第2回被災文化財復旧情報講演会「未指定動産文化財のレスキュー活動と歴史的価値」、熊本地震復興再生会議連続シンポジウム第7回「被災文化財の現状とこれから」

 本日は、熊日本社で行われた講演会に出撃。被災文化財の保護・復旧を、共通のテーマとする講演会とシンポジウムが相乗り。
 県教委主催の第2回被災文化財復旧情報講演会が稲葉継陽氏による「未指定動産文化財のレスキュー活動と歴史的価値」。その後、熊日が主催の熊本地震復興再生会議連続シンポジウム第7回「被災文化財の現状とこれから:市民の保護活動を考える」が続くかたち。

第一部 第2回被災文化財復旧情報講演会「未指定動産文化財のレスキュー活動と歴史的価値」

 熊大の稲葉先生による史料レスキューのお話。

  • 1、未指定動産文化財のレスキュー活動

 江戸時代の古文書は、大名家、大名家臣家、惣庄屋、村役人家、個々の家といった多様な主体によって作成・蓄積され、世界でも希な濃密さで残存している。これら、総体でなければ、地域の歴史は理解できない。しかし、そのうち99パーセントは未指定で、公的な助成や文化財としての評価が行われていない状況にある。
 4/23に「熊本被災史料レスキューネットワーク」が発足、メンバーの日常の活動を通じてつながりのある資料所有者からレスキューを開始。その後、3ヶ月して、文化庁を中心とした公的枠組みの「文化財レスキュー事業」が発動。45件で2万5千点を確認。行政が未指定文化財保全へ取り組んだことが画期的なことだが、実際に動き出すまでに3ヶ月は時間がかかりすぎた。事前の枠組みの準備が必要。
 1998年に刊行された『熊本県古文書等所在確認踏査概要報告書』が作成されていて、これが、初動で重要だった。市町村の文化財保護委員を経由しての、状況把握が迅速にできた。2003年の宮城県北部地震では、この種の台帳が存在しなくて、初動で苦労したとか。
 マニュアル化の必要性。村役人の蔵からは、古文書だけでなく、書籍、什器、道具、美術品がセットで出てくる。それぞれに対応した、多様な知識が必要。また、被害状況確認、二次調査、搬出、応急処置、調書作成、一時保管庫への移動といったいくつも段階があるため、知識の伝達の効率化が必要。特に、リスト化には、人手と時間がかかるので、人材育成の必要性がある、と。文化財レスキュー事業では、市民サポーターを養成しているそうだが、場所が松橋収蔵庫や八代近辺で、遠いのがなあ。
 村役人層の家から、肥後藩御用絵師の屏風が出てきて、広い範囲で受注していた、歴史文化の層の厚さを示すとか。

  • 2、未指定古文書の歴史的価値。

 このセクションは、各地の惣庄屋文書や村役人文書から、何が分かるかという話。そもそも、近世には、実際の社会の運営は、地域社会(村や町)などの力量によって担われていた。藩の文書だけでは、近世社会の総体に迫ることができない。この講演では、二つの事例が紹介される。
 一つ目は、天草島原の乱後の、移住政策の話。住民が一掃されてしまった両地域は、海外からの船が漂着する、外国との境界地域であり、その再建は国家的な問題であった。そのため、九州山口の諸藩に、移住者を選抜し、送り込むように命令をだした。これに対し、肥後藩は、二ヶ月で、移住を実現している。この過程を示すのが、玉名郡腹赤村庄屋文書。これに残された人畜改帳には、この移住命令に関してという記述が残っている。一月で、住民のリストを作成、惣庄屋に提出している。直接に住民を把握しているのは村とその法的代表の庄屋であって、大名権力ではないことが明らかになる。
 二つ目は、1789年に熊本藩が領国全域に発した倹約令を確実に実行すると、個々の村人にまで誓わせた請書の写しの話。これは、寛政の改革の目玉として、松平定信が、20万両の上納を行わせたときの資金調達に関する史料。20万両を調達するためには、年貢米を担保に大阪の商人から借金する必要がある。確実に、年貢米を徴集できる能力の証明として、請書が必要だった。一農村の文書が、松平定信まで繋がる。

