- 作者: 佐藤滋,城下町都市研究体
- 出版社/メーカー: 鹿島出版会
- 発売日: 2002/04
- メディア: ハードカバー
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周囲の山を利用して都市の軸線を定める「山あて」や天守閣、周囲の山を象徴的に見せる演出など、一見不整形に見える城下町都市の街割には、きちんとしたデザイン原理が存在すると指摘。その上で、現在の新たな城下町の街づくりに、このような過去の遺産をきっちりと活かすべきだという話のようだ。最後の解説を読むまで、よくわかっていなかったが。
東日本の事例がかなりの部分を占めているが、いろいろとバラエティがあって興味深い。また、関係者が深く関わっている都市では、地域振興の活動がページを割いて紹介されている。しかし、こうして見ると、県庁所在地になったような都市は、近代の都市改造、戦災、さらには戦災復興区画整理で、なんか跡かたもなく改造されまくっている感じだな。むしろ、中小規模、現在住民数万人レベルの都市の方が、旧態をよく残している感じが。あと、軍用地にならなかった城が堀の埋立なんかで、ずいぶん改変されてしまっているんだなってあたりも印象的。たいがい、外堀は埋められて、街路になっていたりする。
紹介されている中では川越の取り組みが興味深い。町屋の空間構成を前提として、それをうまく再利用している。
以下、メモ:
町家空間の保存と活用
町並み委員会と町づくり規範
一番街町並み委員会がそのまちづくりの原則集としている「町づくり規範」は、C.アレグザンダーの「パタン・ランゲージ」を参考とし、単に外観のみを規制、誘導するための規範(ルール)でなく、町家の空間構成を理解した上でその秩序を守り継承しようとするものである。規範の中でその特徴をよく表す項目として、「4間・4間・4間のルール」がある。これは、南北街路に面する短冊形敷地の欠点である日照・通風の悪さを、街区内の一定の場所に中庭を確保することで解消するという、空間構成の作法である。
このように「町づくり規範」は、町並み保存のために建物の形態を規制しているものではなく、新しくまちを創造するための共通言語なのである。
みせ空間の街区内への浸透、そして遊動空間形成へ向けて
現在、一番街周辺は歴史的資源の魅力と各商店の個性あるみせづくりが功を奏し、多くの来訪者で賑わっている。その中で、従来の商家が行っていた「住まいながら商いする」という営業形態も少しずつ変わり、空き店舗等へ別のテナントが参入する事例も現れてきている。その場合の多くは、住宅や収蔵庫であった表通りに面さない居住空間まで「みせ」が浸透し、伝統的な町家空間を生かした商売が行われている。「町並み委員会」では、通りに面した建物のファサードや敷地内の建物の配置などといった空間構成については改善を求めるが、その用途については言及されない。もともと商業の活性化が大きな目的だからである。
今後、敷地の奥かつての居住空間まで「みせ空間」として利用することが多くなれば、背後の背割り線を利用し、隣接するみせを行き来されるといった、より回遊的な動線つまり遊動空間を形成させていくことも可能である。一番街という強烈な個性を持った商店街にこのような遊動空間が付加されれば、まちの魅力がいっそう増すことになるだろう。p.76-7
城下町の歴史資源とは
現代に残る城下町都市の個性あるまちづくりがしばしば言われる。その時話題になるのは、歴史的な武家屋敷や町人地の町並み復元や城郭や大手門の再建ばかりである。しかし、本当に重要なのは、それらの基盤にある、これまで述べてきたような歴史的に引き継がれた都市全体の空間構成である。例えば現在村上では、中心商業を屈曲しながら北に抜ける旧街道をまっすぐに抜く計画がある。だが、前に述べた小町坂の屈曲やそこに込められた空間の演出こそ、大事にしなければならない空間資源であり、村上らしさそのものである。
昭和の初期、あるいは昭和30年代に都市計画道路が計画されたとき、内務省や建設省の技術者が中心となって、各地で都市計画決定をした。決定された街路のパターンは、地図上ではたいへん美しい形に見える。しかし、城下町とは何かという議論は少数の例外を除いて皆無で、城下町の構成原理を無視した形が押しつけられたものがほとんどである。「城下町は迷路のような構成である。だからこれを近代都市に組み替える」。東京はもちろん、地方の都市でもこのような単純な「近代都市計画」が受け入れられ、現在もこれが生きている。
例えば、村上では独特の空間構成をどのように評価するか、2つの立場がある。第1は、交通の障害になるクランク状の道路を解消し、利便性を高めることでまち中を再活性化しようという立場で、第2は、武家屋敷や町家などの歴史的な町並みと共に街路の構成も保存しようという立場である。現在は、先に述べたようなクランク状の街路が直線化されつつあり、このことをある住民は「まちの空気が抜けたようだ」と表現している。一方で武家屋敷の保存などには市民・行政も熱心で、旧武家屋敷地区の保全のために都市計画道路を変更することもされている。このように、城下町の既存の構成の保全と、それを破壊する都市計画街路の構築との間で、岐路に立たされている城下町都市はこの村上以外にも多い。
しかし、クランク状の街路や複雑な都市構成の意味が、よく言われているように敵を惑わす軍略上の意味だけしかなかったのであれば、これを保存する理由としては説得力が弱い。しかも、山の風景を縁取る町並みは、コンクリートの電柱と蜘蛛の巣のような電線に視線を遮られて情けない姿をさらしている。
いま一度、城下町が構成されデザインされている大きな原理を、市民全体の共通の理解とすることから、都市づくりの方向、ビジョンが語られるべきであろう。そのような意味からも、現在の城下町都市の基盤にある城下町の構成原理を読み解くことは重要である。p.168-9
本書のテーマはここにつきているのだろうな。「城下町空間」の保存の意義。確かに、個々の建物ではなく、空間を保存できないと意味がない。
正直、区画整理された土地が「美しい」かと言われると、まるっきり同意できないしな。