令和5年度くまもと文学・歴史館企画展「ジェーンズと熊本洋学校:明治熊本に貢献した外国人教師」

 電車通り前の講演にジェーンズ邸が再建されたのを記念しての企画展。
 ジェーンズが指導した熊本洋学校をめぐる公文書がけっこう豊富なのが興味深い。洋学校は、実学党政権の目玉事業の一つだっただけに、直接行政と関係しているわけか。「熊本県公文類纂」で明治初期の行政文書がガッツリ残っているのが、本当に力になっているな。ジェーンズとの契約書や避暑に出かけたあとの帰着届など。
 ジェーンズが口述したのをまとめた『生産初歩』という書籍の出版願いとか、熊本藩の薬園にジェーンズでジェーンズが持ち込んだ種子の栽培を試みる願書、教科書を印刷するための印刷機据え付けの願書など、付随していろいろと殖産興業的な活動が行われているのも興味深い。


 第二部は、熊本洋学校閉校後のジェーンズ邸。よく考えると5年間存続した洋学校時代より、その後のほうがよっぽど長いんだよな。
 ジェーンズ邸が現代まで生き残ったのは、西南戦争の被災を免れたことと、同戦争時官軍の本営となった時に日本赤十字社の前身の設立願いが出された発祥の地であったことが大きそう。でなければ、1930年代に解体されていた可能性もあるのかな。
 ジェーンズ邸のさまよいっぷりがすごい。今度の移築で四回目か。
 最初は、現在の第一高校の敷地に熊本洋学校の官舎として建設。西南戦争の官軍本営として使われたあとは、県庁の官舎として使用。23年同地にあった後、南千反畑で物産館の衆議所として移築。38年同地にあり、学校の職員室や団体の事務所、捕虜収容所など様々に利用。1932年に水道町日本赤十字社熊本支部記念館として移築。35年同地にあって、その後熊本市に無償譲渡。1970年に水前寺成趣園東側に移築、「洋学校教師館」として文化財指定。46年同地にあったが、熊本地震で倒壊。2022年、現在地に移築再建。
 なかなかの波乱万丈。


 第三部は、洋学校出身者のお話。まあ、これに関しては、もう「熊本バンド」が真っ先に来るわな。だいたい、同志社関係者になる。徳富蘇峰も熊本バンドに加わっているのか。なんか、ずいぶん作風が違いそうだが。
 あとは、成績評価の報告書が興味深い。一応、みんな勉強に頑張った評価になっているけど。一番成績のいいのは助手扱いか。


 最後は文学に取り上げられたジェーンズ邸。徳冨蘆花の伯母の伝記『竹崎順子』や木下順二の『風浪』、石光眞清『城下の人』。あとは敬神党の檄文とか。