嘉島町放浪

 昨日の続き。神社を中心にあちこち動き回った。とはいえ、まともな地図を準備していなかったので、それほど実際には、ほとんど道に迷っていた感じだが…

中無田神社

 健軍から南下する途中で寄った神社。この中無田集落は江戸時代初期に開発された新田集落らしい。後で行く、浮島の熊野座神社を勧請したとのこと。鳥居の前に湧き水があって、水汲みに次々と人が来ていた。「熊本県平成の名水百選」に選ばれているらしい。全景は撮り忘れ。




 しだれ桜が結構咲いていた。


浮島さん

 浮島熊野座神社とその周囲のため池。西の集落側からみると、池に浮かんでいる島のように見えるから、この名前が付いたとか。1000年前から存在すると称される。石灯籠は明治のもの。つーか、あまり古い石造物はない様子。戦国期にはスポンサーの井王氏も含めて、衰退していたようだし。





井寺古墳と井寺の集落

 江戸時代から知られた装飾古墳。このあたり、低地の中の丘陵で、しかも湧水豊富と、住みやすい環境ではあったんだろうな。






櫛島熊野宮

 こちらも浮島の熊野座神社を分霊したものだろう。ここも平野中の小丘陵の上に立地している。石灯籠は比較的新しいものだったが、古げな残欠も。最後は、なんかいい色のレンガだったので思わず写真に。





下六嘉の薬師堂

 東に向いた谷があり、崖の中腹にお堂がある。なんというか独特の雰囲気の空間だった。谷には湧水?があり、プールも設置されていた。下には猿田彦大神碑、近くに水神碑がある。周囲には五輪塔の残欠も。下からお堂を写した写真は、ものすごい逆光。あと、お堂から見下ろした風景。






六嘉宮

 下六嘉集落の神社。由来の看板によると、阿蘇神社系のようだ。甲佐社の分社らしい。境内が広いし、なかなか立派。ただ、古い石造物はなかった。逆に、整備され過ぎというか、古い物は処分されてしまったっぽい。18世紀にたてられた社殿が、平成11年の台風18号による倒木で破壊されて、建て替えられた由。摂社の天神社の石灯籠の彫刻がいい感じ。
 くまもんがお出迎え。





池辺水神社

 上六嘉集落の神社。小さいながらも、割合石造物が豊富な神社。社殿はなくて、ご神体は木だった。



足手荒神と下六嘉の集落

 なかなか見つからなくて苦労した。地図を用意していないと御覧のあり様。甲斐宗運の息子、宗立が肥後国一揆で敗れ、負傷、ここで没した。その際、手足で苦しむものを救うと遺言したという。現在も尊崇を受け、2月15日の例大祭の時には、足や手の痛みで苦しむ人が多数訪れ、臨時バスも運行される。ちなみに私が入った西側は、裏口らしい。天草の人が奉納した手水鉢?とか、石工名が入った石灯籠とか。
 しかし、嘉島町の集落は、どこも雰囲気がいい。なんか陶器のナマズがたくさん並んでいる「嘉島なまずの里」が印象的だったな…







三郎無田の建物




広木公民館

 地図には公民館としか書いていないのだが、いきなり鳥居がある不思議な公民館。敷地に入ると、手水鉢とか、それらしきものはあるが、社殿は見あたらない。寒くて、人に聞くのもおっくうだったから、そのまま帰る。
 鳥居には護比君神社と書いてあるが、祭神は不明。同名の神社が御船町にも存在するのが気になるところ。