「母親の変質より社会の問題:落合恵美子さん 京都大大学院教授」『朝日新聞』10/11/23

 「孤立した母親が育児できた時代なんてない」「高齢者介護など福祉の負担を家族に集中させてきました。それが家族の機能不全を招き、結婚や育児への不安感を増幅させています」と言う指摘が重い。60年代には親族や近隣関係の援助をうけてきたが、80年代以降はそれらが機能しなくなったという。また、中国韓国シンガポールのようなアジア諸国では親族関係や家事労働者などの支援が、少なくとも今のところは機能しているという。
 しかし、80年代から、すでに母親の孤立状況は顕在化していたのに、30年放置してきたのだな。そりゃ、少子化も進むわ。かといって、現在の財政状況で、育児に対する公的な支援の劇的な改善は期待できないだろうし。「こども園」の話も立ち消えになったのかな、最近話題にならなくなったが。

 「昔の母親は一人で立派に子育てをこなした。今の母親は育児をちゃんとできず、だらしなくなった」と言う人たちがいます。でも、私はそうは思いません。
 私か大学院生で出産した1980年代半ばも、虐待が社会問題になり、「母親がだめになった」と盛んに言われていました。その後、兵庫県家庭問題研究所の研究員になり、「母親がちゃんとしていた」といわれる60年代と、80年代の母親たちの比較調査をすることにしました。
 60年代の母親たちは一人で育児しているように見えて、親族ネットワークの援助を得ていました。母親自身のきょうだいが4人ぐらいいるという人口学的条件から、姉妹が盛んに行き来し、いとこ同士がきょうだい同然に大きくなることが珍しくなかった。
 一方、2人っ子が多い80年代の母親は、きょうだいからの援助はほぼゼロ。親は頼りにしますが、高齢なので頻繁には行き来できません。その分、近隣ネットワークが強まり、互いに子どもを預け合っていました。少子高齢化が進んだ今は、それがほとんどできなくなっています。
 つまり、孤立した母親が育児できた時代なんてない。母親がだめになっだのではなく、人口学的条件と社会的インフラの問題なのです。
 2002年ごろから数年かけてアジア6力国・地域の比較調査をしたところ、「孤育て」が日本特有の現象だとわかりました。他は育児中の女性を孤立させない仕組みが複数機能しているのに、日本にはほとんどなかったのです。
 中国とシンガポールは親きょうだいの日常的な助け合いが当たり前で、女性の労働力を活用する国策のため施設保育も充実しています。さらに中国は父親や祖父がよく子育てと料理をする。シンガポールは全家庭の2割近くがフィリピンなどからの外国人家事労働者を雇っています。韓国は夫が長時間労働ですが、日本の60年代同様、母親のきょうだいが多い。
 一方の日本は頼れる親族の数が減少し、長時間労働で夫が育児から離脱しているのに保育政策は不十分。外国から単純労働者を受け入れない国の政策のため、外国人家事労働者を雇うのも難しい。
 日本社会は育児に限らず、高齢者介護など福祉の負担を家族に集中させてきました。それが家族の機能不全を招き、結婚や育児への不安感を増幅させています。
 今求められているのは、家族を支える社会的なネットワークの再編成だと思います。例えば、保育園などの社会的サービスの充実と、市場による良質な民間ケアサービスの提供の促進です。外国人家事労働者の受け入れも一つの方法ですが、やっと認められた外国人介護労働者も施設だけで家庭には入っておらず、すぐには実現しないでしょう。
 実現すべきなのは保育園全入です。希望すれば働いていてもいなくても入れるようにする。子育て以外の生きがいを持つ人は育児ノイローゼになりにくいとの調査がありますし、子どもも同年代の子とかかわる機会ができます。
 幼稚園と保育園を一体化して「こども園」をつくることは、質の確保という課題をクリアできれば、孤育て解消にかなり効果があるのではないでしょうか。