ランドール・ササキ『沈没船が教える世界史』

沈没船が教える世界史 (メディアファクトリー新書)

沈没船が教える世界史 (メディアファクトリー新書)

 水中考古学による成果を平易に解説する本。実際に発掘された沈没船などの水中遺跡を解説している。ただ、全体的な歴史の説明はものすごく怪しい。例えば、

 宋の時代(960-1279年)になると、沈没船の発見数が急激に多くなる。この時代は商業が国家から奨励され、自由な貿易が一気に発展した時代であり、中国が海洋国家として大きく成長した時代でもある。モンゴル帝国中央アジアを支配したためにシルク・ロードが交易路として使えなくなり、やむなく海を介した貿易に力を入れるようになったわけだ。p.148

とか書かれると、全体の信用性に疑念を持ってしまう。節子、それモンゴルやない!遼や!! つーか、モンゴルが政治勢力として力を持つのは、1200年代以降何だけど。
 西洋史、特に近世史や船舶の発展史に関しても、なんかあやしいところが散見される。


 個々の発掘船の話は興味深い。序章の水中考古学事始めとなったケープ・ゲラドニャ沈没船の話。第一章は大航海時代ポルトガル・スペイン・イギリス・オランダ関連の沈没船が紹介される。あとは、地震で沈んだジャマイカのポート・ロイヤルの話。第二章は、ヨーロッパ周辺の発掘された沈没船の紹介。古代の地中海世界ヴァイキング、中世バルト海のコグ船、カラック船とカラヴェル船の発展などが紹介される。第三章はアジアの交易と沈没船。新安沈船は中世史を語る上で外せないものとなっているが、他のアジア圏で発掘された沈没船を紹介している。泉州沈没船や蒙古襲来のときの沈没船が眠る鷹島ベトナムの陳朝がモンゴル艦隊を撃破するために設置した木杭の遺跡など。
 第四章は水中考古学の発掘作業の紹介。沈没船の目星をつけて、探して、発掘して、保存処理を行うまでの一連の流れを紹介している。第五章は水中考古学の意義と文化財保全の話。宝探しで荒らされてしまうと、その遺跡が持つ情報が失われてしまう。また、意図せずに失われたものだけに、それが持つ情報価値の高さ。
 あんまり信用し過ぎるのも問題だが、さらっと読んで楽しむ分には悪くない本。


 以下、メモ:

 一つ目は「ゴキブリ」である。「400年以上も昔の沈没船からゴキブリが見つかるなんて!」と驚かれる方もいるだろうが、すみやかに水中の砂に埋まった場合には酸素と接することがほとんどないので、有機物の保存には、むしろ陸上の遺跡より有利なのである。面白いのは、発見されたゴキブリが1種類ではなかったこと、ヨーロッパ原産のゴキブリと、アメリカ大陸原産のゴキブリが数種いたようだ。人間に見つかって叩きつぶされるのを免れながら、積荷にまぎれて数千Kmの旅を続けていたのである。p.63-4

 ゴキブリも「コロンブスの交換」の流れの中にいたわけか。ちゃんと調べたんだな…

 この沈没船には、実に様々な種類の武器が搭載されていた。青銅製の大砲に、鉄製の大砲。甲板に敷いたレールにくくりつけて使用する、小型大砲のような対人兵器も発見されている。この小型大砲に石や鉄くずを詰めて発射したらしい。意外なのは、弓矢も数千本という単位で発見されたこと。14世紀以降に大砲などの火器が発明されて船に積まれるようになったが、対人兵器としては弓矢もまだ同時に使用されていたのだろう。p.74-5

 1511年に建造されて、1545年に沈んだ、ヘンリー8世自慢の軍艦「メリー・ローズ」号の話。1545年にそれはまた不思議な感じ。そのくらいの普及度だったのだろうか。16世紀も半ばになれば、火縄銃はそれなりに普及していそうなものだが。まあ、イングランドは買う金がなかったという可能性も。
 ヴァーサ号もそうなんだけど、「自慢の巨大軍艦」ってのは復元性が悪くて、こんな末路ばっかりだな。

