なんか、今週末、イベントに出かけようと思っていたのだけど、天気が微妙で結局動かず。曇り空で桜の写真を撮っても、あんまりよろしくないしな。火曜か水曜あたりから、また、雨が続きそうだから、今年、ある程度咲いた桜を見るチャンスは明日一日か。今年は遅かった上に、花の時期が短いなあ。
曇り空で降水確率30%だから、あり得ないことではなかったけど、6時頃から雷雨。曇り空ですむと思ってたからびっくりした。なんか、一瞬停電があったそうだが、気付かなかったな。
ある程度雷雨が近づいてきたタイミングでパソコンを落として、コンセントからコードを引っこ抜く。宵の口の一番いい時間帯に長時間ネットを取り上げられてしまった。
あげくに、落としたタイミングで、雷が止まるという。
しかも、停電の影響か、微妙にルーターの調子が悪い。
しかし、なんとも蒸し暑い。
奈良文化財研究所編『木簡:古代からの便り』
第一セクションは「木簡とはなにか?」ということで、木簡の基礎情報。
樹種は地域によって手に入りやすいものを使っている。あるいはきっちりとした楷書で書かれている物が多いが近江・播磨・讃岐などは読みにくい。文字になれていて、逆に手癖で書いているためくせ字が多いというのが興味深い。
木簡は再利用される時に表面の文字を削り取る。現在発掘されている木簡の8割がこういう削りくずであるという。ゴミだからこそ、情報が興味深いと言うべきか。ゴミ捨て穴の土を丸ごと採取して、屋内で洗い出しているという。
現状、木簡の初出は630-40年ごろ。670年代から急増し、藤原京時代、奈良時代がメイン。平安時代には発掘量が減少する。これは、平城京が放棄された低湿地であるのに対して、平安京が乾燥しているというのが大きそうな気がする。あとは、行政のスリム化で、木簡での文書のやり取りが減ったことは大きそう。律令国家は無駄な行政手続きが多すぎたというか。こまかいデータを集積しすぎたというか。
第二セクションは「木簡の発見! 歴史の発見!」ということで、木簡研究の簡単な歴史といったところか。しょっぱなから法華寺に居を移した孝謙太上天皇の宮廷への食料請求木簡が出てきたり、一つの穴から1800点の木簡が出ていて、大量処理の練習になったり。奈良での木簡発見がはじまる前にも、木簡が見つかっていて、主に中近世のものが多数を占めていた状況。「郡評論争」に決着をつけ、記紀が後々いろいろと修正を加えた文章であることを明らかにしたり。藤原京の造営過程や長屋王邸宅の確定の手がかりになったり、平城京が奈良京と呼ばれていたことが明らかになったり。当時の生データの力というか。
第三セクションは「木簡の使われ方」。
地方から中央に報告される書類の軸に使われた木材は、木口に所属が書き込んであって、これも木簡のうち。
木簡は使用後、縦に裂いてトイレの後の尻を拭うトイレットペーパー的に使われたり、削って祭祀用の馬形や斎串、あるいは正倉院に伝世された巻物の軸兼題箋として使われたりする。あるいは、整地や埋設の際に地下水を通しやすくするための木の層を作ることがあり、これに利用された可能性も指摘されている。
長屋王邸の食料支給の伝票として使われた木簡が興味深い。支給側で準備して、政所で裏書きされて有効な食料引換券になる。それは、管理側でひとまとめにされて再利用される、と。
第四セクションは、「あれも木簡? これも木簡!」ということで木簡のバリエーションの紹介。
くじ引きの札や人生ゲームの札っぽい「○○に成る」とかいた木簡。文書の保存期限が終わったら、題箋部分だけちぎって捨てる題箋軸。曲げ物に書かれた名前。呪符。薄板に写経されたこけら経。大乗院跡地が小学校になった後に将棋の駒を軍人将棋の駒に作り替えた駒。木に文字が書いてあるという定義は、かなり広い範囲になる。
第五セクションは、「木簡を深読みする」ということで、内容面に注目した記事。
8世紀に朝廷に贄としてワカメを納める宥免産地が、現在もブランドになっているとか。平城宮と藤原京や飛鳥池から出土する木簡で字体が違うというお話が興味深い。古い時代の物は文字がアンバランスなのが、平城宮から出土する木簡はバランスが取れたものになる。お手本が朝鮮半島系から中国系に替わった影響らしいというのが興味深い。
宮廷に官僚が薪を進上する御薪という儀式に使われたとおぼしき木簡、具体的に古代の米がどんなものだったのか分からないという話。都に納められた物資が、さらに都の外に持ち出された証拠である都の外から出土する荷札木簡。行幸などの際に給養のために持ち出されたのか、その土地にある施設に支給されたのか。
