黒田暁他編著『用水のあるまち:東京都日野市・水の郷づくりのゆくえ』

 戦後、宅地化が進んだ東京都の日野市で、どのようにして市内に張りめぐらされてきた用水路を保全するかを検討した本。基本的には自治体の基本計画や市民団体の活動など、私自身が興味がない問題だけに、読むのに苦労した。内容としては、第一章が地形の特徴や歴史的展開、第二章が行政の都市計画・基本計画における用水路の位置づけとその変遷、第三章が市民団体と市民参加について。第四章は日野市の農業の現状と用水。第五章がアンケートによる意識調査を素材に、水路に対する感覚について。それぞれ議論している。
 本書の議論、特に最後の議論は、歯切れが悪い。まあ、多数のステークホルダーが(関心のない人も含めて)存在して、その中で、用水路の存在意義をどう確立し、積極的に住民に関わってもらうか。外野の研究者にとっては厳しい問題なのだろうな。都市問題の難しさというか。最初は、「日野市の美しい景観と、水路や湧水を結んでかたちづくられて生活環境の在り方に惹かれて調査研究を開始」(p281-2)したそうで、深く関われば関わるほど大変なのだろうな。


 いや、これは維持そのものがずいぶん難しいのではないだろうか。特に制度や労力の点で。水田への給水という本来の目的を失った用水路を、誰がどのように費用を出して保全するか。果てしなく調整が難しそうな問題。市民活動・市民参加を重視しているが、現状活発に活動している人は1000人ほどぐらいだろう。そう考えると、多くに人に関わってもらう方法、長期的な組織化はずいぶん大変な事業だなと思う。「市民」と言ったって、他に仕事があったり、投入できる労力には限りがあるわけだし。
 基本計画を含めて、全体としては、用水路を保全していこうという社会的合意は存在すると言っていいのかもしれない。行政も、市民にしても総論に関しては、それほど反対派ないように見える。ただ、実際に使用していた水田が、近郊農業の畑に転換していく状況で、「環境」や「郷土」という旗印だけで、毎年4000万円以上の資金を投じ続けるのは、将来的にはどうなんだろう。市内の気温を下げる効果などを経済的価値に換算して、説得していくなどの手はあるのだろうけど。
 本書では、環境社会学や都市計画系の研究者で書かれているが、生物学や水質の専門家が参加していればとは思った。現在でも、排水路として排水が流されている状況ではあるみたいだし、日野市の用水路や湧水の水質はどのようなレベルなのだろうか。そのあたりは、今後の利用にも関わってくるのではないだろうか。
 あと、本書のなかでの市会議員の存在感のなさは異常。こういう、自分の街の形を作る活動にこそ、議員は積極的に関わって、行政と橋渡しをするべきなのではないだろうか。市町村レベルの議会の形骸化というか。熊本市でも、市議会の議員って何やってんだろうって感じだしな。


 本書の市民活動の議論を読んでいて思ったこと。市民参加の議論ってのは、必然的に自営業者・小生産者主体の社会を展望するのかもしれないなと思った。外部に通勤する被雇用者では、地域の問題に本腰を入れて関われない。地域と密着し、労働時間などに裁量がある人でないと、なかなか本格的に参加するのは難しい。そう考えると、ベッドタウンでの「市民参加」というのは結構厳しいのかもしれない。実際、本書で紹介されている用水路に関係する市民団体も、大概主婦と年金生活者みたいだし。日常生活からどの程度時間と労力を割いてもらうのかは、一番大事な問題なのかも。


 以下、メモ:

 同じ1964(昭和39)年2月15日発行の『日野市広報』では、八王子市に建設中の高倉工業団地の汚水が黄緑色の泡を立てながら谷地川に注ぎ、日野市の小川に流入する付近で小魚や川の藻が死に始めていることが指摘されている。p.13-4

 生活公害の中でもとくにカドミウムによる土壌汚染や水稲汚染の問題は日野周辺の各地で発生し、社会問題になっている(『広報ひの』1970年11月11日発行)。用水系統では「日野用水のうち日野駅下を貫流し、谷仲山から宮地区に至る“宿裏掘り”に汚染が目立ち、土壌に最高2333ppmという数値がでた」(『広報ひの』1971年4月1日発行)という。また上田用水でも奇形の魚が発見され、水田の米がカドミウムに汚染されていることが明らかとなったことで、汚染部分の水田は強制休耕処分となり、代償として稲作農家に配給米が与えられた経緯もあった。p.15

 高度成長期の環境汚染というのは恐ろしいレベルだったのだな。現在の中国みたい。まあ、中国の方が何倍も規模が大きそうだが。現在の汚染状況はどうなっているのかも気になる。

