被害軽減になる堰堤工事が主体に成り、土砂留めの効果に限界があった。


 終章の近代に入ってからの変化も興味深い。「土砂留め」から「砂防」への変化。制度的には、工事のための費用が国から出るようになった。これによって、山地の植生回復にエネルギーが割かれるようになっていった。とはいえ、近代に入っても、森林荒廃は続いていたわけで、どこまで効果があって、なかったのかは気になるところ。


 本書は関西、淀川・大和川流域という幕領・小規模領地が多い地域が対象だったが、たとえば熊本県内ではどのような制度があったのかは気になる。江戸時代の風景画なんかを観察すると、熊本でも里山というか、かなりの深山まで植生への利用圧力は大きかったように見える。「領内名勝図巻」なんかも、森といった場所はあんまり見かけない。それに対して、どのような対策を取ったのか。
 吉無田水源の植林は有名だけど。


 以前読んだ、釜井俊孝『埋もれた都の防災学:都市と地盤災害の2000年』によれば、木津川の川床上昇や支流の天井川化は、すでに15世紀には進んでいたようだが、17世紀になって政治課題化したのは、なぜなのだろうか。環境史として考えると、このような研究とのジョイントが必要そう。

『新装版 イギリス王室1000年の歴史』

 ここのところ、なろうの婚約破棄もの小説を読んでいて、現実の王様は誰と結婚しているのかなと思って借りた本。歴代の王だけではなく、配偶者や親族などの重要人物にも目配りしているのが便利な本。
 こうしてみると、テューダー朝の時代を境に、ガラッと変わるのが印象深い。中世期には、フランスの王家ないしは有力諸侯からの縁組が基本で、近代に入ってからはドイツないし北欧の王家ないしは諸侯。国教会設立後は、カトリック国から結婚相手を迎えることが出来なくて、プロテスタントのドイツ北部ないしは北欧しか選択肢にならないということなんだろうけど。
 反乱を起こして王になった場合などは、国内諸侯と縁組しているけど、国王は外国から妻を迎える不文律でもあったのかねえ。
 あと、ヘンリー8世の無軌道な結婚ぶりが目立つなあ。男子を求めて、次々と妻をとっかえひっかえしたあげく、子供世代で断絶。せめて、娘二人に早い段階でいい感じの婿をあてがってりゃ、結果は多少なりとも違ったんだろうけど。そもそも、薔薇戦争で正統な後継者がほぼ全滅して、どさくさ紛れの王位だから無理したところはあるんだろうな。


 あと、近代の王朝は女王が出ると替わってるわけだが、今回のエリザベス女王の死去ではウィンザー朝を使い続けるのかな。エジンバラ朝かマウントバッテン朝への改名もあり得る話だが。


 あと、たまにやたらと子沢山な王妃がいるのも印象的。29歳から8人の子供を産んだエレアノール・ダキテーヌ、12人を出産したフィリッパ・オブ・エノー、7人を出産したメアリー・ド・ブーン、同じく7人の子供を生んだアン・オブ・デンマークあたり。
 メアリー・ド・ブーンに至っては、24歳の時に出産事故で死去だから、何歳から子供産ませてるんだという感じだな。
 そして、フィリッパ・オブ・エノーが産んだ子供の子孫がランカスター家やヨーク家となって王権を争ったのだから、子沢山が良いのか悪いのか。




 イギリス中世で悪役と言えばジョン王。婚約者を他所に行かせている間に、婚約者を略奪するというクソ王子ムーヴを噛ましているのだな。というか、どうしてここまで人望がなかったのか、不思議なくらいだなあ。
 つーか、プランタジネット朝の二世代目、どいつもこいつも碌な奴いねーな。物語の善玉であるリチャード1世も、結局、戦争バカなだけだし。親兄弟でケンカばっかりしている一族なんだよな。まあ、それでも、ジョンが甥を謀殺したのは、人望が失墜する行為だったのだろうな。




