家の形と母親の孤立

 記事を読み比べて興味深いと思った話。前者の記事は建築の形が、それを利用する人の行動にも影響を与えるという話。プライバシー重視の密閉された住宅が家庭の孤立を引き起こしていると指摘されている。ただ、ここで提案される建物はちょっとあけっぴろげすぎるような。
 後2者は、社会的な孤立の問題。

 当事者が母親であれば、子育てをうまくやらなければ、という価値観に強く縛られている。そこに自信が持てないと、社会的な支援にはつながれない。

 結婚前、付き合っている男が突然無職になったことが2回あったんですが、どんどん内にこもってって。2度とも「仕事を探そう」じゃなくて、「心中しよう」という話になったんです。1対1の関係は、そういう客観性を失ったどんづまりの結論を出してしまいがちです。恋愛と同じで、親と子で2人だけの世界に閉じこもるのは危険だと思います。

 どちらも、孤立状態が、ますます孤立を促進する状況を指摘しているが、それと住まいの形が影響しているのかもなと感じる。このあたり難しいなあ。うちの近所にも、母親がしょっちゅう怒鳴り散らしている家があるんだけど、アパートなのでどの家庭なのかよく分からない。虐待の兆候は見えていても、社会的関係が存在しないとなかなか介入は難しい。


「くらし考:山本理顕さんと」『朝日新聞』11/1/9

 ドアを閉めれば、家族だけの空間。プライバシーを守る理想の住まいが、気づくと孤立につなかっていた。建築家は、その先の暮らしをどう描く。


――家族をめぐる問題を語るたび、現代の住宅の密室性が問われます。
 建築というのは、そこで人はどう振る舞うのがふさわしいかという「作法」を作る。学校で先生は先生らしく見え、劇場だと上品な客になる。空間が個人に、そう演じさせるからです。
 密室型の住宅には、外からの目が入ってきません。人は周囲と切り離されたように感じて、何でも自分の力で解決しようと振る舞ってきた。子育てや介護を家族で抱え込み、それが当たり前だと家にすり込まれたのです。
 戦後の住宅難でプライバシーなど望めなかった人々は、夫婦と子どもで2DKという団地を見て、夢のように感じたでしょう。一家に一台ずつ家電製品や車を持つことは、経済成長を促す。「一住宅=一家族」というシステムは、国の側にも都合がよかった。時代から必要とされたのです。


――それが単身者や高齢者が増え、一住宅では支えられなくなったと。
 数の上で、日本の住宅は余っていても、お金がないと選べない。市場が供給するのは相変わらず密室性の高いファミリータイプかワンルームばかり。集合住宅は、各戸の広さ優先で、内側重視の発想から抜け出せません。
 規制緩和で増えたタワー型マンションが、高層階からの眺望を売りにするのは、不動産の投資家の食いつきを意識するから。足元の住みやすさをどれだけ考えているか、疑っています。


――では、この先の「作法」は。
 行政と個人の間を埋める、新しい生活モデルが必要です。「地域社会圏」と名付け、若い建築家とプロジェクトを始めました。30代の彼らは、カッコイイ建物を作る以上に、暮らし方を切実な問題としてとらえていますよ。
 モデルでは1ヘクタールの土地に400人が暮らす、これがひとつの単位です。実際に都市の低層住宅地域の人口密度に近いものですが、人口構成比で置き換えると高齢者が86人で、そのうち15人が要介護者。未就学児が21入、外国人が5人……。発電もゴミ処理も地域内で行い、自動車は共同で所有する。子育て支援や介護のニーズも地域の中の労働力で支え合う。形がないと信じてくれないので、関連する企業や行政の協力も得て、具体的なプランを春に発表します。「こんな暮らしかしたい」と思ってもらえるかどうか。


――脱・血縁の地域社会ですね。
 国際コンペで選ばれ、韓国で低所得者層用の1千戸という集合住宅を作っています。セーフティーネットをどう家の形にするか。単身者用と、2-3人向けの間取りを交ぜ、隣り合う2棟は玄関が向かい合う。ガラス張りで土間のような空間です。韓国の中庭を中
心とする伝統的な住宅にヒントがありました。家族でなくてもいい。「きょうは向かいのばあちゃんいるな」とわかる。そこから、「振る舞い」が変わっていきます。
(聞き手・長沢美津子 写真・河合博司)



