田中貴子『安倍晴明の一千年:「晴明現象」を読む』

安倍晴明の一千年 (講談社選書メチエ)

安倍晴明の一千年 (講談社選書メチエ)

 安倍晴明という存在が、時代時代によって、どのように語られてきたかを追った本。おもしろいんだけど、前半、著者のグチが多くて閉口する。第六章以降は、「すべてのテクストを平等に扱う」という言明とともに、グチがなくなって読みやすくなる。まあ、古典文学や歴史の関連分野を扱う研究者には、複雑な気分があるんだろうけど。これは別の研究者の経験を引用したものの孫引だが、史実の晴明を講義して、「安倍晴明のイメージがつぶれてしまった。授業を受けなければ良かった」(p.26)とか授業アンケートに書かれては、研究者としては困惑するしかないんだろう。ただ、

 こうした背景をうけ、研究者たちは歴史資料を駆使して「安倍晴明の虚像と実像」というテーマで講演したり本を書いたりすることが増えてきた。だが、その多くは幻想の「晴明さま」を慕う人々からそっぽを向かれることが多かった。「晴明は超能力者でもなんでもなく、ただの陰陽寮というお役所の役人だった」と結論づけている諏訪春雄氏の『安倍晴明伝説』(ちくま新書、2000年)が版を重ねることなく置き去りにされているのも、ブームを背負っている若い人々(とくに若い女性)からの反発のあかしと思われる。p.111

は少々被害意識が強すぎるのではないかと思う。そもそも、大半の人は純粋に「安倍晴明の実像」に興味がないのではないか。むしろ、「安倍晴明の虚像と実像」を扱う出版物の企画が通るようになったあたりで、それに興味をもつ人間が着実に増えていると考えることができるのではないか。あと、「史実の安倍晴明」が純粋に面白くないというところも。本書で扱われるような、歴史の中で安倍晴明がどう描かれてきたかの方がよっぽどおもしろい。


 第一章は導入部。現在の晴明ブームの源流として、夢枕獏の『陰陽師』シリーズと荒俣宏の『帝都物語』を挙げている。それにたいする研究者の「困惑」。
 第二章は院政期、『今昔物語集』などの説話文学で語られる晴明。死後100年にして、どうしてこのように集中して語られたのか。賀茂家・安倍家両家によって陰陽道の始祖的な位置づけとされた吉備真備の方が超人的な活躍をしていて、むしろ晴明の説話は地味であること。説話文学に語られるようになった理由として、院政期が社会変動の時代で、人々の不安に対応するために陰陽師や呪術的な活動のニーズが増えたこと。同時代に仏教でも、今までなかった修法が成立しているという。この時代に、陰陽道では方違えや物忌みなどの禁忌が激増していること。また、人々が自分の命を守るために陰陽師に過大な期待をかけるようになったことを指摘する。
 第三章は近世初頭の「晴明現象」。安倍晴明が狐の子だとする「葛の葉の子別れ」が歌舞伎や仮名草子などで語られる状況。また、この時代には、晴明の父親と狐の葛の葉の話がクローズアップされる。安倍晴明の力の起源としての異類結婚譚。また、この時代に、安倍晴明が語られるのは、差別を受けるようになった民間陰陽師声聞師安倍晴明を始祖と仰ぐようななったからだと指摘する。このあたり、『葬祭の日本史』asin:4061497243で読んだ三昧聖たちが自分たちの始祖を行基空也と結びつけた事例や、真継家が全国の鋳物師たちに偽文書を与えた事例と関係しそう。本書ではあまり追及していないが、職能民や被差別民の問題と結び付けることができるだろう。
 第四章は平安京が「四神相応の地」であるという通念を検証している。日本における「四神相応」という概念は12世紀成立の『作庭記』まで下ること。平安京建設の時点では、風水はまとまった形では伝わっていなかったこと。中国や平城京建設時点の理解では、「四神相応」とはさまざまな高さの山に囲まれた地勢を意味し、地形が左右対称であることが要求されていることを指摘する。そして、現在の通念となっている平安京が四神相応の都市であるというのは、平家の福原遷都など平安京の危機において、平安京が都にふさわしいということを主張するためにつくられた観念であると指摘する。実に興味深い。ただ、著者の現在の「四神相応」概念が「四神獣によって守護された霊的な都市」という理解には疑問が。東の青龍が流水、西の白虎が大道、南の朱雀が湖沼、北玄武が丘陵であるのが気がよく流れる地形であるというのが、一般に理解されている四神相応だと思うのだが。そこから物語や絵面的に神獣にしたりしている作品はあるのだろうけど。
 第五章は、同時代の文献の中での安倍晴明清少納言紫式部の作品の中ではどう扱われているか。また、同時代の陰陽師平安時代陰陽師は怪異現象を占いによって露わにし、それを天皇や貴族に奏上するまでが仕事であったこと。実際に払うのは、仏教の僧だったという。また、同時代には、賀茂家の賀茂光栄が存在したが、出世や史料での言及はむしろ、晴明に優っていることが指摘される。少なくとも、晴明が一人だけ突出した存在ではなかったという。

 しかも、興味深いことにはじめは晴明が奉仕したが、翌日改めて光栄を召しているという記事が目につくのである。これは、推測だが晴明ではうまくいかなかったので光栄にもう一度頼んだということではないだろうか。p.133



 第五章は安倍晴明の敵役について。主に蘆屋道満の時代ごとの語られ方の変化。だんだんと複雑になって、単純な敵役ではなくなっていく過程。まあ、悪役も活躍すると単純な悪役ではいられなくなってくるものだが。
 第六章は近代以降の晴明イメージの変遷。明治の講談本や昭和前半の晴明小説では、安倍保名と狐の愛を描いた「葛の葉伝説」が主で、晴明は童として出てくるのみなのが多い。また、大正時代には、関連の作品が少ないという。また、三島由紀夫澁澤龍彦の壮年から老年にかけての晴明を内省的に描いた時代。さらに近年の怨霊退治の活劇へと時代の変遷。また、後半は図像的、容貌に関してのイメージの変化をまとめている。「白皙の美青年」像の起源。中近世には、老年であったり、異貌で描かれる。これが、三島由紀夫澁澤龍彦の小説から時間からの超越性といった性格を付与される。それが、現在の晴明像へとつながり、さらに多様な描かれ方をするようになっているという。実際、渡瀬草一郎の『陰陽ノ京asin:4840217408シリーズでは中年のおっさんだしな。あと、現在のイメージへ繋がるものとして、澁澤龍彦の描いた晴明像は重要なのではないかと思う。

 晴明は延喜二十一年の出生と推定されているから、このころ、すでに七十数歳の老齢だったはずである。しかし一見したところ、彼には年齢がないかのようである。三十代の壮年からそのまま七十代の老年に移行したようで、頭髪はすっかり白くなっているものの、顔の皮膚には皺がなく、陶器のように妙な光沢(つや)さえあった。目にはあやしいまでに光があった。とりわけ、その発する声は若々しいソプラノで、年齢どころか性までも、彼においてはすでに分明ならざるものになっているかのごとくであった。p.185

というイメージから、「白皙の美青年」像への転換はもう一歩なのではないだろうか。
 最後は、晴明は異界との媒介者であり、つねに変容し続けるキャラクターであると指摘して締めている。時代ごとの変遷が興味深かった。あと、晴明関係の小説を読みたくなったな。