井上たかひこ『水中考古学:クレオパトラ宮殿から元寇船、タイタニックまで』

 水中考古学はロマンだよなあ。
 水中考古学の歴史や、それによって何が分かるかを、簡潔に解説した本。貿易船や軍艦一隻、丸ごと沈んでいると、貿易品・生活用品、船などが丸ごと一セット、意図せずに使用不可能になるわけで、分かることは多い。地上の考古学でゴミ捨て場が宝箱になったり、襖紙などにつかわれた反故文書が思わぬ歴史を明らかにするのと同様に。巨大なタイムカプセルということができる。
 一方で、地上とは違って、潜水機材が必要。視界が悪かったり、潮流で位置保持が難しいなどの問題などで、ずいぶん、お金がかかるという側面も。無尽蔵に金があるなら、水中に基地でも作って、飽和潜水で作業したほうが効率いいんだろうけど。あるいは、遠隔操作の潜水ロボットで、全部やっちゃうとか。
 そういえば、有明海にも、沈没船ってあるのだろうか。ザビエルは高瀬で上陸しているわけだから、大型の交易船が有明海に入り込んでいたのは確かだろうけど。


 全体の構成は、四章にコラムが3本、で終章。
 第一章は、水中考古学を開いた、トルコ近海で行われた、青銅器時代、エジプトではツタンカーメン王の時代頃の地中海交易船の発掘のエピソード。当時の東地中海地域での、国家間の贈与交易で、どのような品物がやり取りされていたかを明らかにする。大量の銅と錫のインゴット、ガラス素材、特産の樹脂、宝飾品などがやり取りされていた状況が明らかにされる。カバの歯が、象牙の代用品として、大量に流通していたらしいというのも興味深い。
 第二章は、伊万里湾に沈む蒙古襲来の元軍船の話。1980年代から続けられていた探査の試みが、2010年代になって実を結ぶようになったと。そして、発見された軍船から明らかになる、当時の造船技術や兵士たちの生活、どのような形で元軍の軍船が壊滅していったか。杉山正明の『モンゴル帝国の興亡』でも、江南軍の大半は老朽化した軍船を使っていたと指摘していたが。「てつはう」の話も興味深い。元船から発掘された「てつはう」は直径15センチ、重さ2キロの大きさだったそうで、人力ではなく投石器で発射したのではないかという。投石器を使うということは、船同士の戦いや攻城戦で使われるものだったのだろうか。
 第三章は、17世紀前後に輸出された有田磁器を、水中考古学で追っかけた話。オランダ東インド会社の沈没船や東南アジア・南アメリカから発見された日本磁器の遺物から、交易ルートを追う。ヨーロッパへも持ち込まれ、マニラ・ガレオンによって南アメリカにも運ばれたことがわかる。しかし、輸出された量に比べると、出土した日本製磁器の数が少ないなという印象も。メインはスリランカに沈んでいるオランダ東インド会社ガレオン船、アーヴォンド・ステレ号の話題。水深5メートルなら、周りを矢板かなんかで囲んで、排水してしまえばいいんじゃねという気もするが、かかる金と5メートル以上の構造物が持つかどうかを考えると現実的ではないか。
 第四章は、東アジアの中世の沈船。新安沈船は、日本向けの交易船だっただけに有名だが、中国で発見された泉州の沈船、南海一号沈船なども紹介される。荷札として付けられた木簡から、その船に関連した商人や寺院、役人などの利害関係者が炙り出される。あとは、何度も使いまわされたコンテナ的な木箱とか、隔壁で仕切られた中世中国の貿易船の構造なども興味深い。泉州の船からは、相当数のネズミの骨が見つかっていて、中国の船もネズミに悩まされていたことが分かるそうな。新安沈船から出てきた大量の銅銭の話は、著名なところだな。一隻で28トンか。貨幣需要を満たすとしたら、そのくらいは運ばないと話にならないか。その時代にすでに「骨董品」として評価されていたものが、商品として流通していたというのも興味深い。