 致命的に思えるのは大砲の弾のサイズがまちまちで、大砲の口径も統一されていなかったこと。口径に合わない砲弾を使えば、発射時に砲が破裂する危険もある。たとえ発射できても命中精度はきわめて低く、的に当たっても弾が不発になる可能性がある。これでは、敵の艦隊とまともに戦えるわけがない。もっとも、スペイン艦隊にとって大砲はあくまで補助的な武器にすぎず、基本は兵士を敵艦に送り込んでの接近戦だから仕方ない面があった。剣・槍・手榴弾・炸裂弾などの対人兵器が大量に見つかったことも、その戦法を裏付けている。
 さらに沈没船の発掘は、これまで語られなかった事実を明らかにした。文献を見ると、無敵艦隊の出現は相当時間をかけて準備されたようだが、そのわりには武器の作りが粗雑なのである。新造の大砲でも発射軸がずれており、これでは弾はまっすぐに飛ばない。砲弾の製造が間に合わなかったのか、小さな鉄の弾を鉛や鉄で覆って大きな弾に作り替えられた砲弾もあった。弾の重心がずれて、まっすぐ飛ばない弾だ。鉛の「殻」が裂けた弾骸も発見されている。これらは何を意味するのだろう。出撃まで、実はあまり時間がなかったということか。あるいは、艦隊自体の士気や能力が劣化していたのか。
(中略)
 水中考古学で沈没船を検証していくと、無敵艦隊とはどうやら名ばかりで、実は統率のとれていない寄せ集めの艦隊だったのではないかと思えてくる。
 この海戦を最後に、中世から続いた「敵艦を乗っ取る」戦法はほとんど使われなくなっていく。これ以降主流になるのは、射程の長い大砲を撃ち合う砲撃戦だ。そこで、従来のように出来合いの商船にただ大砲を積み込むのではなく、大砲を搭載するにふさわしいデザインの船が設計されていくことになる。大砲の口径などの規格も統一され、次第に統率のとれた近代海軍へと発展していくのである。p.83-86

 うーん、ここだけで間違いが二つ。まず、この時代には炸裂弾はほとんどない。あと、帆船時代にはナポレオン戦争にいたっても、ごく近距離で撃ち合い、最後は斬り込み隊を送り込む方式の戦法が続いている。トラファルガーの海戦でも壮絶な斬り込み戦が行われていたのだが。
 あと、この時代には常備艦隊なんぞという贅沢なものは存在しないから、当然、アルマダといえども、商船を徴用したもののほうが多かったはず。これは、おそらくイングランド海軍とても同様だったはずだ。大砲にしても、規格をそろえるなんて発想が出てくるのは、かなり後の時代だったことに注意すべき。注文生産状態の大砲なんだから、そんなものと考えるべきではないだろうか。同時代の大砲の平均値でも出てこない限りは、容易に結論は出ない。まあ、当時の地中海世界は燃料の供給がひっ迫していたのに対し、バルト海の森林資源を利用できた英蘭の方が、兵器の準備には有利だった可能性が高いが。
 あと、やわい地中海型商船が多数沈んでいるということは、逆にスペイン艦隊の中心を占める一線級のガレオンなんかは、沈まず本国に撤収することに成功した可能性が高いと解釈もできる。そのあたりも、解釈が難しい問題だと思う。

 当初は、沈没事故の衝撃でガラス容器が砕け散ったと考えられたが、破片をパズルのようにつなぎ合せようとしても、うまくいかない。それぞれの破片に統一性がなさすぎるのである。また完全なガラス容器が船首と船尾の乗組員居住区で発見されたことからして、この船は、積荷スペースに大量のガラスの破片を積んでいたと結論づけられた。つまりガラスのリサイクル船だったのである。ガラスの破片は、溶かせばまたガラス瓶に再生できる。少なくとも11世紀には、地中海沿岸にガラスをリサイクルするシステムがあったことになる。p.123-4

 11世紀の沈没船。青銅器の破片やこういうガラスの破片が、商品として流通していたというのは興味深い事実だな。