山出保『金沢を歩く』

金沢を歩く (岩波新書)

金沢を歩く (岩波新書)

 市役所勤め、助役、市長20年と長期間にわたって金沢市政と関わってきた著者による、金沢の解説。街歩きの本みたいなタイトルだけど、地域政策の本と考えたほうがよさそう。どういう意図で、街づくりをしてきたかの解説書みたいな感じだな。非常に文化や景観を重要視して、街づくりが行われてきたのは理解できる。逆に言えば、自慢話とも。
 加賀前田100万石の城下町として、高度な工芸の技術が蓄積されたこと。第二次世界大戦時に空襲をうけず、町並みが破壊されなかったことが、現在の歴史都市としての姿を残している要因であるそうな。さらに、80年代以降の開発の波の中で、伝統的な景観を保持するために、広範に重要伝統的建造物群保存地区の指定を受けているのがすごい。実際に指定するには、相当の政治的な手間がかかるはずだし。このあたりの志の高さはすなおにすごい。また、工芸の職人養成のために、さまざまな助成・支援体制を整えているのも特徴。このあたりが、自慢の施策なんだろうな。町内会などの、自治組織の組織率も高い。
 しかし、金沢って別に機械工業がないわけでもないのに、なんで爆撃されなかったんだろう。そっちが不思議な感じ。軍の駐屯地もあったのに。日本海側までわざわざ攻撃する手間を惜しんだのか。
 教育政策については、ちょっと疑問を感じるところもあるが。


 以下、メモ:

 いま、「何もつくらないことの贅沢」が、ここにあります。思えば加賀藩の歴代藩主は、城とその周辺に豊かな緑をつくり、育て、守ってきたのです。金沢城兼六園の樹々、本多の森、藩祖利家を祀る尾山神社の叢林を整備し、市内野田山の前田家墓所とあわせて、豊かな緑の保全を図ってきました。戦後日本の都市が、土地をコンクリートで固めたことが、重大な災害を招く原因にもなっていることを忘れてはなりません。p.43

 「何もつくらないことの贅沢」か。これは大事な発想だと思う。

 こんな状況のなか、繊維工業は新合成繊維織物を、また繊維機械工業では、一九七六年に津田駒工業(通称「ツダコマ」)が、水や空気によって緯糸を飛ばす超高速自動織機「ウォーター・ジェット・ルーム」や「エア・ジェット・ルーム」を開発し、生き残りを懸けたのです。ツダコマは、先の津田米次郎の甥にあたる津田駒次郎が一九〇九(明治四二)年に創業した歴史のある企業です。
 一方、繊維機械工業の部品関連メーカーが、工作機械や食品関連機械の分野に進出するなど、新たな展開を見せました。工作機械では、高松機械工業や中村留精密工業などが高付加価値製品を開発し、海外でも評価の高いメーカーとして発展しました。また、ボトリング・システム機械の澁谷工業、回転寿司コンベア機の石野製作所、豆腐製造装置の高井製作所などにより、多様で高度な食品関連機械が生産されています。さらに、特殊搬送システム機械のホクショーなどは、いずれも大企業では参入しにくい多品種注文生産分野へ進出しました。
 これら一連の産業は、「ニッチ(すき間)産業」と呼ばれています。p.149-150

 金沢に機械のイメージはなかったけど、けっこうあるんだな。繊維機械の生産修理からスピンオフしたのか。

 市内を流れる用水は、ものを洗い、世間話を交わす空間でした。しかし、いつの間にか用水に蓋がされ、車が置かれるなど、コミュニティ空間としての役割を失ってしまったのです。
 金沢を代表する繁華街の香林坊を横切って流れ、郊外で灌漑に使われている用水が鞍月用水です。香林坊地区では、用水の暗渠沿いにある飲食店や住宅に気がかりなことがありました。車社会の進行につれ、駐車場に使っていたからです。橋は市の負担で架け替えが可能ですが、駐車場をなくすためには車を別の場所に移さねばなりません。
 「見えない用水」を「見える用水」へ、金沢市は一九九五年から鞍月用水開渠整備事業をはじめました。用水に蓋をしている暗渠の部分を取りはずす工事に反対する人たちもいて、住民と市との話しあいは難航しました。しかし市の職員は辛抱強く、一つひとつ、住民の要望を聞いて対応したのです。p.181-3

 わざわざ開渠するのもすごいな。熊本では、旧浜線あたりでは逆の方向で行われているが…

 まちは、長い時間のスパンのなかで、ていねいにつくりあげていくことが大切です。
 まちづくりには、テーマがあってストーリーが必要です。理念のもとに、計画と方針があるべきです。計画と方針に沿って、拙速を避け、識者や市民の意見を聴きながら、ゆっくりとつくりあげていく過程が、まちづくりでしょう。もし、理念や計画・方針を変えようとするなら、識者による審議と市民の合意が欠かせません。p.207-8

 それが常道だよなあ。大阪では、逆をやって無茶苦茶になっているわけだが。まあ、最初にテーマもストーリーもない、怨念ではじまっているから、ああなるのは必然だったんだろうけどな。


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