講演会「熊本地震からの城下の復旧について」

 一週間たたないうちに市立博物館再訪。「追憶の熊本」展に関連して開かれた、本講演会を聴きに。
 NPO法人熊本まちなみトラストの事務局長、冨士川一裕氏による古町・新町の町家や歴史的建造物の保存・復興の状況の解説。「熊本地震私的調書」、「城下町の復旧・復興」、「『記憶の継承』について」の三つのトピックで構成。
 改めて、写真で回想すると当時の混乱を思い出すな。地震で、室内はぐちゃぐちゃ、水道と電気は止まる、余震が延々続く。その中で、歴史的建造物の保護が模索された。旧中村小児科医院や森本襖表具材料店のような解体を余儀なくされた建物もあり、一方で唐人町筋の清永本店、西村邸、ピュアリィ、塩胡椒、PSオランジュリといった公私の支援を受けて修復に着手した建物もあり。
 つーか、PSオランジュリって、レンガ造の建物だったのか。外観がタイルっぽいから、すっかり騙されてた。で、熊本にはレンガ構造の専門家がいないから、外部からの専門家の助言が助かったとか。五高記念館と同じように、鉄筋を挿入して固める方式で補強を行うことになった。そもそも、この建物が熊本まちなみトラストの端緒になったとか、マンション会社が購入し解体のタイムリミット直前に現所有者ピーエスの先代社長が購入したとか、いろいろとドラマチックな話も。


 地震後に、古町を見て回ったとき、店の外装が壊れて、町家っぽい姿がのぞいている建物が多くて、驚いた記憶があるな。で、そういう破損の激しい建物は、解体されて、姿を消してしまった。そして、今日、意識して回ると、意外と町家っぽい作りの建物が、割と残ってるんだな、と思った。といっても、築年代がいつか、私にはいまいち分からないのだが。


 あとは、未指定文化財については、自己負担が非常に重く、解体するか、保存するかで悩んだ所有者が多かった。歴史的価値のある建造物に関しては、非常時にそなえて、あらかじめ補助制度を準備しておく必要がある。清永本店に関しては、2年間にわたって、保存の模索が続いたというのが重い。
 中小企業保護目的のグループ補助金、県の文化財復旧復興事業補助金文化財ドクター派遣制度といった公的支援策。さらに、唐人町筋の建物群に関しては、ワールド・モニュメント財団の支援が行われている。


 それでも、熊本城下町の町家は、かなり消滅している。
 2010年ごろの調査では400軒余の町家が存在し、その後、1年に10軒程度解体されていった。そして、熊本地震で、一気に150軒ほどが公費解体で解体され、現在は200軒を切っている。町家がなくなっていく過程を、地震は一気に加速した。


 「記憶の継承」が、町並みの保存、そして、地震からの復興にも重要である、と。
 熊本城下町、特に古町・新町界隈は、堀の役割を果たしていた坪井川、白川が、生きた川で埋め立てられず、残った。また、熊本城が軍用地化して市街化しなかったことから、城下町の町割りが比較的良く残った。そこに、城下町の文化や近代化の痕跡が重層している。その、記憶を継承していかないといけない。
 都市とは、単なる人口の集積地であるだけでなく、実用される半過去の遺産が街中に散らばる。ふるさとを忘れない生活空間である必要がある。中心市街地の空洞化は心の空洞化であり、記憶を失った都市は滅ぶ。