「馬場楠井手の鼻ぐり」説明盤

 鼻ぐり公園内に設置してある説明の石碑(?)。ここの整備も、道路整備の余禄なんだろうな。



馬場楠井手の鼻ぐり
     菊陽町指定文化財
     昭和五十四年二月二十三日指定


 肥後の武将、加藤清正は多くの土木事業を行いましたが、
慶長十三年(一六〇八)に完成した馬場楠井手もその一つです。
 馬場楠井手はここから約千八〇〇m上流の白川に築かれた
馬場楠堰から取水する灌漑用水路で、白川左岸台地を潤して
いますが、他の灌漑用水井手と違いこの井手には、「鼻ぐり」
と呼ばれる全国に類がない独特な工法が用いられています。
 阿蘇に源を発する白川にはヨナ(火山灰土砂)が多く含ま
れており、各灌漑用井手にはヨナが蓄積し、維持管理が大変
でした。
 さらに、この区間(曲手‐辛川)は、厚くて固い岩盤が、
四〇〇mも続く所で、もし、井手を掘削した場合、地上から
井手の底までの深さは約二〇mになり、井手の底に堆積する
ヨナを人力で排出するのは困難と予想されました。
 そこで、加藤清正は水の力と岩盤を利用してヨナの堆積を
防ぐ「鼻ぐり」と呼ばれる、独特の構造物を考案しました。
 その構造は、岩盤を掘削するときに壁(約二‐五mおきに
厚さ約一m、高さ約四‐一〇m)を残し、その下に半円形の
径約二mの水流穴をくり抜いたものです。そして、ここを流
れるヨナを含んだ水は、壁の影響で流れが変化し、うずを巻
いて水流穴からヨナとともに流されていきます。
 この「鼻ぐり」は当初約八〇ヶ所設けられ、江戸時代末期
に水理を知らない役人によって約五〇ヶ所が破壊されたと伝
えられています。また、自然災害などで壊れてしまったもの
もあり、現在では二四ヶ所を残すのみですが、昔と変わらず
その役目を果たしています。
 なお、「鼻ぐり」の名前の由来については、牛の鼻ぐり(鼻輪)
に似ていることからこの名がついたと思われ、この区間のみ
通称「鼻ぐり井手」と呼ばれています。


地域用水環境整備事業
(歴史的施設整備型)本
遺構は築造からすでに
約四〇〇年経過してお
り、植物の侵食による
土壌化、風雨による風
化、自然災害等により
損傷が進んでいました。
このため、価値ある歴
史的土地改良施設とし
て、後世に継承するこ
とを目的に遺構の補修・
周辺整備を平成九年度
から一五年度にかけて
熊本県が実施しました。