 さらに、区画整理事業地内の施策方針として、1農地が残りやすい換地設計、2地形を生かした換地設計などを目指している。p.101

 地形を重視するのは大事だと思う。原地形、災害の様相にも影響するし、第一、幾何学形の町割よりも、ゆるっとした曲線の方が心地いいと思う。ヴェルサイユの庭より、英国式庭園の方が気持ちいいのと同様に。

 その後、1993年策定中であった第三次基本計画構想策定に際し、提言を行い、1995年に最終報告書「市民版日野・まちづくりマスタープラン―市民がつくったまちづくり基本計画」が発行された。この試みは、当時、全国初ということで話題となり、新聞紙上でも紹介された。


「日野の市民の提案能力を高め、多様な政治参加を保証するには、研究機関や専門家集団の支えが要る。日野市のマスタープラン作成グループは「市民こそ一番のシンクタンク」という。実際、建築家も法律家もそれぞれの地域にいる。すべての市民が何らかの専門家といえる。その専門家集団の知恵を結集することが、市民版シンクタンクの第一歩になる。」(『日経新聞』1995年6月3日)


 このように無党派層が増え、政党が次第に力を弱めていく時代の中で、市民によるシンクタンクと実際の政治が繋がることを、新たな政治の姿として取り上げたこの記事は、市民によるマスタープラン創りの可能性を高く評価している。つまり、「日野・まちづくりマスタープランを創る会」は個別問題の反対や告発ではなく、総合的なまちづくりを市民が提案できることを証明したといえるだろう。その後、継続的な市民主体のまちづくりを進めるため、恒常的な組織として「まちづくりフォーラム・ひの」が設立された。p.131-2

 これそのものは素直にすごいけど、どこまで一般化できるかが問題と言うか。組織が安定して官僚化する可能性やどれだけ労力を割けるかというのは、やはり「市民活動」の壁だと思う。

 このような市民活動を担い、市民活動団体を長年支えていたのは、リタイアしたサラリーマンや80年代から活動している主婦たちである。現在、メンバーには高齢者も多く、市民活動団体や活動を複数掛け持ちし――2、3団体の重複も珍しくはない、そのため活動ごとの参加人数が減ってきているともいわれる。1970年代、80年代に発足した市民活動団体は、現在、高齢化や会員減少でどちらかというと衰退傾向にある。また、公園の清掃活動を行う公園愛護会への参加も減っているなど、市民活動自体衰退しているという見方もある。p.140-1

 持ち家を購入できる階層が中心だった、いわば高度成長期型の社会ならではということではあるな。共働きが一般化し、経済的余裕がなくなってきた現役世代は、なかなか参加できないだろうし。そう考えると、今後の「市民活動」というのは、ますます厳しい。ネットのつながりをうまく取り込めればいいのだろうけど、基本的に接触があまりないだろうしな。

 ただし、日野では米価の低迷ならびに農家の高齢化によって、水稲作の主体である農家による用水維持・管理は年々難しくなっている。こうした状況に対し、日野では、住民やボランティアによる水稲作への参加を呼びかけている。
 しかし、こうした取り組みの前提として、「第二次農業振興計画」でも述べられていたように「用水を残すためには、水田が必要不可欠です」(日野市産業振興課編、2004:80)という自覚が市民にとって重要である。というのも、農家ではない市民が用水機能の本源的な意味合いに気づくことは難しいからである。それゆえ、まず水田を“米作りの場”として活かすことが重要である。そこで、こうした水田と市民のかかわりを“より深く”させるために「食」は有効に作用すると思われる。というのも、自らが食べるものをその水田で栽培することになれば、“強い参加動機”が生まれやすいからである。その意味で、地元産の米を給食で利用することは、水田の保全に有効であるだけでなく、農業用水としての用水路保全にも意味がある。「環境用水という考え方の前に、あくまでも農業用水としての位置付けが大変重要なことです」(日野市産業振興課編、2004:80)という認識のもと、「食」という位相を媒介にして、希薄化した、あるいは切れてしまった市民と水田、市民と用水路を再びつなぎ合わせていくことが求められている。p.181

 うーん、自立的な産業としての水田稲作が死にかけている状況で、それをどう延命させるか。

 かつての清流監視委員や清流条例の「協力義務」のような、強いニュアンスの行政主導によるタイトな農業用水路保全は、しだいに緩やかな市民参加の形式による水辺環境保全へとその性質を変えつつある。このことは、農業用水路が農業の構造的な衰退の影響を免れ得ないことと無関係ではない。農業用水路の利用やその維持管理がおぼつかなくなってきた実態から、農業用水路を広く水辺環境ととらえ、農業用水を生態系の保全や景観、親水空間の形成、防火用水、水源涵養といった多機能を備える「環境用水」としてその価値を見直そうとする動きが出てきている。こうした用水をめぐる緩やかな社会組織やしくみの形成とも連動している「環境用水」の概念は、日野の都市農業と実際にどのような兼ね合いにあるのだろうか。p.200