児童虐待防止法施行10年 ジャーナリスト杉山春:支援あっても犠牲減らず 他人気にして相談避ける」『熊日新聞』10/11/30

 児童虐待防止法が、施行から丸10年を迎えた。児童虐待をめぐる環境はこの間どう変化したのか。ジャーナリスト杉山春さんに寄稿してもらった。

 児童虐待防止法は、虐待を見つけた場合、すべての国民に児童相談所への通告を義務付け、さらに教職員や医師らにも早期発見を義務付けた。その後2度改正され、強制立ち入り調査など児相の権限も強化された。
 それにもかかわらず、虐待で亡くなる子どもは減らない。
 10年前、法施行直後に愛知県武豊町で起きた、21歳の両親が3歳の女児を段ボール箱に入れて餓死させたネグレクト(育児放棄)事件を取材した。
 保健師や医師だけでなく、児童相談所職員ですら知識が足りず、支援体制は貧弱だった。だが今、現場を歩けば、的確な知識、高い意識と熱意で効果的に支援をしている人や組織に出会う。一般社会の側にも、虐待防止には育児支援が不可欠という認識が広がった。
 現場を取材して感じるのは、ネグレクトの背後には、子育てができない自分を恥じる気持ちがある、ということだ。
 当事者が母親であれば、子育てをうまくやらなければ、という価値観に強く縛られている。そこに自信が持てないと、社会的な支援にはつながれない。
 公的機関に相談したら、子育てができないことがばれてしまう。他者の目に怯え、育児相談を忌避する、そんな母親が今、増えている。
 今年7月に大阪市西区の単身者向けマンションで、1歳と3歳の幼い姉弟が長期間放置され、変わり果てた姿で見つかった事件を取材している。
 母親は23歳の風俗従業員だった。彼女は公的支援の存在を知らなかった訳ではない。1年数力月前に離婚したが、結婚時には母親教室などの育児支援を使う、子どもに普通に接する母親だった。
 危機を感じたとき、なぜ彼女はわが子を手放さなかったのか。そうすれば、子どもたちの命は助かった。
 昔の仲間と交流があったが、自分の仕事は明かしていない。彼女のありのままの姿を知る人はいなかった。
 「うまく生きられない自分でも、きっと誰かが助けてくれる」と思えるほどに、彼女は社会を信頼できなかったのではないか。
 事件直後、子どもを救えなかった「大阪市こども相談センター」には電話やメールなどで、日に千件もの抗議が寄せられたという。
 失敗した者を容赦なくたたく傾向も、この10年で悪化したが、何の解決にもならない。社会のそんな気分が広がれば、どんなに緻密な制度をつくっても、絶望する母親は疑心暗鬼に、わが子の姿をさらに隠すだけだろう。



「1対1はどんづまりの関係:金原ひとみさん 作家」『朝日新聞』10/11/23

 周りに子どもがいなかったので、自分が出産するまで、子どもは3歳くらいまでハイハイしているものかと思っていました。妊娠した時は摂食障害気味だったし、薬と酒とたばこで生き延びているような生活だったので、子どものいる自分というものに違和感があって、育児法から子どもとの距離の取り方、母という自己イメージの持ち方まで、最初は手探り状態でした。
 母親とは昔から仲が悪く、出産の時も絶対に病院に来させないでと父親にくぎを刺したくらいなので、必然的に傾れるのは夫だけでした。「今すぐ帰ってきて」と電話で泣きついたこともあります。
 離乳食やご飯をしっかり作ったり、テレビの時間を決めていたり、ちゃんとしたお母さんお父さんもいますけど、私はそういう風にはなれなかったし、以前は虐待のニュースを見ると、可哀想だと思うと同時にほっとしたんですよ。「やっはみんなキレてんだなー」って。
 母と子が孤立しないためには、良好な夫婦関係を保つことだと思います。私の場合、夫が育児に不向きな人だったので、けんかも多くなってパニック映画みたいな日々でしたが、一度週未婚をしてみたら驚くほど関係が良くなりました。無理して3人仲良しこよしするのではなく、「私と子ども」「私と夫」という二つの関係をそれぞれ円滑に進めていくことにしたんです。
 また3人で暮らすようになってからは、夜は2人でゆっくり話したり、土曜日は映画に行ったり、そういうゆったりとした時間を持つようになりました。
 無理にママ友を作る必要はないと思いますが、同じ状況を共有している人が周りにいるのはいいことだと思います。以前、保育園のお迎えに行った時、娘が遊びに夢中で靴を履いてくれなくて、携帯を見ながら待っていたら、ほかのお母さんに言われたんです。「えらいですねー。私は無理やり抱えて帰っちゃってましたよ」って。
 小説を書けば、編集者は大抵「すごくおもしろかったです」と言ってくれます。でも、育児の方が執筆の100倍きついのに、だれも評価してくれないですよね。私ほめられたかったのかー、つて目からうろこでした。
 結婚前、付き合っている男が突然無職になったことが2回あったんですが、どんどん内にこもってって。2度とも「仕事を探そう」じゃなくて、「心中しよう」という話になったんです。1対1の関係は、そういう客観性を失ったどんづまりの結論を出してしまいがちです。恋愛と同じで、親と子で2人だけの世界に閉じこもるのは危険だと思います。