第13回永青文庫セミナー「永青文庫と『旅』」

 今回は、いつもと毛色が変わって、古典文学を対象とした展示。
 講演のテーマは、幽斎が集めた旅行関係の古典書や幽斎作品から見る、古典文学的センスの特徴といった感じかなあ。近世的な紀行文の世界を期待していたから、ちょっと、異質すぎて驚く。


 1432(永享4)年の足利義教による富士遊覧の際に、不破の関がどのように描写されたのかを事例に、古典文学的センスの紹介。不破の関は、関ヶ原近くにあった律令国家が設定した関所。1201年に藤原良経の歌「人住まぬ不破の関屋の板庇荒れにし後はただの秋の風」という歌が出た後は、これを踏まえて、荒れ果てた風景を詠むことがパターン化していた。
 この遊覧には、飛鳥井雅世「富士紀行」、堯孝「覧富士記」、いずれも著者未詳の「富士御覧記」、「左大臣義教公富士御覧記」の四本が残されている。前二者では、ともに、「苔むして」「苔のみふかくて」と、前例に沿って描いている。しかし、「左大臣義教公富士御覧記」によると、美濃国の守護土岐持益による、義教の馳走として、新品に建て替えられていた。それによって、義教が機嫌を損ねたという話が残る。
 このように、現実を無視して、古典のイメージを描くのが、古典的な文学のあり方。中世の、文学的な紀行は、現実を見ることではなく、歌枕を訪れるのが目的である、と。途中は完全無視で、歌枕で和歌の再確認をすることが目的。
 道中の諸々興味を持つようになるのは、江戸時代に入ってから。
 しかし、こういう作為があるとすれば、情報源として期待する人間には、非常に使いにくいとしか言いようがないなあ。


 幽斎は、「旅」に関連する書物も集めているが、基本的には和歌の参考資料。あるいは、書物のやり取りを通じて政治的関係を構築するのに利用される。
 「紀行文」というジャンル・ジャンル意識が、そもそも、この時代には存在しなかった。


 あとは、幽斎の著作「九州道の記」に見る、特徴。
 やはり、歌枕を訪れて、それに関する記述を歌を書くスタイル。「歌枕名寄」という歌枕の解説書を、暗記して、文字の適否などを議論。
 あるいは、和漢連句の「歌舜太平民 みちあるや世のゆづりをもうけられし」に見える、秀吉への強烈な阿諛。この句に見られる「ゆづり」は堯舜の継承と秀吉・秀次の関白位継承のダブルミーニング。さらに、「道ある」には、後鳥羽院の和歌を踏まえて、秀吉の朝鮮出兵を讃えている。
 幽斎の文学は非常に政治性の強い、政治的な生き残りの手段であったこと。また、狂歌の名人でもあった幽斎は、非常に瞬発力の高い、作風である、と。


 貴重資料の展示も、古典的なスタイルの紀行文が並ぶ。