 新たな価値の付与。

 このように用水維持のために大いに期待される日野の米作りであるが、現在、その目的はもっぱら自家消費用や学校給食のためであり、市場に流通させている農家は少ない。日野において農業生産額をあげているのは、野菜や果樹である(図4-12)。こうした現実を考えると、「用水米」を立ち上げたところで、農業収入が大幅にあがり、農業経営が改善されることは期待できないだろう。しかし、「用水米」という発想の目的は、“親水機能”という環境や景観の文脈に傾きがちな用水の維持や保全を、「作る(生産)=食べる(消費)」という本源的な意味において米作りと用水路を再び結びつけるということにある。そして、こうした取り組みが、現在、縮小傾向にある水田を少しでも残し、結果的に用水路を本来の意味を含み持ったままで残すことができればという、“ささやかな試み”であると考えている。
 ともあれ、日野産の米を買い、食べ続けることが、市民に米作りと用水の関係を自覚させ、結果的に日野の環境や景観の保全、とりわけ用水維持や水質改善につながる可能性がある。そのような“しかけ”を構築することは決して無意味な実践ではないだろう。p.213-4

 難しい。

 現在、人工衛星画像、地名データを備えたGoogle Earthを用いてデータベースの公開を進めている(図5-11、5-12)。用水路網、湧水地点、市民団体が調査した水田等の情報を公開し、さらに調査地点の写真115枚をリンクさせ、用水路網については、開渠・暗渠・消滅の属性を与えた。これにより、作成した用水路網図の精度を確認でき、人工衛星画像による用水路周辺の土地利用の目視等、総合的な閲覧が可能となった。なお、将来的には、住人がGPS機能付き携帯電話で撮影した写真を携帯端末からGoogle Earthにアップデートできるようにし、住民参加型の公開データベースとしたい。p.236

 メモ。おもしろそう。

 ここまで述べてきた用水路調査の知見の一つは、日野市には豊かな用水路が存在しながらも、全般的ににはその関係性は「遠い」ということである。
 前述した「用水守」制度以外に、市民と用水路の接点としてあげられるのは、“子どもを介して”用水路へのかかわりが生まれているということである。調査票調査の自由回答欄から、いくつかの市民の声を見てみよう。p.246-7

 遊び場としての水路はプライスレスだよなあ。教育効果というか。

 さらに、これまでの政策を見直し、農業や用水路のもつ多様な価値を強調する動きは、さまざまな領域に及んでいる。例えば、エコ地域デザイン研究所の研究グループは、日野のこれまでの線引制度や区画整理事業によってまちの「器」が大きくなりすぎ、また用水路や緑が断絶されてしまったことを指摘する。さらに今後は、環境問題や人口減少傾向に伴う「縮小社会」を迎えようとしているが、この都市縮小化と人口減少によって「モザイク状」に生ずるであろう空き地を集約し、そこに「緑」や「水」を配置することによって、「廻廊」をつくる「歴史・エコ廻廊」という構想を提示している。「縮小社会」に対応したまちぢくりや都市計画を設計しようとするコンパクトシティ論の見地からの指摘は重要である。また、日野市の崖線と水と緑を一体化した構造として捉え、つなげるという構想自体は。二章で見てきたように、実は日野市の景観、環境を考慮した都市計画マスタープランなどでも示されており、目新しいものではないが、あらためて政策的に緑や水を残しているという方向性を示すという点で意義があるだろう。
 しかし、この「歴史・エコ廻廊」の構想を実際の計画として実行する際には、そこから「現在の住民の生活」に対する視点が抜け落ちていってしまう可能性があることに留意する必要がある。研究グループは、この計画のためには「全市民的な合意が必要かつ重要」と言及している。しかしながら、住民の現実の生活感覚を踏まえると、ただちに首肯することはできないと編者は考えている。なぜなら、空き家や未利用の土地が多くなったからといって、その地区を「歴史・エコ廻廊」の該当地区として、土地利用を集約的に配置転換することは、そこで暮らす地域住民の生活や主体性を置き去りにした計画となりかねないからである。より多くの、さまざまな立場の人々からの意見に耳を傾け、生活や主体性を汲み取っていく必要があるだろう。
 もちろん、現実的な対応の身を考慮してしまうと、豊かな構想が生み出されず、将来の計画とそれに対する反省から抜け出せなくなってしまう可能性もある。この「歴史・エコ廻廊」という構想も、「100年後を考えた都市計画」の指針としての評価はありえるだろう。しかしながら、その一方で、「歴史・エコ廻廊」の提唱という試みが、そこに住む人々がこれまでその土地に込めてきたささやかな愛着や記憶があることを捨象してしまい、外側から「エコ」や「日野の有名な歴史」といったスマートな価値づけを当てはめ、無自覚に上塗りしてしまう危険性を含んでいることを忘れてはならない。従来の地域開発の反省からスタートしたはずの構想が、皮肉にも「歴史」や「エコ」という名目で行う地域開発主義の延長に陥ってしまうことのないよう、議論を続けていく必要がある。p.268-9