  • 3、未指定文化財保存のための行政への提言:古文書について

 ラストは、レスキューの経験などから、行政への提言。
 地域社会の衰退や家族システムの変動によって、地震前から、個々の家での史料の継承ができなくなりつつあった。腹赤村庄屋文書は、古書店に流出したもの。熊本で、歴史的に蓄積されてきた資産が、あと10年ほどで消滅してしまう。
 また、古文書のリストとして『熊本県古文書等所在確認踏査概要報告書』が作成されているが、文化財保全を考えると、これを台帳として維持する必要がある。それには、定期的に状況確認をおこなう継続的な専門業務が発生する。それを誰が担うか。
 これらの問題への対策として、公文書館の設立が急務。
 モデルとして、天草市の天草アーカイブズ条例と天草アーカイブズが存在する。歴史史料の保全活用、価値の市民への発信、市民を担い手として組み込んでいる、専門職員の配置、有識者審議会による指導など、必要な施策は組み込まれている。
 行政文書等管理条例の先進性など、素地は準備されている。

第二部 熊本地震復興再生会議連続シンポジウム第7回「被災文化財の現状とこれから:市民の保護活動を考える」

 こちらは、熊日主催のシンポジウム。歴史的建築物の保全に重点が置かれているのが、第一部と好対照。
 熊本県建築士会まちづくり委員会委員長の山川満清氏によるヘリテージ・マネージャーの話、益城町教育委員会の堤英介氏による益城町地震時の文化財保全の取り組みの話、日本イコモス国内委員会事務長の矢野和之氏による建築物保全についての話。

  • 「復興3年、ヘリテージマネージャーの取り組み」

 山川氏の報告。歴史的建造物保全の知識を持つ建築士を、建築士会が認定するもので、社会貢献としての制度。阪神大震災を契機として、制度化されたもの。地震直後からの緊急調査の取り組みや復旧支援などの活動紹介。正直、パワポのコピーを配って欲しかった。 文化財復旧の寄附金を元手にした、県の助成金制度が立ち上げられて、これは全国初である、と。

 堤氏の報告。震災直後に、文化財関係の部署が、どのように活動したかの話。というか、どのように活動できなかったのかって感じだけど。熊本市でも、博物館や文化財系の職員が、避難所運営などに動員されたが、益城町でも同様であった、と。しかたない事情ではあるのだが、一方で、文化財保全も時間との勝負だからなあ。もう少し何とかならなかったのか。四賢婦人記念館の資料が、水損した話などを聞くに。
 文化財保護委員メインの、住民主導の文化財保護活動の初動。復旧活動の過程で見つかった品物。震災遺構の保存・活用による記憶の継承など。

  • 矢野氏報告

 建築物保全活動の話。調査団を組織して、保全活動を行った。
 文化庁主導の文化財保全支援は初。応急危険度判定は、建物自体の状況を判断したものであると思われている誤解。私も、建物がヤバイと思っていた。判定と同時くらいに、知識がある人のアドバイスが必要。ここでも、事前にリストを作っておくことの重要性が指摘される。古町研究会・町並みトラストによる町屋のリストが、非常に役立った。
 支援制度としては、早い段階にはグループ補助金が利用された。しかし、住居部分には使えないなどの制約が。その後、熊本地震被災文化財等復旧復興事業補助金制度の創設。未指定文化財も対象にしたのが画期的である。しかし、所有者の負担が重く、補助率の引き上げの必要性がある、と。
 京都府の暫定登録制度による把握の話や能登黒島の制度的遣り繰りの話など。


 とりあえず、未指定文化財も対象にする、文化庁が直接文化財レスキューに関わるなど、画期的な成果もあり、可能なかぎりの保全活動が行われた。しかし、問題点もあった、と。
 未指定文化財への助成や文化庁の活動は、画期的ではあるが、制度の立ち上げや設計に時間がかかりすぎた。あらかじめ準備しておくことが必要である。
 他に、補助率の問題や寺社への援助の問題。震度で派遣先を決めたが、実際の被災状況とのズレがあったなど。


 益城町まちづくり協議会のフットパスの話は興味があるのだが、ネットには、コースなどの話が出てないなあ。