第六セクションは、「木簡からみえる古代人の日常」ということで、こちらも内容面に注目したもの。
藤原京の典薬寮から出土した薬のラベル木簡。『本草集注』という書物をもとに薬剤の集積が行われたという。あるいは、失われた大宝令の断簡としての木簡。腹痛で頼まれた購入品を別の人に任せますと届ける木簡は、本当に腹痛か、仮病か。慣れるほど手癖で文字が崩れて、なれない文字は確認しながら書くのできっちりとする。通常の場合以外で、お酒の支給を要請する時は書状的な文言でお願いする。伝世されてきた史料から分からない下級官人クラスの人名が木簡からはザクザク出てくる。
最後の第七セクションは「木簡を未来に伝えるために」ということで、保存や物的な研究のお話。
樹脂などを染みこませる保存処理を済ませる前の木簡は、防腐剤入りの水に浸して保存される。で、8月にチェックして水を足したりする。それが全国の古代史専攻大学院生の実習の場になるのか。というか、保存環境を見ると、地震が来たらぐちゃぐちゃになりそうだなあ。密閉容器とか、固定棚とかは、予算とかで厳しいのかな。
で、保存処理された木簡も温度変化などに弱いデリケートなもので、研究などにもなるべく現物に触らないようにしている。けど、重文指定を機に、現物の展示を行うようになっているという。
年輪年代学の手法を使った研究の紹介が興味深い。本来、それなりの大きさの材で研究するものだが、木簡はかなり小さい。予備研究で一括出土した斎串を使って同一材推定という手法が使えることを確認。木簡でも、年輪の形を手がかりにバラバラの削りくずから同一木簡の断片を拾い出すことに成功している。また、逆に発送地と大まかな年代がわかる荷札木簡から、日本列島での地域別の標準年輪曲線の整備が可能になると年輪年代学のほうへのフィードバックも期待できる。
水前寺成趣園
久しぶりに晴れたので、お出かけ。先週、すでに水前寺成趣園では桜がけっこう咲いていたようなので、お花見におでかけ。
熊本市内も、あちこち、ソメイヨシノが一分咲き程度にはなっている。千原桜などの遅咲きの品種も、ほぼ同時に咲いている感じ。途中、藻器堀川放水路などの桜を見ながら移動。見頃は来週後半くらいかな。
水前寺成趣園の中の桜は、ヤマザクラなども混じっていて、すでに散りかけている木も。ソメイヨシノは咲き初め程度かな。中国語らしき話し声が多かった。
古今伝授の間に上がって、抹茶とお菓子を楽しむ。今回は十六夜をチョイス。そういえば、ずいぶん久しぶりのような気がする。だいたい、入ったら抹茶をしばいてくるのだが。
その後は県立図書館に移動。文学・歴史館の「文字が語る古代のくまもと」を再度見学。さすがに、国宝の平城宮出土木簡の本物は来ないか。一方で、軍団の団員名簿の軸のほうは、複製とは書いていないから本物らしいんだよな。
帰りは江津湖経由で。
夕方になって、風がめちゃくちゃ強くなって、帽子が飛ばされそうに。昼間はむしろ暑かったのだが、体感気温が下がる。
藻器堀川放水路の千原桜
遅咲きの品種だけど、ソメイヨシノと同時期に開花。というか、ソメイヨシノより早く見頃になるんじゃなかろうか。今のところ、一分咲き程度。
しかし、道路側をバッサリ切ってるの、本当にどうしてこんな切り方するんだという感じだよなあ。
帯山西小学校の桜
これはソメイヨシノではないみたい。けっこうガッツリ咲いている。
旧細川砂取邸庭園と県立図書館裏の桜
こども本の森、建物はできあがって、内部の準備中のようだ。
江津湖の千原桜
健軍神社参道
さき『ざまぁ後の王子様もらいます:だって顔が良いから!』
主人公のキャンディスの、幼少時の事故でざっくりと左目を失い、顔に傷が入っているという容姿が印象深い。
「真実の愛」に踊らされて「悪役令嬢」に婚約破棄を突きつけた王子。しかし、実際には「聖女である公爵令嬢」の伴侶が王になるということで、廃嫡追放されてしまうユベール王子。そこに、追い出すなら自分にくださいと空気を読まずに言い出すキャンディスさん。そのまま連れ帰って、同居生活に。
最初はやさぐれ気味だったユベールも、徐々に適応して、家事王子に。ジャムを作りまくって、あちこちにお裾分けしまくったり。
キャンディスは、のんべんだらりと騎士団のお仕事をしながら、空気を読まない発言をかます。
断罪の場から逃亡した「ヒロイン」ミモアは、行方が杳として知れない。
