山崎善弘『村役人のお仕事』

村役人のお仕事

村役人のお仕事

 タイトルの通り、江戸時代の日本社会の実質を担っていた名主などの村役人の活動を紹介する本。なのだが、「役人としての名主」に重点を置きすぎているように思える。根本的には、大規模な経営を行う富裕な百姓というのが、村役人層の基本のように思えるが。業務経費の自己負担がけっこう多く、公益への投資を必要な近世役職者において、それを支えるだけの財力が大事なのではなかろうか。
 文書主義の業務である名主としての活動について、史料が多く残りがちであるという、史料のバイアスを考えるべきではなかろうか。
 あと、なんか幕府の農本主義に同調してしまっているような感じがして、どうも…
 キャッチーなタイトルの割に、読むのに苦労した。


 群馬県東吾妻町の旗本保科家所領の名主伊能家、東京都足立区佐野の名主から複数の村を束ねた栗原組合村の大惣代となった佐野家、兵庫県小野市の清水領知で河合中村の名主から領域支配を差配する立場になった三枝家、現在の兵庫県福崎町の姫路藩領辻川組の大庄屋三木家の、東西四カ所の名主から、名主の仕事の共通性と地域性を抽出する。
 こうしてみると、熊本藩の手永の惣庄屋って、権限というか、活躍の範囲が広かったのだな。一方で、村単位の庄屋の存在感がめちゃくちゃ薄いのが特徴なのだが。


 名主の仕事としては、年貢の皆済が一番の基本であった。基本、在地に、実務担当者がいない近世の体制では、ここからして村の自治に依存していた。あるいは、自村の社会経済活動を維持するための法的知識、自力でかなりの規模の新田開発や交通路整備を行う土木技術と、地域社会とそこに蓄積された知識は相当なものがあった。
 むしろ、幕藩体制は、このような地域社会の力量と地域社会の富豪層におんぶに抱っこで、それは江戸時代の後半ほど強まっていった。社倉政策なんか、完全に富豪層の寄付に依存して遂行された。


 四家の違いも興味深い。もともと在村の武士で自らが開いた佐野新田に強い影響力を維持した領主的名主の佐野家、名主から最終的に武士身分に吸収された三枝家、大庄屋のトップとして遇された三木家、普通の名主であった伊能家。熊本藩メインだと、献金で武士身分を確保するのが普通といった感覚だが、他の地域では、相当貢献しても武士身分を購入できなかったのか。いろいろと地域性の違いが大きいのだな。


 本百姓からの年貢しか取れず、貨幣経済で農業以外の生業に従事する人々が増えても、そこから税金を取れるようにならなかったというのが、江戸時代の武士の支配力の限界という感じだなあ。
 本百姓再建政策で、いろいろと在地の商売を辞めさせようとしているけど、結局、どの程度の効果があったのかねえ。


 ちょっと、書く時間がないので、細かいディテールはパス。