「水前寺成趣園:築山に政府軍砲台確認:熊本市が初発掘」『熊日新聞』18/9/22

 熊本市は21日までに、国の名勝及び史跡の水前寺成趣園中央区)にある築山の発掘調査を行い、江戸時代の造成土や、1877(明治10)年の西南戦争で山を削って政府軍の砲台が置かれていた位置を確認した。市は23日に現地説明会を開く。
 市文化振興課によると、築山の発掘は初めて。熊本地震で頂上部が約60センチ陥没したため、復旧方法を探るための調査で分かった。
 8月上旬から約1ヵ月間、築山の北側と南側の2ヵ所を数センチから50センチ掘り下げた。土の色や盛り方の違いから、江戸時代の部分と砲台が置かれていた位置、西南戦争後に盛りなおした土の層を確認したという。現在の築山は高さ約8・5メートルで、砲台は約5・8メートルの高さに設置されたとみられる。大砲を実際に発射する時に使う薄い摩擦管の破片(長さ1・5センチ、幅5ミリ)も出土した。
 これまで西南戦争前後の古写真から、政府軍が築山を削って砲台を設置していたことは分かっていた。
 現地説明会は23日午後4時から。無料。中止の場合は市のホームページに掲載する。         (飛松佐和子)



 熊本城解囲後、熊本平野東部でおこなった城東会戦の際の砲台かな。熊工があるあたりに陣地を作っているとしたら、相手からの遮蔽もあり、地形の高低の不利もある程度カバーできるポイントではあるな。ただでさえ、丘陵に攻め上るわけだからなあ。
 熊本平野東部全域を使った大会戦の割りに、一日で終わっているんだよな。現在の熊本市域の部隊は、地の利もあったのか、優勢に戦ったが、御船・大津方面が陥落して、後方に回られ、総退却。
 植木あたりでは、田原坂の戦いを戦跡考古学的な手法で調べているが、城東会戦は、宅地化してしまったから、痕跡が残ってないだろうなあ。


 つーか、水前寺公園の築山、頂上が陥没しているのか。
 西南戦争の直後の写真を見ると、だいぶん形が違うから、そのあと、盛り土しなおしたのだろうなあ。