月刊はかた編集室『古地図で歩く福岡:歴史探訪ガイド:決定版』

古地図で歩く 福岡 歴史探訪ガイド 決定版

古地図で歩く 福岡 歴史探訪ガイド 決定版

 タイトル通り、福岡の都市を、古地図と現在の地図で比較しながら歩けるガイド本。既視感があるなと思ったら、『熊本歴史探訪ウォーキング』と同じ版元の本だった。基本的な書式が決まっているのかな。
 企画としては面白いんだけど、掲載されている地図の方向がページごとに違って、どこを扱っているのかわかりにくいのが欠点。索引図が必要だったんじゃなかろうか。できるだけ多くのスポットを詰め込むために必要だったのだろうけど、ネットの地図を見ながらじゃないと読めなかったのは、さすがにねえ。
 あと、古い地図の年代が、ばらついているのも欠点。この内容なら、近代に入ってからの都市地図でも良かったんじゃねという。


 江戸時代の地図と比べてみると、博多湾岸の陸地が本当に大規模に埋め立てられたのだなと実感する。「城下町福岡」って、福岡城博多湾の間の細い陸地に、東西に細長く立地しているのだな。台風が北側を通ったときは、高波で、被害が出そうな感じがする。
 天神も、東西の堀が複数入っていて、細かく分断されていた。いまは、そういう痕跡をまったく感じないが。頭に入れて歩いたら、へこんでたりするのだろうか。
 博多の西部を除いて、寺社がかなり旧状をとどめているのが興味深い。武家屋敷は、天神の北側の大身家臣の屋敷地が、石碑で記憶をとどめている程度なのに比べると、お寺や神社は、城下町絵図の寺社名が、現代の地図でも見いだして楽しい。というか、それがなければ、道路網もかなり変わってしまっている感じだなあ。


 福岡・博多地域の他に、小倉、久留米、秋月、柳川の地図とガイドが収録されている。小倉も、割合旧状が残っている感じだな。近世には、小倉城と東側の町人地城下町の間に広い水面が開いていて、本当に河口というか、潟湖の周囲を開いた都市だったんだなという感想を持った。
 秋月や柳川も、割と旧状をとどめている。後者は、城と城下町の堀割がけっこうきっちり残っているが良いなあ。本丸は残念ながら、埋め立てられて、学校になってしまっている。今昔マップを見ると、1930年代あたりに埋め立てられてしまって、その後に学校が建設されたという順序のようだ。どういう経緯で、そうなったのだろう。
 秋月は、武家屋敷が耕地化した感じか。町人地は、その後も都市的集落として存続して、町家など、雰囲気のある町並みになっているようだ。


 久留米の変貌ぶりが、逆に印象に残る。本丸以外は徹底的に改変されて、ブリジストンの工場・関連施設と学校が作られているのか。城下町のど真ん中に鉄道と駅ができているのも、あまり見ない都市構造。ここ、川が入り込んでいて、田圃になっていたからこそではあるのだろうけど。北西側は市街地を貫通して線路通しているよなあ。
 東西の水天宮周辺や寺町は、かなり、古い時代の面影をとどめているようだが、市街中心部もかなり区画整理をやった気配があるなあ。戦災でもあったかな。