三杉隆敏『マイセンへの道』『世界・染付の旅』

マイセンへの道―東西陶磁交流史 (東書選書)

マイセンへの道―東西陶磁交流史 (東書選書)

世界・染付の旅 (新潮選書)

世界・染付の旅 (新潮選書)

 本棚をいじっていて、急に読みたくなったので再読。久しぶりに読んだが、読んだ本の内容って、本当に頭の中に残っていないものだ。今回は、中世インド洋の陶磁貿易の部分が面白かった。
 前者は、磁器の出現と生産の拡散、貿易による磁器流通、近代ヨーロッパへの流入、マイセンを初めとするヨーロッパの磁器生産への試みと拡大を通史的にまとめたもの。後者は、染付、すなわち藍色と白色の焼物が、世界各地でどのように展開し、影響しあったのかを地域ごとに見ていった、部分的に紀行文風の書物。世界中で、複雑に交流・相互作用している様の複雑さに目を見張る。あと、日本の磁器生産の開始って、ヨーロッパでの生産開始のたかだか100年ほどまえでしかないんだよな。しかも、中国からの技術導入。ヨーロッパでは、ほぼ自力で解明・生産にこぎつけたのだから、その執念はすさまじい。あと、『世界・染付の旅』最終章の、タイ・ミャンマー国境の未知の墳墓群から大量に焼物が出土しているところが興味深い。ただ、山地の方が、実際には流通活動が活発だったりするし、雲南あたりにはモンゴル勢力が早い段階から進出していることを考えると、それほど異常なことではないかも。
 両者を通して、不満があるとすれば、参考文献についての情報がほとんどないこと。一般に、三杉隆敏氏の書物全体に、参考文献情報が貧弱なことが不満。あと、熊本市内の図書館で閲覧できる陶磁器関係の文献が非常に貧弱なのが不満。『世界の染付』を所蔵している図書館が無いみたいなんですけど…


 よく考えると、ヨーロッパにおける陶磁器使用の文化というのが良く分からない。特に中世。中世ヨーロッパでは、そもそも食器の使用そのものが少なかった印象。宴会の時にも、個人の食器は、パンを使っていたし、料理をサーブする器も金属か木器のような… あるいは飾り皿としての使用が多かったのか。一応、陶器・土器類の生産はあったはずだが、そもそもその部分についての情報が足りない感じ。今あるような、ディナーセットの類は、18世紀あたりというごく最近になって形成されてきたものだし。
 で、17世紀の頭に、オランダ東インド会社が、拿捕したポルトガル船の積荷の磁器を競売にかけたところから、ヨーロッパの磁器文化は語られることが多い。そこのつながりがどうなっているのだろう。


ヨーロッパ人は、磁器の秘密がカオリンであると、どのように喝破したのか。実験で分かるものなのか?