 難しいねえ。しかし、スプロール的に住宅地化した土地が今度はモザイク状に廃墟化するというのは、なかなか皮肉な展開だな。まあ、21世紀型田園都市というのが、どういう形になるべきなのか。

 本書のもとになった研究グループは、さまざまな意味で日野市の美しい景観と、水路や湧水を結んでかたちづくられた生活環境の在り方に惹かれて調査研究を開始した。水田と用水路を含む田園風景は、多くの人々にとって「美しい」ものであり、また地域のかつての生活を物語る重要な文化的要素と映るだろう。だが、こうした田園風景について、ただ美しさや伝統文化を外形的に評価するだけでよいのだろうか。近代化=都市化・郊外化によって失われつつある風景を残さなければならないという、行き過ぎた近代化の反省としての、田園風景という景観や生活環境への賞賛は、人々のノスタルジーに訴えることによって一定の共感を受けるかもしれない。だが、そもそも景観自体の合意形成の困難さの前では、この「景観やそれに付随する表層的な生活文化への賛美」もまた一つの価値観に過ぎない。確かに近代批判という思潮は、「現在、都市部に住む私たち」から見れば、興味深い発想である。だが、この思潮を基準にして、小さな共同体の営みを外部から一方的に定位し、評価・解釈・意味づけを行うべきではない。ましてやこの小さな共同体の営みを環境保護、人間重視、自然と共生といった都市で作られたスマートな知の体系の中に回収させてはならない(吉川・松田、2003:21-22)。「ある人びとにとっては美しい風景が、その風景の中で暮らす人たちにとってはとりたてて美しくないこともあれば、逆に、ある人びとから見れば美しかった風景の破壊であることが、他の人びとには美しい風景の創出と見なされることもある。ある風景が美しいかどうかということや、どんな風景を残し、どんな風景を新たに作るかということは、社会的・文化的な価値意識にかかわり、その価値意識は環境と人とがどんな関係の下にあるのかということにかかわっている」(若林、2010:27)からである。
 行き過ぎた近代化を批判し、かつての生活風景からノスタルジーを喚起させ「美しい都市」の姿を構想すること、そして、合意形成の場では安易に住民の主体性に期待し、その一方で「期待される住民の主体性」の欠如を嘆くこと。このような専門家の態度は、建築物やそれを含む風景、景観の美しさや生活環境に対する価値をあらかじめ認識の前提に組み込み、そのまなざしを人々や社会に投げかけているに過ぎない。このようなまなざしは、近代化の中で失わざるを得なかったまちや人々の歴史を埋没させ、専門家の価値観を押し付けることに案る。その外挿的な価値観の押しつけは、「いま、ここ」に住む住民が、「負」の歴史を踏まえた上で本来住民自らの手で模索し、獲得すべき「地域のあり方」や、「地域のために営む」事における住民の主体性を削ぎ、主体性が育まれるべきプロセスを阻むこととなる。
 本書(編者)の主張は、日野市の用水路・行政施策・市民活動、市民参加のあり方を考える際に、再帰性を発揮することを求めるということである。ここでいう再帰性とは、ある対象に対する言及がその対象自体に影響を与え、対象自体がその言及を自ら検討し、評価し直すための材料として活用されることを指す。つまり、行政や市民、さらに専門家などあらゆる主体が日野というまちの今後を考える際には、自らの存在自体が今のまちのかたちに影響し、それぞれの主体に責任があることを前提とした上で、これまでの実践や自らの視点を見つめ直すことから、未来のまちの姿を考えるべきだ、という主張である。まちの主人公である日野市民が、さまざまな「取捨選択」を自ら行い、問い直し続ける作業を経て「残った」ものにこそ、そのまちにとって本質的な選択が見出されていく。そこにこそ、外側から持ち込まれた「もっともらしい」価値観の外挿をはねのけ、日野市民がオリジナルなまちのかたちをつくり出していくいく可能性が見出されるのではないだろうか。p.282-3

 うーん、言いたいことは分かるんだけど、そのまちの景観に惹かれてやってくる人にとって、その景観を維持保全していくことこそが利益なのであって、そうでなければ関わる価値なんてないのではないだろうか。自分が思い描く「夢」も大事だと思う。自分の価値に向けて誘導しようとする営みそのものを否定してしまっては、何のためにそこに関わっているかを見失ってしまうのでは。確かに、自分の立ち位置を常に反省して、やりすぎないように気を配ることも重要なのだが。


日野用水を歩く ―上流編―