そんななか、ユベールにミモアから手紙が送られてくる。何度かの接触を経て、王宮の裏手で待ち伏せすることに。他国の王子の力を借りて、ユベールを「助けよう」と接触してくる。そこに、待ち伏せしていた騎士や悪役令嬢たちが乱入。そこで、前世の記憶がよみがえって、人格が変わった「ヒロイン」と「悪役令嬢」の対決に。幼い頃はワガママだったけど、前世の記憶を思い出したことで、悪役令嬢としての役割から離脱しようとしたレベッカ。それに対して、小説の筋書きに強引に戻そうと動くミモアの対決。そこで、レベッカを傷つけようとしたミモアは捕縛されることに。
「ヒロイン」に、「悪役令嬢」に、ずるいとわめく妹に、前世の記憶持ちのキャラがけっこう多めの作品だな。
キャンディスは「悪役令嬢」が変貌する前に、友人というか、側仕えという立場だったのか。雪の日に抜け出したレベッカに連れられて森に入って、そこで立木の倒壊に巻き込まれて左目を失ったキャンディス。しかし、意識を取り戻すと、レベッカはすっかり別人で。
惜しまれずに消えた、前世の記憶がよみがえる前のレベッカ。友人として、彼女を悼み続けたいキャンディスさん。たしかに、別人の記憶が混ざったら、別人格といっていいだろうしなあ。
ジェーンズ邸
熊本地震で倒壊して、新たに水前寺成趣園南側の公園に再建が成ったジェーンズ邸。昨年9月から公開していたから、半年経って、見学に。倒壊前とは、壁の色が変わって、ずいぶん印象が変わった。こちらが元の色ということか。
ちなみに玄関先の赤絨毯は土足禁止。忘れないようにしよう。
内部は、一度ぺしゃんこになっただけに、古いものはほとんど無く、というか調度品が少なく、パネル展示メインで、ちょっとスカスカ感がある。パネルの内容は興味深いものの。
一番印象深かったのは、やはり壊れて再利用できなかった部材を展示した部屋かなあ。木材って、地震の時にはホゾ部分が弱点になるのだな。そこが折れている部材が多かった。あとは、建築当初の材は、やはりそれなりに傷んでいたのだなあ、と。
展示してある紙物の史料も、まとまった史料がかなり失われていたりと、傷跡の大きさをうかがわせる。
ジェーンズ邸の変遷とかのパネル展示がなかなかおもしろい。見た目は洋風だけど、屋根の小屋組などの見えない部分は基本的に日本式の建築。あとは、移築されて南千反畑町で展示場として使われていた時には、間取りが変更されてベランダが室内に取り込まれていた。その後、水道町で日赤の記念艦として移築、更に一階のベランダも屋内かなどに改装。今回の復元に当たって、当初の間取りや塗色などに復元したそうな。
外観。
建築当初の柱受け。
熊本県指定重要文化財指定書。額は失われたけど、本体は多少汚れた、と。
瓦。移築のたびに、新しく似た瓦が製作されて、補われた。当初の瓦は三渕家の家紋が入っていて、古城にあった三渕家屋敷の瓦が転用された模様。
階段。昔の建物だけに、けっこう急。
鉄骨柱を立てて、耐震補強している。他にも、諸処に補強材を付けたり、基礎を頑丈にしたり。
博愛社の設立請願書。まさに、この建物で日本赤十字の前身が認可されたと。
二階から外を望む。
坂上竹松関係史料。熊本洋学校に登校していた当時のノートなどの資料。収蔵庫に収められていた資料は生き延びたけど、展示されていた21点は大半が失われたという。ここでも、コピーが展示されているものも。
再利用できなかった部材群。ここが、一番歴史を感じさせるなあ。こうしてみると、部材がけっこう傷んでいたのも、倒壊の一因かも。明治の金峰山地震では生き延びているわけだし。
胴差の部材が立派。
装飾の浮き彫り。
家具類の残骸。粉々。
シャンデリア。1970年の水前寺移築の際に設置されたもの。電器製品は再起不能だろうなあ。
選挙
雨の中投票に。けっこうバタバタ降っていたな。やはり投票に来ている人は少なめ。とはいえ、期日前投票が23%くらいだそうだから、雨が降らないうちに投票した人が結構いそう。
というか、誰も投票したい人が居ない攻撃。ほんと、消去法だわなあ。
夜中に雷がガンガンなって、眠りを遮られる。寝る前に、嫌な予感がしてパソコンのコードを引っこ抜いておいたの、大正解だったな。雷鳴のたびに、変な夢を見たけど、どんな夢だったか思い出せない。
最低気温も高くて、寝苦しくて、睡眠不足気味。なんか、頭の芯がぼーっとしている。
チャーハン、ここのところ鍋で炊いたご飯が固まって、ほぐれなくて苦労していたので、水で流す荒技を試してみた。結果は大失敗。べちゃべちゃになって、炒めてもパラパラにならない。やはり、卵ごはんが最適解なのかなあ。