 プランタジネット朝、なんか頼りない王様続きだけど、なんだかんだ言って250年近く存続したのだな。そもそも、中世の王権は弱いというか、戦争するお金を集めるのに苦労したというか。フランスに利権がある貴族とイングランドメインの貴族で利害が対立するのも、不安定要因だろうし。
 で、15世紀はランカスター家とヨーク家が対立する薔薇戦争の時代。最終的に共倒れで、正統な後継者がいなくなって、血が薄いチューダー家に。それも、三世代で絶えて、その後は外来王朝に。スコットランド王家のステュアート家。それが絶えた後は、ドイツ系王家が続く。議会政治が根付くと、むしろ、あまり強くないドイツの領邦君主を王に据えるのは、楽で良かったんだろうなあ。
 そう言えば、チャールズ2世が、徳川家斉と被るキャラだなあ。結局、今残ってる公爵家って、彼の庶子から始まった家系が多いんだよね。




 敵対派閥の出身者と秘密結婚して、反乱を招いたエドワード4世も、なかなかの愚王っぷりだな。「女のことしか頭になく、女のことになると理性をなくす」って、どんだけ。


 わりと近代に入っても、王様自由だなあ。19世紀に入っても、ギャンブルやイカサマに走る放蕩王ジョージ4世とか、厳しい王族教育に反発しまくったエドワード7世あたりが出ているし。
 というか、なろうの婚約破棄ものの「しっかりした王族」の思想って、かなり儒教的なんだよな。国とか、民という思考が正面に出てくるのは江戸時代の大名、しかもかなり真面目なレベルの人間メインという感じがする。

伝統工芸館に出撃

 本日は、熊本県伝統工芸館の「くらしの工芸展40年の歩み」展を見に出撃。ここのところ、急激に寒くなって、どうしても腰が重かったが、ちょっと暖かかったので出かけられた。冬用のジャンバーを出すレベルじゃないけど、結構寒いという微妙な気温だったな。
 ここのところ、出かける先がないのが悩みの種。あと、どうしても、出足が遅い。
 この季節、3時頃にはすっかり夕方の気配だしなあ。


 熊本地震の被害で、過去の受賞作が破損している事例があって、ちょっと悲しい。それでも、きちっと修理はしてあるが。
 あと、伝統工芸館、食器とか色々売ってあって楽しいのだけど、割るとか考えるとどうしても手が出ないんだよなあ。お気に入りほどはやく亡くなるし…


 帰り際、伝統工芸館の駐車場には入れない車が外に並んで、渋滞を引き起こしていたけど、なんかイベントの予定でも合ったのだろうか。


 帰りはアニメイトや上通の本屋に寄って、市立図書館に行って帰宅。
 途中、自転車のペダルに靴紐が絡まって、ひっくり返る。左足がぐいっと引かれて何かと思ったら、ペダルの軸に絡まっていた。で、右足で支えて止まれば良いのに、パニックになって、というか引っ張られて重心を崩したのか、左に傾いて停止。当然、左足が地面につかずばったりと。そこから、紐をほどくまで立ち上がれず、なかなかかっこ悪い状況だった。
 完全に止まってたし、転けて怪我した感じはないが、肩とかが痛い。というか、打ったのは左上腕あたりがメインだったのに、その後、痛みが右半身に集中しているのが解せぬ。


 大井手川の紅葉。まだ、完全に色づいていないのな。次の雨で一気に落ちると思うが。










 明午橋。恒例の冬の工事中。今回は明午橋の右岸下流側の堤防を作るのかな。矢板を川底に圧入していた。




 熊本城。




副反応二日目

 つーか、ほとんど副反応なくなってきたな。翌日はさすがに早寝したけど、もうほとんどダメージ無し。明日様子を見て、明後日くらいお出かけするか。


 今のところ、一番残ってるのは、打った箇所近辺をさわると痛いくらいかなあ。
 あと、なんでか、右腕の調子が悪いのだが…