 コラムは、引き揚げた発掘品の保存処理、古代のアレクサンドリア港の発掘のエピソード、比較的最近の沈没船であるエルトゥールル号タイタニック号の話など。
 何百トンもの船の木材に薬品を浸透させるのは、大変そうだな。しかも、長期の保存処置と考えると、こういう化学薬品は大丈夫なのだろうかと気になる側面も。鉄製品が錆びまくるのは当然予測できることとして、陶磁器やガラスでも油断はできないと。このような、沈没船の保存処理に関しては、バーサ号やメアリー・ローズ号の経験が応用されていると。しかし、メアリー・ローズ号の引揚と保存にかかった費用がすごい。日本では、これだけの費用は絶対に確保できないだろうな。海洋帝国の誇りって奴だな。
 2つ目は、クレオパトラで有名な、古代のアレクサンドリアの探索について。5世紀の地震で、海中に没してしまったと。1980年代から、フランク・ゴッディオ氏のチームによって、探索が進められてきたと。軍港でアクセスしにくい、沿岸で水が濁っている、都市の排水で健康に悪いという三重苦のなかで、長期間の発掘が行われ、地上での博物館建設なども行われていると。都市のプランを明らかにするには、ソナーの測量なんかが有効そうだけど。石造りの建物が残っているなら、意外とはっきりと分かるのではないだろうか。
 トルコと日本の有効のシンボルとなっているエルトゥールル号の話、そして、深海での発掘のテストケースになっているタイタニック号の話。船の内部に小型ロボットを送り込むってのも、なかなか勇気がいるな。高価なものがロストする可能盛大。


 ラストは、現在、著者が取り組んでいるアメリカ船ハーマン号の調査について。戊辰戦争の折、函館に援軍として送り込まれる熊本藩兵を乗せた蒸気船ハーマン号が、千葉県勝浦沖で沈没。現在、その発掘調査を行なっているそうだ。意外なところで、熊本とのつながりが。
 研究費が乏しい中で、やりくりしての調査。船体の残り方。洋食器などの引き揚げられた遺物。日本人の使っていたものが少ないということは、船倉や客室部分は、分断されて別の場所に沈んでいるってことなのだろうか。エンジンらしい部分が見つかっているということは、船体の中央部ってことなのかね。
 あと、太平洋に面している海域だけに、調査が海況に影響されやすいと。


 以下、メモ:

 海底から引き揚げられた壺は、細かな調査が行われる。まず、中に含まれている砂や泥を慎重かつ丁寧に取り除く。その後、砂や泥から、針の先よりも細かいイチジクやクミンの種などを取り出すため、網目の細かいふるいにかける。この作業の過程で樹脂の中からカタツムリを発見した。ベルリンにある動物学研究所の軟体動物学者によると、そのカタツムリはある限られた地域にのみ分布している種のカタツムリだということがわかった。その分布地域は1000年でほぼ変わりはない。カタツムリは木の切り口からにじみ出た樹脂にくっついてしまい、逃げられなくなったのだろう。カタツムリの分布地域から、樹脂はイスラエル死海の北西地域から集められたと考えられ、またこの推測は樹脂に含まれていた花粉の分析結果によっても裏付けられている。p.18-9

 なんとも便利な指標だな。

 これらに加え、一二以上ものカバの歯(犬歯と切歯の両方)も見つかった。このような大量のカバの歯が見つかったことは、非常に驚くべき発見であった。というのも、青銅器時代のほとんどの象牙はアフリカやアジアの象から採取されたものだったからだ。この発見を公式に発表してから、これまでいろいろな博物館で展示されていた同時代の象牙には再調査が行われたが、なんとその半分以上が象ではなくカバの歯だったという思いがけない事実が明らかになった。特にサイズの小さいものは、七五パーセントの確立でカバのものだったのである。p.22

 カバの歯が、代用象牙として使われていて、同時代の遺物の半分くらいを占めているという。おもしろい。

 一方、韓国南西部での新安沖海底沈船の発見は、一九七五年、全羅南道新安郡に属する道徳島という小島の沖合で操業する漁民の網に、青磁の花瓶など中国宋・元代の陶磁器がかかりだしたことに端を発する。網には最初、青磁の仏像が掛かったが、漁民らはそれを不吉なものだと思い、船べりにぶつけて壊し、海に捨ててしまった。p.157

 日本だったら、お寺が立つ類の発見だと思うが、国が違うとこうなるのか…
 寺社の縁起なんかでは、網に掛かった仏像を祀って、大きなお寺がなんてエピソードはよくある話だけど。浅草寺なんかも、そうじゃなかったっけ。


 関連リンク:
特別展「よみがえる軍艦エルトゥールルの記憶」
特集:エルトゥールル号 120年の記憶 2010年9月号 ナショナルジオグラフィック NATIONAL GEOGRAPHIC.JP
肥後細川藩・拾遺:明治二年一月二日・ハーマン号沈没事件
ハーマン号